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2024年10月29日
農村の仕事(その5)
稲作地帯のJAの営農指導員は稲作関連の業務、例えば米の検査、ライスセンターやカントリーエレベーターの運営などに駆り出されることが多かった。野菜専門の普及員だった私は、この時期になると開店休業状態だった。農業者も、刈り取りから乾燥調製作業と連続した作業で忙しく、訪問するのがはばかられる状況だった。必要に迫られて、ライスセンターに張り付く営農指導員を訪問しても、「農家の秋作業が終了してから」が合言葉になっていた。
野菜を栽培する農業者のほぼ全員が、稲作との複合経営だった。当時、山形県には大規模な野菜専作経営(=野菜の単一経営)が存在しないことが残念で仕方がなかった。他県に研修に行くと、野菜専作経営がまぶしく映ったものだった。研修対象の農業経営だから優秀なのは当然だが、「○○県にはあって山形県にはない理由」を考えることが多かった。盤石な地位の稲作(と、多くの農業者が思っていた)と、稲作に対する飽くなき憧れの歴史によるものだろうと考えていた。普及活動でも、複合経営は良いものとされ、当然のように「稲作+○○」の経営類型以外は存在しないのが山形県だった。
それでも会議では、「稲作との複合経営は、野菜栽培にとって障害になる」と、言いにくいことを平気で発言していた。野菜の繁忙期は、決まって稲作の主要な作業と競合するからだ。一方で野菜の労働生産性が低いという事実もあったが、あえて発言をすることが多かった。野菜は「手間稼ぎ」という表現が定着していて、農業者のなかには解決策を模索する動きがあった。多くの農業者にとって、稲作を基幹にした複合経営が当然視されており、視点が変化するのは、土地生産性の低下とともに稲作の存在が怪しくなって来てからだった。
研修会で、「30aの施設園芸で家族を養う決意で、自信もある」と講演していた園芸農家の言葉を、実に頼もしく聞いたことがある。農地が少なく、規模の大きな稲作をやれないからという理由とともに、施設園芸は次善の選択だという話を聞くと、少し残念な気持ちになった。野菜専門担当の若い普及員にとって、施設園芸は環境制御という技術があるがゆえに、露地栽培よりワンランク上の農業だと思い込んでいた時期だった。その後、異動により研究員になっても、研究開発課題の大半が、雨よけ栽培を含めた施設園芸ネタだったことから、施設園芸は時代に要請された存在だと信じていた。今風の温暖化対策、ゼロカーボン等々の温暖化対策ではなく、当時は脱化石燃料対策として行われていた。多機能の外張りやマルチ資材、内張カーテン、多段サーモスタットによる変温管理・・・。現在の複合環境制御の原点になるような課題の研究だった。普及の分野でも、エコファーマーなどの環境保全型農業に取り組むようになった時期と重なっている。
「水封マルチ」を知っているだろうか。研究成果の検討会に登場したが、ハンドリングからして普及しないだろうと思い、研究会ではまじめに向き合わなかった。「マルチに穴が開いたらどうする」などの心ない質問をしてしまった。時過ぎて、現在の施設園芸の核心技術(?)が株元の冷暖房だとすると、「水封マルチ」は原点かもしれないと、勝手に考えを巡らせている。砂丘地帯では、風車によってオイル中の歯車を回すことで蓄熱する技術(ミッションオイルの原理)なども検討されたが、このネタに対しても真面目さが欠けていた私であった。
労働生産性向上の普及活動として最初に取り組んだのは、共同選果、選別施設を活用した野菜経営の収益性の向上だった。野菜農家にとって選果・選別作業は、単価の低い仕事で、労働生産性が低い(技術レベルは低いが所要時間が多いため。適切な表現ではないかもしれない)。共同施設においては、高能率機械を使用することから、生産コストが改善されやすい。近年はセンサー技術が飛躍的に向上しているので、労働生産性は質的に改善されることがある。農業者にとっては施設利用料との見合いとなり、見合った経営改善を導入した場合はメリットがある。普及員として参画した野菜産地は、いまでも主産地として維持されていることから、当時の普及の視点は正しかったのだと安堵している。ただし、農家の仕事の変更と、新たな経費(施設利用料)に抵抗感があったのは当然のことだった。
戸別利用の農業機械でいえば、稲作関連の農業機械は古くから導入が進んでいた。トラクターや田植え機とコンバインは、稲作にとってイノベーションそのもので、今もなお労働生産性を維持できているのは、これら農業機械によるものだ。土地生産性からすれば物足りないということが多くの農業者の共通認識であっても、労働生産性が優先される。生産技術は、すでに高性能農業機械の使用が前提になっているからだ。
水稲に比べて、野菜は機械化が遅れた。野菜専用機械の普及も、労働生産性の改善に効果的だった。最近になって、どうにか農業労働力不足を下支えできるようになってきた。以前、良い手間と悪い手間のコラムを執筆したことがあったが、野菜専用機械の普及は、悪い手間を良い手間に代えてくれた。野菜専用機械に対応した栽培方法を取り入れられない場合、「手間稼ぎの野菜」の手間が、いつまでたっても稼ぎにならないケースもある。
増収増益、減収減益、増収減益は経営用語として使われるが、これまでの増収一辺倒の普及活動に、不安を覚えることがある。右肩上がりで増収増益を是とし、普及だけでなく行政も、例えば収量が平均水準より高いことを至上のものとする風潮だ。農業コンクールの出品材においても、増収・増益に対して高く評価している。そのような普及活動を行ってきたのは事実だ。多収、次に大規模経営・・・、今から考えると、経営的な側面は二の次だった。収増益、経営拡大を実践している農業者からは、ピーンと張りつめたような緊張感が感じられることが多かった。「家族の病気などの問題が起こると、大変なことになるのかもしれない」と、いらぬお節介や心配をすることもあった。
ある農業経営では、単収などのレベルでは利益を上げる水準ではない。それでも利益を上げている所以はコストカットしかない。しかも、キャッシュフローに問題がなく、黒字決算を何年も継続していた。税引き後には内部留保を積み増ししているという、羨むような農業経営をおこなっていた。
経営資源をすべてつぎ込み、利益を追求する農業経営の姿を、普及は信じて疑わなかった。担い手が減少する農村にとっては、無理しないがゆえに継続可能な経営の存在そのものが、地域農業への最大の貢献になると思えて仕方がない。どんな農家の仕事でも、「継続することが大切」だと。
最近、このような経営のあり方を、減収増益に近い「適収適益」と呼ぶことにしている。すっかりOBの生活になって、日々「なあなあ」で暮らしている自分は、この光景が実に好ましい。普及指導員は、無理をしない農業経営を評価してくれるかな。
●写真 上から、
・県外の大規模野菜農家の作業場(ダイコン)
・県外の大規模野菜農家の圃場(レタス)
・刈り取り適期の水稲
・今年は少ない稲わらの野焼き
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。