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2023年4月27日
農業の属地と属人(その1)
ローカルテレビ局の番組中に、若い女性アナウンサーが視聴者からのコゴミの画像を紹介しながら、「ノビルに味噌を付けて食べるのが好きだ」と話していた。レアな山菜を知っていることに感心したが、「いや、まてよ。ノビルは栽培物が少なく、群生地もあまりないハズ。主に食用に利用される球根は深い地中にあって、味は生ニンニクに近いぐらい強烈な辛みがある。たぶん、アサツキと勘違いしているのではないだろうか」と、感想を口に出した。専門家ぶった物言いを反省しつつ、妻からは、いつものような「返し」がなくホッとした。この日、わが家の夕方の食卓には、近くの土手から採取した、初物の「アサツキとイカの酢味噌和え」が出されていたためだと思った。
雪解けが遅い地域も、一足飛びに春が訪れた。ソメイヨシノの開花はまだ先だが、ヒメエゾムラサキツツジの蕾は色づいてきた。庭のクロッカスやヒヤシンスは花盛りになった。4月上旬のことだ。例年になく早い春の温かさを実感していたら、9日の早朝には10cmもの積雪になった。物心ついてから初めての経験だ。
先月、普及指導員や研究員に話をする機会があった。
研修会の終盤に、「話の中にあった属地と属人について、具体的に説明してもらいたい」という質問があった。普及員時代に感じた地域の属地と属人の変化については、「話せば長くなるので、近いうちに公開するコラムを見てもらいたい」と答えた。今回のコラムは、その質問への回答である。
統計では、「属地統計」と「属人統計」がある。最もなじみのある農林業センサスは属人調査で、調査対象が他の市町村又は県外に農地や山林を保有している場合でも、その経営耕地面積や保有山林面積は、その農家や林家の居住する市町村の面積に計上されている。もちろん、属地調査も、改めて説明の必要がないほど、普及活動に利用されている。
行政から助成・補助を受ける場合、属人・属地という両面がある。補助や助成は属人が多いが、属地の場合もある。
その代表的なものに、農地法がある。属地主義の法律のため、農業委員会の基本は属地になっている。補助の対象となることが多い農業振興地域も属地となる。
双方が混在した施策もある。たとえば、米政策の「生産のめやす」は、耕作者たる農業者の属人へ情報提供されるが、「生産のめやす」そのものが、農林水産省⇒都道府県農業再生協議会⇒地域(市町村)再生協議会へ属地で情報提供されることになっている。もちろん、地域農業再生協議会から農業者へは、属地で情報提供されることになるが、最近のように出入作が混在するようになると、農業者側は、複数の地域農業再生協議会から情報提供を受けることになる。筆数が多く、複数の市町村に耕地が点在する大規模な農業法人になると、その苦労は計り知れない。
「めやす」のベースは市町村の水田台帳だが、筆情報や耕作情報を記載した営農計画書を農業者が提出しない場合もあり、営農実態の把握が難しい事例が多くなっている。不登記の場合や、耕作の取り決めをしないで他市町村へ転出し、結果として作放棄地化してしまった場合など、市町村の担当者は数多くの課題を抱えている。主食用米を作るのが「ポジ」ならば、水田転作は「ネガ」との認識が強く、この「ネガ」に補助事業が用意されていることによる。農業者の営農は属人ではあるが、農業者への助成は、限りなく属地の枠組みの施策のためである。
この4月に施行された改正農業経営基盤強化促進法の目玉は「地域計画」だと知られているが、単純に言えば、属地の中で担い手を明確にするといった施策になる。地域農業者の視点からすれば、「地域の営農形態が大幅に変化しているのに、大丈夫だろうか」という心配が尽きない。農地は財産であって資産ではない、という思いが続いているからに違いない。地域の各人が、平等に権利を有すると同時に、義務を期待しているからでもある。
普及は農業者本人を目標にしていることが多いため、「普及活動では、ほぼ属人だ」と先輩普及員から指導されてきた。しかし、実際の農業の現場では属地的な事柄が多いことから、普及活動は、地域の実態に合わせることが多かった。先輩普及員の引き出しの多さに驚きながら、総合指導活動は、引き出しの多さ=経験なくして主担当は務まらないと思った。地域で大きな事業を計画する際には、関係者の合意形成が前提になるからだ。合意形成を目的にした集落座談会(今風に言うとワークショップ)では、集落の関係者の属地意識は高いが、当時から兼業農家が多く目的意識が多様なため、普及活動は苦労の連続だった。
若い普及員だった頃の私は、目に見える形になりにくい総合指導活動に疑問を抱きながら、普及活動を分担していた。当時の普及計画は、総合指導活動と拠点指導活動に分類されていたが、生産組織等の目的集団を普及対象にした拠点指導活動に魅力を感じることが多かった。農業者への普及活動が属人的な課題として、実にシンプルだったからだ。栽培技術を切り口にした普及活動に魅力を感じるのは、若い普及員にとっては、自然な成り行きだった。
最近は、担い手が激減し、属地で言えば関係農業者が少ないことから、合意形成はままならなくなっているという。担い手の減少対策は昔からの課題だったが、担い手の絶対数の不足は「これ、ここに至れり」のような状態で、好き嫌いに関わらず、また、有無を言わさずの状態になっている。「少人数の担い手の合意を集落全体の合意と見なして、突っ走るしかない」と。問題はあるが、やらざるを得ないのだ。「集落内からは、心配するほど異論が出てこない」のも、最近の傾向だと聞くことがある。
人・農地プランの策定で苦労した農業者に対して、「話し合いが、曲がりなりにも成立する地域はラッキーだと考えた方が良い。多くの地域は、それすらできないのが実情だ。昔は、話し合いが難しい地域はなかった」と、少しでも前向きにと、伝えたことがあった。農業者の心配は、農村地域では属地として果たさなければならない役務が多いからでもある。
将来性を感じる農業法人が、数年前から多くなってきたと感じる。普及指導員に2年間同行し、県内各地の産地・法人を訪問するたび、その思いは強くなっていった。(次回につづく)
●写真上から
・満開になったヒメエゾムラサキツツジ
・新しく山菜園の一員になったフキのオリジナル系統
・4月9日の早朝に庭木に着雪した季節外れの大雪
・同 一面の銀世界に逆戻り
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。