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進化し続ける直売所をめざし、骨太な経営を実践する

2022年2月 4日

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天野 映さん (大阪府柏原市 有限会社アマノ/天野ぶどう園)


 大阪府は全国有数のブドウ産地である。デラウェアに関しては、収穫量で山形県、山梨県に次ぐ全国第3位。大阪府下の中河内地区でブドウ栽培が始まったのは江戸幕府8代将軍徳川吉宗公の代で、明治中期に本格的な栽培生産がスタートした。出荷先は主に神戸や姫路方面で、戦前は全国1位の栽培面積と収穫量を誇った。

 天野ぶどう園は、太平洋戦争から復員した先代と地元農家の二十数人が鍬と鎌だけで山を切り拓いて造成。当然ながら大変な苦労があったという。そして、市場に出すだけでなく直売もしようと店をオープンさせたのは、今から半世紀以上前の1966年のこと。現代表の天野映さんが先代から引き継いだのは、その12年後だった。現在は家族5人が団結し、タフで骨太な経営に取り組んでいる。そこには常に進化を続けようとする不断の努力があった。


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左 :1本の樹からベリーA、ネオマスカット、そしてデラウエアの3種類が実るのはとても珍しい。天野ぶどう園の創意工夫の結果だ
右 :天野家の皆さん。左から映さん、奥様の孝子さん、長男の茂雄さん、長女の松本千晶さん、次女の浅野博子さん


30歳でブドウ農家を引き継いで
 映さんは大学卒業後、スポーツ用品会社に勤務し、いずれは自分でスポーツ用品店を経営しようと考えていた。しかし、大阪府からブドウ用ビニールハウス建設の補助金が出る話が舞い込み、スポーツ用品店経営かブドウ農家かの選択を迫られた。当時は結婚して子供もいたので、どちらの選択が賢いか考えた。「未知数のスポーツ用品店よりも農業に進んだ方が、家族のためにもいいのではないか」。一度はそう考えたが、漁師の家の出の妻孝子さんに「『農家に嫁に来たのではない』と言われたら、あっさりやめようと思っていた」と笑う。結局、孝子さんの後押しもあって農業の道に進み、ビニールハウスを建て、先代の後継者として天野ぶどう園の経営をスタートさせた。映さん30歳の時である。


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左 :作業を行う茂雄さん
右 :大阪副知事の視察に応対する映さんと孝子さん(平成31年)


 周囲の同年代の農家と比べると10年遅いスタートであったが、映さんは「何としても彼らに勝たなければいかん。そして、1番になってやろう!」と奮起する。「ブドウは1年に1度しか収穫できない。ということは、10年遅れは10回分の差でしかない。10回なら追いつき追い越せるんやないか?」。映さんは子供時代から大学卒業まで野球部で活躍した。野球で培われた根性と粘り強さが農業経営にも大きく影響を与えた。ちなみに、現在3代目を継ぐ息子の茂雄さんも野球一筋の道を歩み、大学卒業後にブドウ農家になった。天野ぶどう園の経営哲学が「骨太な経営」というのも、この球児精神に由来するものだ。


お客さん本位の店づくりが大事
202201_yokogao_amano5.jpg 映さんが経営を担うようになって3年ほどは市場送りと直売所の両方でやっていたが、収穫後半になると商品不足に陥った。そこで、直売一本でやろうと決意。当時、界隈には20以上の直売所が軒を連ねており、そこで「一番になる」ために、どの店よりも早くオープンしてお客さんを多く集めることにした。朝7時に店を開け、夜11時まで営業(現在は時間変更)。車から見て「あの店はいつも開いている」と印象づけたのだ。オープン当初、お客さんの大半は仕事帰りの男性で、家庭への土産として買っていった。だが、二度三度のリピートには至らず、売上は伸びなかった。
 ある日、家のコタツの上にミカンが3つ置かれていた。映さんが食べてみると、実においしかった。数日後、またミカンが置かれていたが、山盛りに積まれたままで家族が食べた形跡はない。食べてみると酸っぱかった。「酸っぱいミカンは人気がないんや」と思った時、「ブドウも同じことではないか?」と気づいた。自分では商品になると思ったブドウでも、お客さんがそう思わなければ「またあの店で買おう」という気にならない。
 大阪の消費者は厳しい。口にすると即座に「うまっ!」「マズ!」と言う。映さんは「おいしいブドウとは何か?」と自問し、ミカンと同様、家族が食べたくなるブドウこそお客さんが買い求めるブドウだと悟った。そこで「おいしいブドウになるまで店頭に並べない」という基準を設け、消費者目線に立ったブドウづくりにギアチェンジしたのである。
右上 :柏原市ぶどう品評会に出品(平成31年)。左から3人目が茂雄さん


畑の改良と毎年100本の改植
 ブドウは傾斜地で栽培されるため、肉体的な負担が大きい。映さんは35年前にミニユンボを購入し、土地を改良した。「農業でも使えるユンボ」と題し、機械メーカーのパンフレットのモデルにもなった。まだ機械化が珍しい時代だった。
 また、年間100本のブドウの樹を植え替えた。「毎年、岡山まで買い付けに出かけた」という。その結果、家族が納得するおいしいブドウが収穫できるようになった。お客さんにも好評で、平成2年には第1回目の大阪府知事賞を受賞、12年にも同賞を受賞し、15年には「農の匠」に認定された。さらに12年にはデラウェアで農林水産大臣賞を、28年には茂雄さんが主体となって生産したシャインマスカットが同じく農林水産大臣賞を受賞する快挙を遂げた。何より手厳しい大阪のお客さんが「ここのはおいしい」とほめてくれたのが嬉しかったという。


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左 :ベリーA
中 :ブドウの調製作業は家族総出で
右 :作業場でブドウを計量する博子さん


進化し続ける直売所をめざして
 駐車場は国道沿いにある。かつては走行する車の中からブドウが見えるよう、道路近くに商品を並べていた。時代の流れとともに女性が車で来店するようになったので、「車を方向転換させる余裕がなければ女性客は来づらい」と、駐車場をコンビニエンスストア並みに広げた。商品は箱に詰めて販売していたが、女性客は肉屋のような量り売りの方が喜ぶと聞き、最近では箱詰めのほか、ブドウをラッピングしてはかりに乗せ、価格を表示して販売している。「お客さんはだいたいの予算を決めて買いにこられるので、目方を量って価格が表示されると納得されるんですわ」と映さん。


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左 :直売所は国道165号沿いにある
右 :直売所の外観


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左 :ブドウの箱入り販売(ピオーネ)
右 :パック売り販売も好評


 消費者のニーズが変われば、生産者の意識も変化していくという。「働き方改革と言うように、朝から晩まで働きづめでは続かない時代です。機械化を進め、休む時は休み、作物を大切に育てて大きな利益を生み出す農業スタイルにしなければ、未来はありません」。そんな映さんは現在、農業大学校で非常勤講師を務め、これまで培った農業経営のノウハウをしっかりと伝承していきたいという。
 令和2年11月3日の文化の日、映さんは長年の功績が評価され黄綬褒章を受章した。お祝いの言葉をかけると、「これからも若者に農業のすばらしさを伝えていきたい」と力強い言葉が返ってきた。(ライター 上野卓彦 令和2年9月2日取材 協力:大阪府中部農と緑の総合事務所農の普及課)
●月刊「技術と普及」令和3年1月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載


有限会社アマノ(天野ぶどう園)
本社:大阪府柏原市田辺1-9-7

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