農業のポータルサイト みんなの農業広場

MENU

ときとき普及【83】

2025年5月27日

地域の水田転作(その4)


泉田川土地改良区理事長 阿部 清   


 最近まで「今年は珍しく春が長い」と感じることが多かったが、寒冷地でも夏のような気温の日が増えてきた。天候が変化しても、わが家の庭先には、手入れもしていないのにフクジュソウ、クロッカス、ヒヤシンス、ラッパスイセン、ムスカリ、チューリップなどが咲いてくれる。
 田んぼでは耕起、代掻き、これから最盛期を迎える田植え作業が淡々と行なわれている様子を見ていると、米価の先行きに対する報道など、なかったかのようだ。

column_abe83_1.jpg 稲作農家は思うところもあるだろうが、選択肢が少ないから、考え過ぎない方が楽なのかもしれない。DX、輸出、多様な販売などの先進農家を紹介する記事を見ていると、選択肢がある農業法人は幸せだと思う。「新聞の取材は予定調和だ」と、つい口に出してしまうが、必ず「斜めからしか見ない」と妻の反論がある。

 アメリカなどの諸外国に比べると、単収が伸びずに、むしろ差が拡大しているという解説を目にすることがある。
 コシヒカリなどのブランド米全盛の流通業界にあって、コシヒカリで多収するのは無理なことを考慮していない論調には、20~30a区画の水田で、さらに小区画な水田が多い中山間地域の水田では選択肢は限られる。そうは思っても土地改良区の関係者である自分は、今の基盤整備が大区画であることから、「稲作の継続は大区画に事業実施することが必要。事業は地域の合意が前提になるので、稲作は地域の合意が大切。事業化が難しい地域が多いから、可能な地域はラッキーだ」などと話している。
 ただし、面工事の進捗程度からすれば100年単位の工事期間が必要と、忘れずに話すことにしている。事業要望から完了までは少なくとも15年、長い場合は20年の期間が必要なため、多くの農業者は第一線を退き、次世代の担い手による水田農業が目的だと伝えることにしている。次世代へ贈る財産だとすれば、孫子の代で経営が発展するという昔の和牛繁殖農家(経営を拡大するに多大な資本が必要になるため)に例えて説明している。


column_abe83_2.jpg この説明をすると、気持ちが引けてしまう農業者も多い。賃貸借が一般的で、水田の所有者と耕作者が異なるケースが多いからでもある。受益者負担がほぼない現在の基盤整備だが、地域の農業に対するモチベーションが保てない農地の出し手(地主)が多いからでもある。「なぜそこまで頑張らなくてはいけないのか?」というのが偽らざるところだと思う。受益者の農地の借り手にとっては、事業推進の努力をすればするほど、利益誘導ではないかと感じてしまうらしい。事業実施に伴って不換地を希望する出し手が多いことでもわかる。水田は、耕作しない地主にとっては不良財産なのかもしれない。


 話を元に戻そう。
 米政策は、水田のありようと根が一緒だと思う。米政策による需給調整は、米価暴落防止との説明が多かった。平成5年の著しい不作で米価が上昇したことはあったが、ほとんどは安値安定(?)だった。多くの農業者は、生産調整=減産という意味の米生産しか経験していない。また、流通販売は集荷業者に委ねることが多かったため、需給調整に対する認識も同じだと思う。


 農村に多い小中規模の稲作農家の存在抜きに、水田のありようは語れない。米価の高値がいつまでも続かないだろうことは、多くの農業者の一致した意見だが、この状況が期間限定なことを思いながら、「ただ頑張る。できるだけ再生産可能な米価であって欲しい」という心の声がある。「声に出すと『ツキ』が逃げて行く」という東北の農業者らしい姿だ。時代が法人化や大規模化に進んでいるのは間違いないが、これを後押ししていたのは生産性の問題、生産コスト割れが普通の状態だった米価だったことは、忘れてはならない。消費者側からすれば、相当長い間恩恵を受けていることになるが、昨今の識者のコメントは、消費サイドに偏っていると感じることが多い。


 かつてのコラムで、儲かる農業分野では、新規参入や後継者が多いことを書いたことがある。普及の職場では、儲かる農業には後継者が多いことが普通だった。「T県のキャベツ産地には後継者が多い。儲かるからだ」と、先輩の専門技術員が羨ましがっていた。県内のメロンやスイカの産地では、ブランド化と技術革新によって高価格を維持しているから就農者が多く、結果として生産部会員の平均年齢が低いのが自慢だという。


column_abe83_3.jpg 若手普及員の頃、水稲は他作物と比較検討されることが普通だった。労働生産性が安定していて、土地生産性も良かったからだ。家計の柱になる水稲が盤石だった時代を回顧するのは、自分だけではないだろう。米価が良かったからだと思う。
 「水稲にもようやく陽が当たるようになった」という思いは、一時の幻想に過ぎないのだろうか。生産性が著しく劣る「棚田」であっても、交流と販売が両立でき、耕作放棄地の増加を防止することができるかもしれない。そうすれば、農村では高齢者が農業という産業の特徴を発揮して、80代まで活躍できるかもしれない。わずかでもかまわないので、人口が増えれば農村は維持されていく可能性が高まる。物流や情報は、ソフト・ハードを含め、米政策が開始された50年前とは比べ物にならないぐらいに進歩しているからだ。とにかく暗さが象徴だった過酷な農作業は「今は昔」の状態だ。今の米価が土地・労働・資本生産性を押し上げてくれるならば、農村ライフは優位性を高めていくに違いない。農村地域の多くの悩みは、生活を維持できる程度の米価によって改善できる。農村の課題の多くが解決されるかもしれないと考えるのだが、似たような意見を聞くことはない。
 政府米の時代の米価闘争で、「わざと農作業をやらず、不作にしてしまおう。否が応でも米価は高騰する」という過激な発言を聞く機会があった。「百姓の反乱のすすめ」をぶち上げた大学教授の講演会のことだった。「東北の農家にはそぐわない話だ」と思ったものだ。


column_abe83_4.jpg 若手普及員の頃に、農協青年部の活動の大半が米価闘争という話を聞くことがあった。農林水産省別館での米価闘争の最前線で、鉢巻して陣取るのが青年部の役目だと、ある農業者が話していたことを思い出す。米価に対しては実に敏感だった時代のことだ。
 長い需給調整を経て、生産コストを縮減することが日常で、正しいことと感じるようになってしまった。少数の農業法人は、輸出米の増産や独自の取引を拡充したいと発言する。しかし、輸入を含めた多様な米販売やDX化によって、経営が一足飛びに改善して行くには時間が必要だ。ある程度の米価が維持されれば、生産費高騰の悩みが付きまとう小中規模の稲作農家も、「そこそこ」の利益を上げられる。


 令和9年度からは、新たな需給調整を計画しているという。農業者の心情は、今までどおりのゆるやかな需給調整を望むかもしれない。農業者が減少する過程での需給調整はリスクが高く、弾力性に欠ける。「それなりの価格が10年間継続したら」という、淡い夢を抱いている。
 米価高騰は民間在庫量の不足によって説明され、ちょっと情けない話になる。将来、いまのこの事態は、どのように整理されていくのだろうか?


●写真 雪が消えると決まって開花する丈夫な草花
 上から
・ラッパスイセン
・クロッカス
・チューリップ
・ムスカリ

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

「2025年05月」に戻る

ソーシャルメディア