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ぐるり農政【164】

2020年11月25日

日本企業の劣化と再生エネ後進国

ジャーナリスト 村田 泰夫

 
 日本の産業力の衰えを実感させるニュースが相次いでいて、悲しい思いに駆られる。菅義偉首相は10月20日の所信表明演説で、「2050年に脱炭素社会の実現をめざす」と宣言した。このこと自体、結構なことだが、実際のところは「やむなく迫られて」という事情があるうえ、日本の産業界の劣化を思い起こさせる。


murata_colum164_3.jpg わが日本政府は、つい最近まで「50年までに80%削減」という目標を掲げていて、「ゼロ」とすることを拒んできた。菅首相に近い梶山弘志経済産業相と小泉進次郎環境相の進言に従っての決定だそうだが、主要7カ国(G7)で「50年までにゼロ」という目標を掲げていないのは、あのトランプ大統領の米国と日本だけだった。

 その米国の大統領選で、「50年までにゼロ」を公約に掲げたバイデン氏が勝利したので、宣言に踏み切るのは間違いない。このままでは日本が世界の潮流から取り残されるのが明白だった。そんな事情を知ると、菅首相の宣言は、なんとも情けなくなってくる。

 しかも、日本はいまなお、CO2(二酸化炭素)の排出量の多い石炭火力からの脱却に、踏み切れないでいる。日本政府は、効率の悪い旧式の石炭火力発電所の休廃止に乗り出すが、高効率型の石炭火力については維持する考えだ。これに対し、ヨーロッパでは英国が25年までに廃止し、石炭火力への依存度の高いドイツでさえ、38年までに廃止する方針を掲げている。脱炭素に取り組む日本の見劣り感はぬぐえない。

 環境問題への日本の取り組みの甘さだけを、私は嘆いているわけではない。既存の産業の既得権益を守ろうとすると、新しい産業の振興の芽を摘んでしまい、産業構造の転換を遅らせ、企業の国際競争力をそいでしまう。そのことを嘆いているのだ。


murata_colum164_2.jpg 日本の再生エネルギー産業の国際競争力のなさは、目も当てられないほどのひどさだ。経済産業省が11月18日に発表した日本のエネルギー需給実績によると、太陽光発電や風力発電、それに水力発電など再生エネルギーの比率は、前年度からわずか1.1ポイント増えた18.0%にとどまっている。

 民主党政権時代の2012年に、再生エネの固定買い取り制度が導入されて以来、急速に普及しつつあるとはいえ、再生エネの約半分は水力であり、太陽光は約4割、風力に至ってはたったの4%しかない。とくに、欧州諸国と比べると出遅れ感が強い。再生エネルギーの全体に占める割合は、18%しかない日本と比べ、ドイツでは42%、英国では39%、スペインでは38%もある。日本よりずっと遅れていた中国でさえ、いまや28%あり、日本を引き離しつつある。

 再生エネルギーのうち太陽光発電の技術と導入量は、かつて日本がトップであった。ところが日本政府は、初期段階での普及促進のための助成措置をあえてとらなかった。普及のスピードが遅ければ、シャープなどのメーカーも大規模投資を躊躇せざるを得なかった。そして、中国や欧州のメーカーに抜き去られてしまったのである。再生エネルギーが伸長すると、原子力発電の必要性が薄れてしまうことを恐れた日本政府の失政である。

 日本政府の失政は、いまでも改められていない。太陽光や風力発電が日本で普及しない一因に送電線を使わせてもらえない事情がある。「送電線の空きがない」と電力会社に断られてしまうので、遠隔地で太陽光や風力で発電しても、その電力を需要地の大都会に送れない。実は送電線の容量は空いているのだが、「原子力発電所の稼働再開時に障害になる」として、空いている送電線を政府と電力会社が使わせないのだ。


murata_colum164_1.jpg さらに、悲しいニュースは続く。温暖化ガス排出の削減に向け、各国がガソリン車の規制強化に走り出しているのに、日本は出遅れているのだ。ガソリン車の新車の販売規制について、英国が11月17日、「禁止の時期を、従来の35年から5年前倒しにして30年からにする」と発表した。米国のカリフォルニア州やカナダのケベック州は「35年までに禁止」とし、中国ですら「35年をめどに、新車販売を電気自動車かハイブリット車に限定する」としている。日本政府に動きは見られない。

 ドイツのフォルクスワーゲン社は、25年までに世界で販売する車の約2割を電気自動車とする目標を掲げ、電気自動車に大きくシフトしている。世界の自動車開発技術をリードしてきて、自動車生産大国である日本のメーカーは、これからどうするのだろう。


 思い出すのは、1970年代の日本の自動車メーカーの排ガス対策競争である。70年に米国で「マスキー法」(大気浄化法)が成立し、日本メーカーは厳しい規制に対応する技術開発にしのぎを削った。73年にホンダがCVCCという独自の低公害エンジンを開発、一躍世界メーカーの一員にのぼり詰めた。厳しい排ガス規制に対応した日本の自動車産業は、世界のトップランナーとなり、日本経済の発展を引っ張ってきた。

 自動車業界だけではない。かつて、日本は再生エネルギーや携帯電話、家電製品の分野でトップを走っていた。まっとうな産業政策と、既得権益に安住しない企業の進取の精神が、日本を世界第2位の経済大国に押し上げた。それが、もはや昔日のおもかげもない。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は遠い昔になってしまった。(2020年11月24日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。

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