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みどりの食べ歩き・出会い旅 【13】

2010年1月18日

昔、コウノトリは“鶴”と呼ばれていた!

         榊田 みどり


 新年にあたって、おめでたい鶴の話をひとつ。いや、“鶴”といっても、実は、コウノトリのこと。昨秋、「コウノトリの郷」として知られる兵庫県豊岡市で、農業関係者の長老から、こんな話を聞いて驚いた。
ハチゴロウの戸島湿地 「このあたりでは、昔は、コウノトリを“鶴”と呼んでいた。“松に鶴”がモチーフの日本画があるけれど、あれも本当はコウノトリですよ。コウノトリは松の木に巣を作る。鶴は平地に巣を作るんです」


 豊岡市で、日本最後の野生のコウノトリが姿を消したのは、1971年のこと。その後、ロシアから野生のコウノトリの幼鳥をもらって繁殖への挑戦が始まり、89年、初めて2羽の繁殖に成功。2003年には、「コウノトリ野生復帰推進計画」が立てられた。05年、秋篠宮ご夫妻も参加しての初めてのコウノトリ放鳥シーンは、マスコミでも大々的に取り上げられたので、覚えているひとも多いと思う。

私が初めて遭遇したコウノトリ。「ハチゴロウの戸島湿地」の巣に舞い降りた それから4年。自然復帰したコウノトリは、現在、40羽近くになった。コウノトリのエサとなる生物との共生を重視した「コウノトリ育む農法」に取り組む水田も、03年の0.7haから、但馬地方全体で約280haまで広がっていた。「コウノトリ育むお米」の販売、旅行会社と連携してのコウノトリ・ツーリズムなど、今や豊岡市にとって、コウノトリは地域活性化の大きな武器になっている。


 幸運なことに、一泊二日の旅の間に、私は2度もコウノトリと出会った。白いからだに黒い羽先、赤い隈取りをした目に赤い足。羽を広げると2m近くもある、ダイナミックで美しい姿は、なるほど、タンチョウ鶴と似ていた。実は、似ているのは外見だけらしく、生態は、サギやトキに近いという。

 しかも、エサをとる姿を写真で見ると、案外、どう猛な雰囲気が漂っている。なにしろ、肉食獣だ。バッタなどの昆虫から、フナやカエル、ドジョウ、さらには1mを超すヘビなどまで、パクッとくわえて飲み込んでしまうらしい。一日に500gは食べるというから、そうとうな大食漢だ。


戸島湿地には、川から魚が遡上できるように魚道も設けられた 意外なことに、戦前までコウノトリは“害鳥”と思われていた。肉食だから稲を食い荒らすわけではない。水田に舞い降りて、エサを探すだけなのだが、なにしろ図体がでかいので、稲を踏み倒して歩いているように見える。実際には、ほとんど稲を踏むことはなかったのだそうだが、稲作農家にすれば、気が気ではなかったのだろう。そのため、明治時代以降は乱獲の対象になった。食用にもされたし、姿の美しさから、剥製用としても人気があったらしい。
 ただし、豊岡市では、高齢者が昔を振り返って、「竹の棒や泥だんごで追い払った」と話しているというから、その住民のおおらかさが、日本で最後までコウノトリが生息できた理由のひとつかもしれない。

豊岡市のパンフレット第二次大戦中の木材需要で、コウノトリが好んで巣を作る松の木が伐採され、戦後の農業近代化で湿田が乾田になり、さらに、川と用水路が遮断されて、コウノトリのエサとなる魚が水田に遡上できなくなった。農薬の使用がコウノトリのエサを奪い、コウノトリ自身の繁殖機能も失わせたともいわれている。
 「水銀剤が原因のひとつなのは、まちがいない。…でも、農薬だけが一方的に悪者にされるのは、正直なところ、面白くないんです」
冒頭の長老が、ポツリとそうつぶやいた。農業の技術指導者だったひとである。戦後の食糧難の時代、米の増産は、国からの至上命令だった。湿度の高い豊岡盆地では、イモチ病も多発し、それを抑えてくれたのが水銀剤だった。

 「私の後輩も、農薬散布で死んでいます。今では使用禁止になりましたが、ホリドールやパラチオン…、強毒性の農薬を使ってでも、当時は日本人の食糧確保が大前提だった。コウノトリ育む農法は、食糧が豊かな今だからできること、でもあるんです」


 農薬を批判する消費者は多いし、環境に負荷をかけない農業のほうが、もちろんいいに決まっている。しかし、そうせざるをえない時代があったことも、私たちは、心に刻んだ上で、未来に向かって進まなければならない。自分の生命や食糧よりもコウノトリを優先する人間は、今だって、たぶんいない。
 そんなことを考えながら、自宅に戻り、購入した新米の「コウノトリ育むお米」を炊いて、いただいた。ふっくらと優しい味がするコシヒカリだった。


「コシヒカリ育むお米」  炊きたてのご飯


 コウノトリを野生に戻す作業は、逆にいえば、人間や産業が、コウノトリと共生できるような地域づくりを目指す作業でもある。豊岡市のパンフレットには、「環境と経済が共鳴するまち」をめざすと書かれていた。自然環境の保全と経済の発展は両立できる。豊岡市が、それを実証する先進都市になる日を期待して待ちたい。


写真 上から順番に

●ハチゴロウの戸島湿地
もともとは土地改良事業による乾田化を待つ水田だったが、コウノトリが頻繁に舞い降りたことがきっかけになり、地域住民が合議の末、市に土地を提供。湿地として残す決断をしたというエピソードを持つ

●私が初めて遭遇したコウノトリ
「ハチゴロウの戸島湿地」の巣に舞い降りた

●豊岡市のパンフレットの写真
もっとちゃんとコウノトリの姿を見たい方のために、豊岡市のパンフレットの写真を。右端は、コウノトリがエサを捕獲するシーンの写真を集めたシート。迫力満点!ぜひ拡大してご覧ください

●戸島湿地の魚道
川から魚が遡上できるように設けられた

●「コウノトリ育むお米」
無農薬栽培と減農薬栽培がある

●炊きたてのご飯
「コウノトリ育むお米」は、今は生協や一部スーパーなど、販路が広がっている

 

(文中の画像をクリックすると大きく表示されます)

さかきだ みどり

1960年秋田県生まれ。東大仏文科卒。学生時代から農村現場を歩き、消費者団体勤務を経て90年よりフリージャーナリスト。農業・食・環境問題をテーマに、一般誌、農業誌などで執筆。農政ジャーナリストの会幹事。日本農業賞特別部門「食の架け橋賞」審査員。共著に『安ければそれでいいのか?!』(コモンズ)『雪印100株運動』(創森社)など。

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