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2022年12月20日
農業問題の俗論を排す
ジャーナリスト 村田 泰夫
農業問題ほど俗論が大手を振ってまかり通っている世界はない。「食料安全保障を強化すべきだ」と言いながら、「コメの生産量を減らせ」と主張するのが、そうした俗論の典型だ。「農産物価格を市場に委ねるから農家がやっていけなくなるので、価格決定に政府が介入せよ」という俗論もある。
農業の基本法の見直し作業が、農林水産省の審議会で進んでいるが、そうした俗論を新しい基本法に盛り込めといった暴論すら出てきている。わが国農業の基幹作物である稲作。戦時中の1947年に主食用米の供出を目的にできた食糧管理法は戦後、主食用米の安定供給を目的に1995年まで生き延びた。食管法では、政府が生産者から米を買い入れる生産者米価と、流通業者に売り渡す消費者米価を決めていた。
お上(かみ)が価格を決めてくれる「公定価格」だから、生産者は需給関係による価格の変動を心配しなくて済む。いまなお、農業者のなかには昔の食管法時代を懐かしむ風潮が残っている。懐かしむだけならまだしも、農業団体の有力者が「価格決定に政府が介入せよ」と主張するのには、驚くだけでなくあきれてしまう。
市場は「売り手」と「買い手」から成り立っている。農産物の価格は、その力関係、つまり市場の需給関係で決まる。だから、価格は売り手や買い手の希望通りの水準になるとは限らない。生産者からすれば、農産物の価格は高い方がいい。一方、買い入れる食品加工業者や外食産業、消費者からすれば、価格は安い方がいい。双方とも不満が残ることになりがちだが、「需給だから、しょうがない」と納得するしかない。
この価格決定の方式をやめて、強制力のある政府が公定価格を決めると、どうなるだろうか。「価格が安定しているので経営計画が立てやすい」と、生産者は安心できるのだろうか。公定価格を決めることは、その価格での取引を政府が保証することだ。その公定価格が生産者にとって魅力的な水準な場合、生産者はせっせと農産物を作るので、需要を上回り生産過剰になる。余剰分は政府が買い上げるしかなく、国家財政に大きな負担を強いる。
一方、公定価格が生産者にとって、もうからないコスト割れの水準である場合、生産者は農産物を作らなくなるから、供給不足が起き、消費者など需要家はほしくても買えなくなる。その場合、政府が海外から輸入して国内需要をまかなうことになる。国内で生産できるはずなのに、輸入しなければならないなんて、国家にとって損失である。
需要と供給を反映した市場によって価格が調整され、需給が安定する。これが市場経済の原理である。生産したらもうかるか否か、その価格水準で買うか買わないか、市場に参加するそれぞれの立場の人々が、損得や欲望にそって行動し、その結果、需給の安定をもたらす。これをアダム・スミスは『国富論』で「神の見えざる手」と言った。
これが経済学の基本である。この市場の「神の見えざる手」による需給調整機能をないがしろにすると、「神」によってしっぺ返しを受ける。いまなお政府と農業団体が進めている、主食用米の生産調整による米価のつり上げがその一例である。人為的な減産で米価をつり上げたことが消費者に割高感をいだかせ、「コメ離れ」を加速させ、みずから稲作経営を苦境に追い込んだ。しかも、食料自給率を下げてしまっている。
ドローンなどを活用したスマート農業を推進して農業経営の大規模化や効率化を図ることに反対し、小規模経営を維持せよという議論も農業界には根強い。「家族経営」や「多様な担い手」の育成に異存はないが、そういう言葉を使って「小規模経営を維持せよ」と主張するのは俗論のたぐいであろう。わが国の農業経営体は法人化していても、そのほとんどが家族経営体であり、家族経営=小規模経営という認識は間違っている。「多様な担い手の参入」は、農村地域の集落機能の維持のために大賛成だが、半農半Xのような小規模経営体には、大都市の消費者に農産物を安定的に供給する生産能力はない。
農業の世界にもイノベーション(技術革新)の波が押し寄せ、わが国農業の構造改革は進んだ。畜産や野菜などの分野では、主業経営体(専業農家といってもいい)が生産の大半を担う構造になっている。乳用牛(酪農)の92%、肉用牛の73%、養豚の81%、採卵鶏の78%、野菜の70%は、大規模な経営体が生産し供給している。いずれも価格は低位に安定している。大規模化に対応できなかった農家は、退場を余儀なくされてきた。厳しいようだが、こうした市場原理による新陳代謝が自由主義経済成長の原動力である。
しかし、市場は万能であるわけではない。飼料や肥料など昨今の農業資材の急激な高騰に、市場はすぐには対応できず、価格転嫁が進まない。生産が立ちゆかなくなって廃業が続出しては元も子もない。こうした市場の失敗を補うため、自由主義経済諸国ではさまざまな政策を打ち出してきている。
いずれ、新たなイノベーションによるコスト引き下げや価格転嫁の進行で、中長期的には需給を均衡させる価格水準に調整されるであろうが、それまでの間、政府による救済策が欠かせない。でも、それは市場機能を補う時限的な支援策であり、社会主義的な政府による価格介入ではないことを理解しなければならない。(2022年12月12日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。