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2017年4月 7日
田中英也さん (埼玉県毛呂山(もろやま)町 株式会社苺の里)
川越駅から車でおよそ1時間、サトイモなどの露地野菜栽培が盛んで、首都近郊という有利な立地条件を生かした観光農園などが点在する、埼玉県入間郡。この「苺の里」も、そんな農園の一つだ。
田中英也さんと妻の綾さんは、新規参入で農業の世界に飛び込み、平成19年に高設栽培のイチゴ農園を開設。順調に規模を拡大し、1年ほど前に、イチゴをたっぷり使ったスイーツを販売する「いちご農園のケーキ屋さん」をオープンした。
ゼロから始めたイチゴ狩り農園
2人で農業をしたいという夢は持っていたのだが、英也さんと綾さんは夫婦ともに会社員で、家族にも農業経験者はなし。「どうしたら農家になれるのか、わかりませんでした。たまたまラジオで就農相談の開催告知が流れていて、実際に行ってみたんです」。そこでまずは農家研修が必要と聞くと、即座に受け入れ先を探すため、一軒一軒農家に直接電話をかける。とにかくアグレッシブなのだ。「1年後、新規就農支援資金を申請したら、条件として公認の指導農家研修が必要で、この1年分は認められず、もう1年やり直しでした」。2年間でイチゴ栽培の基礎をしっかりと学び、平成19年に念願のイチゴ狩り農園「苺の里」をオープンさせた。
左上 :「苺の里」西大久保店 外観
右下 :プランターは上部のハンドルを操作すると上下し、自由に高さを調節できる
転機が訪れたのはその後すぐだった。マスコミに「苺の里」が取り上げられ、農園周辺が車で大渋滞になり、近所からクレームが殺到した。お客さんにもゆっくり農園を楽しんでほしいと考え、予約制に移行し、今に至っている。
英也さんが栽培を、綾さんが直売・加工を担当し、現在は2カ所の農園にハウス5棟、育苗ハウス1棟を構える。農園では1日25組の予約を受け付けており、品種は「紅ほっぺ」「かおり野」「章姫」をそろえる。「紅ほっぺ」が一番人気で「収量は章姫と比べると少ないですが、甘味と酸味のバランスがいいんです」とのこと。
「お客様」の目線で農園を考える
「苺の里」では、高設栽培を採用し、苗を植えたプランターは可動式。農作業時には腰の高さに、子どもが摘み取るときは低い位置に下げるなど、状況に応じて高さを変える。プランターの間隔は広く、地面が平らに整備され、車椅子やベビーカーも安心して通れる。
左上 :一番人気の「紅ほっぺ」
右下 :ハウス内にはテーブル席が多く、摘んだイチゴをゆっくりと楽しめる
「高設栽培はハウス内がビニールで覆われているから土で汚れないし、地面もフラットなので、初めて目にしたときに『これなら整備すれば車いすでも通れそうだな』と思ったんです」。綾さんの思惑は見事的中、家族連れや福祉施設の団体客も多く訪れるようになり、リピーターも多いという。
「苺の里」ではイチゴを使ったジャムや大福、ケーキ作りなどの体験コーナーが充実しているのも大きな特徴。イチゴを食べて帰るだけではなく、ここでしかできない思い出作りをしてほしいとの思いからだ。
「なるべく柔らかな雰囲気を出せるよう意識しています。農家って、当たり前ですけど、どうしても作物優先になってしまうんです。お客様を見て『何に対して満足してもらえるか』を常に考えるようにしています」。パート向けのマニュアルもあえて作らず、『お客様に喜んで帰ってもらえるような対応を』と伝えている。
念願の直売所オープンと雪害からの復帰
規模拡大とともに、平成24年12月に法人化を果たした田中さんご夫婦は、次の一手を打ち出した。農園のそばで養鶏場が経営する直売所にスペースを借り、夢だった直売の計画を進め始める。「お店のオープンは年末と決めていたので、イチゴを使った商品づくりを半年ほどで一気に進めたんですが、本当に大変でした」。専属のシェフを雇い、直売所で手に入る新鮮な卵と、採れたれの完熟イチゴを使ったスイーツメニュー作りを進めた。平成25年12月に「いちご農園のケーキ屋さん」をオープン。いちごロールケーキといちご大福は瞬く間に人気商品となり、遠方からもお客さんが来るようになった。
左上 :その日に摘んだ完熟イチゴが店頭に並ぶ
右下 :イチゴの果肉を練りこんである「苺のシフォン」
左上 :早い時間に売り切れることも多い「いちごのロールケーキ」
右下 :中にも刻んだイチゴがたっぷり入った「イチゴのカップケーキ」
順調な滑り出しを見せた直売所だったが、開店わずか2カ月後に天災が襲った。平成26年2月の豪雪でハウスがすべて倒壊し、収穫最盛期のイチゴが大きな被害を受けた。しかし、ボランティアの力も借りて、倒壊したハウスの中をはって、使えるイチゴを摘み、冷凍保存。そのイチゴを加工してシフォンケーキやプリンの販売に切り替えたのだ。「待っているお客様のことを考えると、落ち込んでいる時間なんてありませんでした」。今では、この2品も人気を獲得、直売所の看板商品となっている。ハウスも、迅速な復旧対応で、苗の定植が始まる9月までに建て直しができた。
普及指導員との強い絆
「苺の里」の躍進の裏で、継続的なサポートを行ってきたのが埼玉県川越農林振興センターだ。佐々木担当部長は「物事を6割伝えて方向を示しておくと、10割まで進めてくれます。先が見える方で、理解するスピードも動き出しも早い。支援のしがいがあります」と語る。
埼玉県では、税理士や社会保険労務士などの専門家「法人化推進スペシャリスト」を派遣し、普及指導員と一緒に必要な相談を行える体制を整えている。この制度を活用し相談会を行う中で、総務と労務のアウトソーシングを採用。安心して農業と加工業に打ち込めるという。法人化の際も、アイデア豊富な田中さんご夫婦のために、加工業や研修事業などさまざまな事業に対応できるよう、あえて農業生産法人ではなく、一般会社設立の形をとっている。
「規模拡大や法人化、雪害など、大きな転機には普及指導員の方々がそばにいてくれました。この前も栽培の人手が足りなくて、相談してみたら農業経験のある従業員の募集先として農業大学校を紹介してもらって。的確なアドバイスのおかげで本当に助かっています」。
左上 :直売所内では、イチゴをモチーフにした手づくり小物なども販売している
右下 :「苺の里」の皆さん。田中英也さん(手前左から4番目)、綾さん(同3番目)とともに、日々農園を切り盛りする
最後に「苺の里」の展望を伺うと、わくわくするような笑顔で答えてくれた。「農園を始めたころは、目標としていた理想の農園がありました。でも、今は思いついたことを実現していくのが楽しいですね。今から20年ぐらいで引退かなと思っているので、その時までにどこまでやれるか、試してみたいです」。前進を止めない田中さんご夫婦と「苺の里」がこの先どんな発展を見せるのか、期待したい。
(工藤大平 平成27年12月18日取材 協力:埼玉県川越農林振興センター、埼玉県農林部農業ビジネス支援課)
●月刊「技術と普及」平成28年3月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載
(株)苺の里 ホームページ
埼玉県入間郡毛呂山町西戸781-6
TEL:090-6474-4115