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ぐるり農政【117】

2016年12月27日

キューバの有機・都市農業

ジャーナリスト 村田 泰夫


 キューバ革命の立役者だったフィデル・カストロ前国家評議会議長が、2016年11月25日亡くなった。90歳だった。カストロ氏は能弁家として知られている。有名なのは1960年の国連総会での演説で、4時間29分にわたって米国を徹底的に批判した。私も2006年5月のメーデーの際、キューバの首都ハバナでカストロの演説を聞いたことがある。このときも2時間を超えていたと思う。通訳によると、革命後のキューバの社会経済状況の好転と、ラテンアメリカ諸国との連帯、そして、米国批判を長々と話していたらしい。


murata_colum117_1.jpg カストロのキューバは「有機農業大国」であることをご存じだろうか。きちんとした統計があるわけではないから正確にはわからないが、有機農業比率は3割とか8割とかいわれている。米国で2%、日本で0.2%といわれているから、キューバの有機農業比率の高さが際立っている。農薬や化学肥料を一切使わないで栽培する有機農業は、豊かな先進国で普及している農法というイメージが強い。中南米の貧しい途上国であるキューバが「有機農業大国」というのはなぜなのか、私には最初、合点がいかなかった。
左 :メーデーの記念日に演説するフィデル・カストロ氏(2006年5月1日ハバナ市内で)


 キューバの農業は、1990年ごろまでは「近代的な」大規模機械化農業だった。サトウキビ、タバコ、コーヒーなどの換金作物のモノカルチャー(単作)で、大量の農薬と化学肥料が使われ、大型トラクターが農場を走り回っていた。生産した砂糖などの農産物を輸出し、その代金で工業製品や日常の生活用品を輸入していた。キューバ経済は、農産物の輸出先と生活物資の輸入先が確保されて始めて成り立つ「植民地型」だったのである。

 革命前は、事実上の宗主国はスペインや米国だったが、カストロによる1959年の革命後は、ソ連・東欧圏に自国の経済を全面的に依存してきた。それが、1990年代初頭の東欧革命と91年のソ連の崩壊で、キューバ経済は壊滅的打撃をこうむった。ソ連を始めとする共産圏諸国から経済的支援がぱったりとまったうえ、貿易量の約8割を失い、日常の生活物資さえ手にはいらなくなってしまったのである。


 特に深刻だったのは食料不足だった。農業生産に欠かせなかった農薬や化学肥料の輸入がとまっただけではない。トラクターを動かす燃料(石油製品)が入ってこなくなって、農業生産量は半減した。国民を飢えさせないために、ともかく口に入れる食料を生産しなければならない。そして、取り組んだのが農業生産組織の改革であり、有機農業への本格的な取り組みだった。

 それまでサトウキビなど商品作物を生産してきたソ連式の大規模機械化農場であった国営農場を小規模に解体し、農民たちが自主的に組織する協議体に営農を委ねる新協同組合農場に再編成した。土地の所有は国だが、何をどのくらい栽培するかは協議体に任せた。新協同組合農場は、自給を優先するためモノカルチャー方式をやめて、多品種生産に切り替え、余った農産物を都市に販売するようにした。

 有機農業に取り組んだのは、物資がなかったからであった。農薬や化学肥料を「使わない」のではなく、入手できず「使えなかった」のである。トラクターは部品がソ連から入らなくなり、燃料もないから動かせない。動力源は、昔使っていた牛馬に頼らざるを得なくなった。


murata_colum117_2.jpg モノカルチャーからの脱却による有機農業の勧めは、「オルガノポニコ」と呼ばれる都市農業の発展につながったことも、キューバ農業を語るとき特筆されることだ。飢餓の危機に直面したキューバ政府は90年代初頭、都市部にある未利用地、駐車場、裏庭などで野菜を生産するよう奨励した。住宅地にある空き地にコンクリート・ブロックで囲いを作り、その中に堆肥を混ぜた土を入れ、レタスやキャベツ、ニンジン、トマトなどの野菜を栽培する家庭菜園のような農業がオルガノポニコである。化学肥料や農薬が手に入らないから、もちろん有機栽培である。
右 :ハバナ市内の住宅地の空き地にある有機農業菜園「オルガノポニコ」(2006年5月)


 都市農業の有用性について、キューバ政府の農政担当者がこんな趣旨のことを言っていたのを思い出す。「中庭のような狭い土地で農産物をつくる都市農業は、政府からの技術支援によって、国民の大切な食料を低コストで供給できることを実証した」。ハバナ市内には野菜畑が目立つ。他の国の首都にはない光景だ。市民の野菜消費量の30%を都市農業が供給している地域もあるという。


 都会の住宅地に「都市農業相談所」があるのには驚いた。日本にある農業改良普及センターの都会版である。私が訪問した10年前のことだが、ハバナ市内に52カ所もあった。1カ所に専門技術員が5人ぐらい駐在していて、栽培に関するさまざまな相談に応じている。出張指導にも応じるが、その場合は有料である。

 都会の人が家庭菜園を楽しむ際のよろず相談所で、いわば「都市農業支援センター」である。いろんな種類の野菜のタネ、土壌、ミミズの糞、微生物農薬など、有機農業に不可欠な農業資材も販売している。農業はもちろん家庭菜園にも手を染めたことのない都市住民に、家庭菜園の実用的な利益と楽しさを教えたのが、「都市農業支援センター」の職員たちである。こうしたことは、わが国がキューバから学ぶべきことだと思った。(2016年12月26日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。

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