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2014年10月29日
アラル海消滅から学ぶこと
ジャーナリスト 村田 泰夫
アラル海がほぼ消滅しかけているというニュースに衝撃を受けた。中央アジアのカザフスタンとウズベキスタンにまたがるアラル海は、かつて1960年までは世界第4位の広さを誇る湖だった。琵琶湖の約100倍、北海道をやや小さくしたほどの面積だったというから、ものすごく広い。「湖」というより名前の通り「海」と呼ぶ方がふさわしい。そのアラル海が消滅するとは、どういうことなのだろうか。
米国の航空宇宙局(NASA)が9月末に公表した衛星写真(右が現在。左は2000年)によると、東アラル海は完全に干上がっていた。もともとは1つの大きな湖だった。1961年から水位が下がり始め、北側の小アラルと南側の大アラルの2つに分かれてしまった。さらに大アラルは東西の2つに分かれた。小アラルと西アラルは、いまでもかろうじて残っているが、消滅は時間の問題だといわれている。
アラル海の水量が減り水位が下がり始めたのは、共産党政権の旧ソ連時代だった。乾燥した砂漠地帯を緑の耕地に変える「自然大改造計画」が1950年代からスタート。砂漠に600万haの灌がい農地を造成し、綿花や米を栽培する計画だった。日本の全農地面積が460万haだから、そのスケールの大きさがわかると思う。実際に農作物の栽培が可能になり、いっとき「社会主義の勝利」と宣伝された。
アラル海には、パミール高原から流れ出てウズベキスタンを潤すアムダリア川と、はるか中国の天山山脈を源としてカザフスタンを潤すシルダリア川という2つの大きな川が流れ込んでいた。アラル海はどこにも水が流れ出ない閉鎖湖だ。湖面から大量の水が蒸発し、一部は地下にしみこむ。川から流入する水の量と蒸発する量とがちょうどバランスし、アラル海は水位を安定させていた。
そのアムダリア川とシルダリア川の水を灌がい用水として大量に砂漠にまくのが、旧ソ連時代の「自然大改造計画」だったのである。「広大な不毛の砂漠に水をまけば、豊かな穀倉地帯に変えられる」という人類の思い上がりが、アラル海を干上がらせただけでなく、周辺農地の塩害化をひき起こし、回復不可能な環境破壊をもたらしたのである。
人類の「世紀の愚行」の現場を取材するため、筆者は2001年にアラル海を訪れたことがある。アラル海北部にあるアラリスクという町をめざした。カザフスタンの最大都市アルマイトから西へ約1600kmの位置にあるが、航空便はない。鉄道はあるが、現地で湖近辺に行く四輪駆動車を借りるのが難しいため、アルマイトから片道2泊3日かけて車で出かけた。京都大学教授とカザフスタンの研究者に案内してもらい、途中、テントで寝泊まりする冒険のような取材旅行だった。
アラル海までの道中、まだアルマイトに近い場所では乾燥地帯とはいえ、山があって水も豊富で、車窓には緑の農地が広がっていた。ところが、アラル海に近づくにつれ、雪ではないかと思うほど白い荒地が目につくようになった。耕地として開発したが、塩害で放棄された農地だった。その面積は、カザフスタン国内だけで100万haを超えるという話を聞いた。
2泊3日かけてたどり着いたアラリスクは、かつては人口が10万人を超える大都市だった。アラル海の湖畔に立地し、年間5万tを超える漁獲量で栄えた漁業の町でもあった。私が訪れた2001年の時点で人口は4万人を割り、さびれていた。水位が15mも下がってしまい、アラル海の湖面ははるか遠くに去り、湖畔の町ではなくなっていた。いまはもっとさびれていることだろう。
アラル海の湖面を見るには、アラリスクからかつての湖底である荒地を130kmも車で走らなければならなかった。途中、アラリスクから80kmのところにあるジャラナシという集落に寄った。そこはかつて水辺にあった漁村だったという。もちろん湖はなく、遠くまで塩の原っぱが広がっていた。
近くに「船の墓場」と呼ばれるところがあった。おおきな鋼鉄製の漁船や魚運搬船が塩の湖底に取り残されていた。塩の真っ白な大地に赤くさびた鋼鉄船が横たわる姿は、この世の光景とは思えなかった(右写真)。アラル海の水を見るには、そこからさらに50kmも道なき道を走らなければならなかった。やっとたどりついた湖の水は濁っていて、なめると海水のようにしょっぱかった。塩湖になって魚の住めない「死の海」なっていた。
旧ソ連時代、モスクワの政治家は、こう言って開発の正当性を訴えたそうだ。「川から灌がい用水を取水すればアラル海漁業は衰退するかもしれない。しかし、灌がい農業は巨大な富を築いてくれる。アラル海は美しく死ぬべきである」
愚かというほかはない。豊かな富をもたらすはずの農地は、塩害で草も生えない不毛の地になってしまったのだから。自然との共生をめざすのではなく、自然を征服する対象としてとらえた私たち人類の思い上がりが、取り返しのつかない環境破壊をもたらしている例は、ほかにもたくさんある。他山の石としなければならない。(2014年10月28日)
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。