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2018年10月24日
むなしい「言い逃れ政治」
ジャーナリスト 村田 泰夫
人間社会は信頼で成り立っている。世の中は信頼の上で、ものごとが動いている。たとえば、1万円札は紙切れだが、みなが政府・日本銀行を信じて「1万円の価値がある」と思っているから、1万円の価値のある紙として流通している。ことに、権力を握っている政権トップは、国民の信頼を裏切ることがあってはならないだろう。
最近の政治を見ていると、今の自民党政権を支持する、しないに関わりなく、信頼を裏切られることが多く、むなしくなる。意図したわけではなくても、結果的に「ウソ」を言う事態を招くことだってある。その場合は素直に謝り、その上で対応策を国民に示して判断を仰げばいい。以前に言ったことと違ったことをウソと認めず、言い逃れをしようとするものだから、ウソの上塗りをしていると国民の目には映ってしまう。
いま農業界を騒がしてるのは、9月27日にニューヨークで開かれた日米首脳会談で合意した日米貿易交渉である。米国は日米FTA交渉だと明言しているし、客観的に見ればFTA交渉にほかならない。FTAとはFree Trade Agreement つまり自由貿易交渉である。ところが、わが国の安倍晋三首相は記者会見で、日米間で交渉するのは「TAG」であり、「これまで日本が結んできた包括的なFTAとは全く異なる」と断言した。TAG? 初めて聞く言葉である。Trade Agreement on goods の頭文字をとった言葉だという。日本語に訳すると「物品貿易協定」である。
日本政府はトランプ米大統領に押し切られる形で、日米間の貿易の交渉をどう進めるか事前の協議をしてきた。この協議について安倍首相は「日米FTA交渉と位置付けられるものではなく、その予備協議でもない」と再三述べてきた。だから、トランプ大統領との間で日米貿易交渉を始めることで合意したが、「これはFTAではなく、あくまでもTAGである」と言い募ることになったのであろう。これまで否定してきたFTA交渉入りを認めてしまえば、ウソを言ってきたことになるからである。
FTAとTAGとはどう違うのだろう。FTAは工業製品や農産物など物品の関税だけでなく、サービス貿易や投資ルールを含む取り決めである。一方のTAGは物品の関税の引き下げや撤廃に限って取り決める協定である。日米間の合意文書には、「物品貿易協定(TAG)の議論の完了の後に、他の貿易・投資の事項についても交渉を行う」とあり、物品貿易の後にサービス貿易や投資についても議論するのだから、包括的なFTAにほかならない。ただ、議論の順番として「物品貿易から始める」ということである。
素直に「FTAを結ぶことになってしまったが、農業者に不安を与えることのないように頑張る」と言えばいいものを、「FTAとは全く異なる」と断言してしまった安倍首相は、どうするのだろう。心配してしまう。今後の国会答弁で、また別のウソを言わざるを得なくなるのではないか。
「言い逃れ」政治で、印象に残るのが消費税の増税延期だった。もう忘れてしまった方もいるかもしれないが、民主党政権末期の2012年6月、民主、自民、公明の3党は「社会保障と税の一体改革」で合意した。社会保障の充実のために、当時5%だった消費税を、14年4月に8%に、15年10月に10%に引き上げることになった。8%への引き上げは予定通り実施されたが、10%への引き上げは、17年4月まで1年半延期されることになった。延期した理由について安倍首相は、14年11月の記者会見で「消費税引き上げで景気が腰折れする恐れがある」とした。
首相が言うように「経済は生き物」である。日本経済を取り巻く環境が変われば、予定していた増税を延期することもありうると思う。しかし、首相は余計なことを言った。「再び延期することはないことを、皆さまにはっきり断言します」
ところが、である。16年6月に再延期をしてしまった。「内需を腰折れさせかねない消費税の引き上げは延期すべきだと判断した」という。そういうこともあるだろうが、かつて「再延期しないと断言する」と言ってしまった手前、体裁を整えようとしたのだろう。公約違反ではなく、「新しい判断だ」と強弁したのである。方針変更なのに方針変更とは言わず、「新しい判断だ」と言いつくろうのは、誠実ではない。
19年10月の消費増税の1年前に当たる今年10月15日、安倍首相は「消費増税を予定通り10%に引き上げる」と表明した。引き上げで景気が落ち込まないように、さまざま政策を総動員するための時間が必要だとして、1年前の表明となったらしい。しかし、世間は半信半疑である。「2度も延期している。2度あることは3度もありうる」。政権への国民の信頼が落ちているのである。
TPP(環太平洋経済連携協定)交渉に入る際もそうだった。与党に返り咲く時の2012年の総選挙で、自民党は「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない」というポスターを掲げて大勝した。その後はご存知の通り。ことのよしあしは別にして、TPP締結へ邁進した。客観的にみれば公約違反である。なのに、自民党はこう強弁する。「聖域なき関税撤廃に反対したのであって、聖域を設けたから賛成した」と、やはり誠実さを疑う。政治を信頼できない国民は不幸である。(2018年10月21日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。