MENU
2018年9月 5日
島根県雲南市吉田町は、広島県境、中国山脈のふもとにある中山間地。古くはたたら製鉄で栄え、今も「たたらの郷」の町並みや史跡を残す。
有限会社木村有機農園は、この地で、農業生産、農産物の加工、販売、産直市やレストランでの食の提供に取り組んでいる。現在に至るまでの道のりは、生まれ育った土地で農業をやり続け生き残るための模索だった、と代表の木村さん。地域産業としての農業を守るためにも、6次化が必要だったのだという。
自分で価格が決められる農業を
中国山地の山間部にある雲南市吉田町(旧吉田村)は、大正10年までは、たたらの燃料炭の需要があり木炭の生産を行っていたという。しかし近代化に伴い、エネルギー源がガスや電気となり、炭の生産は縮小、林業も衰退し、商品作物としてシイタケの栽培が進められた。
木村家は、牛を飼い、1haの水田で米を育て、シイタケを栽培する農家だった。高度経済成長期、農業の大規模化、効率化が進むが、中山間地の当地では、効率的な大規模農業は難しい。シイタケ栽培が軌道に乗っても、価格は入札で決められる。
この先、生まれ育った吉田村が農業で生き残るためには、自分で作ったものに自分で値段がつけられる仕組みを作ることが必要だと考えた木村さんは、昭和50年に、干しシイタケの加工を行う「雲南自然食品センター」を設立し、自ら販路開拓に乗り出した。当時の周囲の声は、餅は餅屋。販売は経済連に任せろというものだったという。
次に取り組んだのは、当地の米の販売促進だった。隣町の奥出雲町では「仁多米」と名付けられた地域ブランドのコシヒカリが売れていた。旧吉田村には品評会で奥出雲の米に引けを取らない生産者が多くいたが、知名度がなく高く売れない。このままでは地元の農業が衰退してしまうと考えた木村さんは、「椎茸ギフト」を卸していたJAのスーパーで、地元の米をPRしようと思い立つ。
「山間で育った吉田の米もおいしいんですよ。吉田の米で杵つきの餅を実演販売させてください」
これから先は、村にも特産品がないといけないと、役場の産業振興課に訴えると、役場は婦人会、若妻会に声をかけ、マイクロバスを出して応援してくれた。杵つきもちの実演販売は大好評。「うまいもの大会」と銘打って、10年続いた。「村外の人においしい吉田村の農産物の味を知ってもらい、ファンづくりをする。地道な作業だけれど、村ぐるみで取り組めたことに大きな意味がありました」と木村さんは言う。
村づくりを牽引し(株)吉田ふるさと村を設立
「うまいもの大会」もきっかけとなり、吉田村では、人口減少が続く中、なんとか村の活性化を進めていこうという機運が高まった。
そこで、木村さんが呼びかけ人となり「行政に任せるだけではなく、住民一人一人が考える村づくりを」とメンバーを募った。昭和59年に立ち上げた「吉田村村づくり委員会」である。木村さんは委員長に就任、地域資源調査、専門家の招へい、先進地視察などを経て、3年がかりで提言書をまとめた。この委員会が土台となって、第三セクター(株)吉田ふるさと村が設立された。一口5万円で村内全戸に出資者を募った。木村さんは取締役常務となる。
木村さんは、自社のシイタケ商品の販路も生かして、加工品を試作販売。好評の餅つきの実演販売も継続した。餅販売の折に加工品を試食してもらい、開発の一助とした。
「ふるさと村の経営の中心は、シイタケと餅の生産、加工、販売でした。当時は6次産業という言葉がまだなく、『農業の複合経営』と言っていました。11年をかけて売り上げが1億円に達したので、役員を退き、後継にバトンタッチしたのです」
有機栽培の模索と地域の販売拠点づくり
村ぐるみでの生産、加工、販売へのチャレンジを続けてきた木村さんだが、持続的な農業のためには、やはり、自社の生産にも力を入れていかねばならないと思い至る。ちょうどその頃に、国や県がエコロジーや、有機認証の制度を始めたことを知った。きっかけは、普及センターからの情報だったという。
実演販売等で、消費者の「安心、安全」へのニーズの高まりを肌で感じていたこともあり、木村さんは、当地に適した作物づくりの実証実験を始めた。土づくり、肥料、防除、雑草の対策などを一つ一つ試しながら、5年間かけて今日の有機栽培の技術を確立。中国・四国地域では第1号のエコファーマーの認定を受けた。
平成25年には、松江尾道道路が開通、雲南吉田インターができたことで、そこに地域の活性化施設として、道の駅が整備された。木村有機農園は、農業生産法人として、産直市「よってごしな菜」とレストラン「むらげ」を開店した。地元農家の農産物、加工品の販売拠点ができた。
左 :道の駅「たたらば壱番地」外観
右 :道の駅内には木村さんも一緒に立ち上げたまちづくり会社「吉田ふるさと村」をはじめ、地元の企業にテナントが入り、にぎわいの場をつくっている
左 :レストラン「むらげ」では、田守り麺(米粉100%麺)と十割そばを提供。多彩なメニューが並ぶ
右 :産直市「よってごしな菜」店内には、地元生産者の野菜が並ぶ
知恵を絞ったのはレストランのメニュー。当地は、島根の南の玄関口でもある。出雲そばの中でも、こだわりの十割そばを提供したいと、市やJAも交えて協議し、転作作物としてソバ作りを奨励。レストランで全量買い上げ、出雲そばとして提供した。地元産100%の十割そばは好評を博したが「うどんはないの?」という声も。そこで、うどんに代わる「米粉麺」をすぐに構想したのだという。
左 :レストラン「むらげ」は、地元の女性たちの雇用の場にもなっている
右 :三色割子。出雲そばを十割で。風味ものどごしも良いと評判だ。
米粉100%の米粉麺、その名も「TAMAMORI(田守り)」
「この辺りの田は転作をしようとしても、水田以外に適さない田が多い。飼料米づくりが推奨されているが、山間地は収量が低いから、計算すると採算が合いません。ではどうするか、このままだと耕作放棄地がどんどん増えていく」。
こうした現状から木村さんは農地を生かすことで、のどかな田園風景を守っていくために、地域のイメージを活かしながら付加価値をつけた6次産業化に取り組む必要があると考えた。転作にもなる米粉用の新規需要米として、高アミロース米を栽培し、米粉麺に活用することで、採算性も高く地域の田を守るシンボルとなる特産品を作ろうと計画。島根県東部農林振興センターと協議し、「島根型6次産業ステップアップモデル事業」を活用して、技術確立と商品化を行うこととなった。加工場「TAMAMORI米工房」を整備改修し、米づくりを担う吉田町菅谷の農事組合法人すがや、木村有機農園、普及指導員、麺加工アドバイザー、コピーライター、デザイナー等で開発チームを作って、試作を重ねた。
右 :麺の加工施設「TAMAMORI-田守り-米工房」の前で、晴貞さんと後継者の長男 和浩さん
左 :田守り麺(細麺、平麺)は、お土産用にも販売。小麦粉不使用のグルテンフリー食品としても需要が期待されている
「麺メーカーに相談したら、つなぎを添加しないと麺がつながらない。米粉麺はおいしくないから売れない。と言われました。ならば、成功すれば、他にない商品ができると思いました。最初100%の米粉麺は、いくらやっても切れてしまいましたが、製麺機を改良したり、さまざまな工夫を凝らして、無塩、無添加の100%米粉麺ができたのです」。
その名も「TAMAMORI(田守り)」。高アミロース米を使用していることから、血糖値の急激な上昇を起こさないことが期待され、健康的であることや、歯ごたえがあり、ゆで伸びしないという特長を持つ。冷麺、温麺、炒麺と調理の幅も広い麺に仕上がった。
6月の平日、梅雨時にもかかわらず、昼時のレストランむらげは満員御礼。十割そばと田守り麺、そして直売所に出荷された新鮮な野菜の天ぷらなどを、人々はおいしそうにほおばっている。「地域ぐるみの6次産業化が、小さな中山間地の農業を支える一助となれば」と木村さんは語った。(ライター 森千鶴子 平成29年5月22日取材 取材協力:島根県東部農林振興センター雲南事務所農業普及部)
●月刊「技術と普及」平成29年8月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載
(有)木村有機農園
島根県雲南市吉田町民谷544
TEL 0854-74-0717