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2021年8月30日
農村の風景(その3)
田舎で生活していて、改めて人口について考えることが多くなった。人口減少社会のマイナス面はよく知られているが、物事には両面があるはずで、プラス面も意識してみることにしている。
時折、コロナ禍の自粛疲れが話題になるが、田舎で暮らしていると、実感がわかない。理解できないという表現の方が正しいかもしれない。「多分そうなのだろう」と想像してはみるが、感染者数が増加しているとのニュースには、「都会の人は辛抱がたりない」とか、「そこまで飲食したいのか」とか、冷たく突き放したりする。それでも、都会での生活は人流をベースに成り立っているから、自粛疲れは相当なものだろうと、少しは好意的に思ったりする。
田舎では、「自助」を圧倒的に大事にする風潮が強い。だからこそ、「共助」の概念が成り立つのだ。最近では、人口減少に伴って、相対的に教育・福祉や医療の面の「公助」が手厚くなってきていると感じる。都会では、権利意識が強すぎて、「自助」がかすんでしまっているのが原因ではないかと想定してみる。食事ひとつとってみても、人流せざるを得ないだろう。ここに、コロナ禍における課題の底流があるのではないか。それでいて、ワクチン接種を受けない人たちが大勢いるようだ。集団免疫の概念を個人的に除外して考えるのは、単にわがままなだけだと思う。妻が漏らした「『ワクチン接種が個人の権利として尊重されるべき』という解説は、理解できない」という感想には、たちどころに共感した。それでも「人口が多いところは大変だ」という意見にも同意するのだった。
新規参入を希望する人たちには、「人口減少下の農村生活を選択するあなたたちは、先見の明がある。閉鎖的と言われ続けた農村でも、担い手は一定水準を超えて減少し、農地は受け手市場になって久しい」と説明することにしている。
ただし、「田舎暮らしは、とりあえず現状を受け入れるところから始めるべきだ」とし、「農村の人でも、都会と同じように他人に忖度はしないので、コミュニケーションをしっかりと取るように」と続けている。「帰省気分の農村ライフを期待すると、手痛いしっぺ返しがある」とも付け加えることにしている。「都会での生活は、ほぼすべてにおいて人間関係が絡むが、農村では比率がかなり少ないため、自らの生活そのものを実感できるようになるのが農村生活の良いところ」と。
近年、DXが加速的に進んでいる。ネット社会であるし、5G(もうすぐ6Gも)が一般的になりつつある。銀行は通帳レスが進み、買い物もネット通販だ。関心が高い移動手段は、自動車を運転できれば今のところは心配ない。
「その昔、農業改良普及員の携帯品はメジャーとルーペ、そして温度計だった。今はスマホで、農業者とクラウド上でデータを共有化している普及員もいる。画像を拡大すれば、老眼でも葉ダニが確認できる。これぞ"普及指導員に金棒"だ」という私の説明を聞いていたのは、取材に来た地元紙の記者だ。彼は人口減少下の農業の、マイナス面の話を期待していたのだろう。
「人口減少は、たしかに農村社会に深刻な影響を及ぼしているが、先進技術はマイナス面を補って余りある。世の中の変化は、農村にこそ有利に現れるのではないか」「分野は違うが、田舎では、かなり前から超少人数学級になっている。本来ならば望むべき方向だが、保護者や教師が、その価値を見出していない」「農業者と普及指導員の関係も同じ。ただし、具体的なアクションをとらないと、時間が解決することにはならないだろう」と説明を続けた。彼は黙って話を聞いていたが、「人口減少は、地域社会にとってマイナス要素として理解するのが一般的。『プラス面は農業が最右翼で享受できる』などと話すこの人との会話は、時間の無駄」という彼の心の声が感じ取れた。
これ以上我慢できなくなったのであろう。彼は、「ならば、自動車を運転することが難しくなった高齢者は、医療や福祉の面では大変ですね」と質問してきた。「5G、6Gの時代はリモート診療だろう。医薬品はドローンで宅配。通院の場合は自動運転だ」と答え、「農業はリモートセンシングの実用化が進んでいる。トラクターは自動運転だし、収量コンバインは知っている?」とたたみかけた。それに対する彼の答えは「すみません。次の約束があるので帰ります」であった。記者というものは、あらかじめ想定したストーリーを裏付けするために取材をするという、職業的(?)な行動パターンがあるらしい。「まったく。無駄な時間を過ごしてしまった」とは、彼の心の声の代弁だ(記者は農学部卒だと、以前に自己紹介を受けていた。念のため)。
農業、農村では担い手不足が進んでいて、それを意識せざるを得ない地域が多くなっている。条件不利地といわれる中山間地域ほど、その傾向が強い。
里山では、獣を多く見かけるようになった。熊、タヌキ、アナグマ、ハクビシンとキツネ。新しいところでは農地を勝手に掘り起こすイノシシも加わった。猟友会に所属する知人からは、「イノシシを発見しても直視してはいけない。できる限り静かに木立の陰に移動するのが肝心だ。ツキノワグマは反対に、直視しながら後ずさりするように」との真剣なアドバイスを受けているが、獣と直面した時、とっさにそのような行動が取れるかどうか、自信がない。それよりも、競争相手が少なくなったおかげで、里山では山菜が採り放題の状態になっているのが実に魅力的だ。20年前には考えられなかった。これも、山に人が入らなくなった証だと理解している。
農地は持て余すぐらい多い。耕作放棄地化しないように悩むほどだ。農村地域に残る多くの農業の担い手から、同じような話を聞く機会が多くなった。山奥の条件不利地を耕作する勇気は、すでになくなったという。10年ほど前に、経済的には疑問を感じながらも、志を持って条件不利地に向き合っていた農業者の苦労が忍ばれる。耕作放棄地化した農地を担い手の彼らに委ねることなど、最初から無理筋の話になってしまった。すでに、農地は区分して考えざるを得ない時代になったと実感することが多くなった。これに対処するのは、早いほど良いと思っている。
●写真上から
・スベリヒユの花(山形県では好んで食用にする地域がある)
・水路などの雑草の中で咲くムラサキツユクサ
・アズキの花
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。