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2023年4月 7日
小さなゾウムシ――牙はむいても戦わず
散歩に出ると、あちこちでコブシの白い花を見るようになった。花からもう、葉の装いに変えている木もある。
冬の間は「芽鱗」という、花芽を覆う毛皮のコートのようなものをまとっていた。コブシの花咲く散歩道にはそのコートが落ちているので、この季節になるとそれを拾うのを楽しみにしている。
とにかく、かわいらしい。なんとなく、カモシカの蹄(ひづめ)を思わせる。わが家の子どもが幼かったころは鼻の下に当てさせ、ひげ遊びをしたものである。
右 :地面に転がるコブシの芽鱗は、毛皮のコートのよう。ビロードみたいで、手ざわりもいい
一般に「若葉のころ」とは言っても、「新芽のころ」とは言わない。その代わり、季節にマッチした「芽吹く」という表現があるのだから、それでいいんだよなあ、と思いつつ、これまでに撮った写真を雨の日にながめていた。
わが家の近くだと、寒い冬の間はどうしても樹皮の下のちっぽけな虫の観察が中心になる。そこには小さなカメムシやゾウムシ、トビムシ、テントウムシなどがいてそれなりに興味深いのだが、春になってからの彼らの行動を追ったことはない。周辺でいろんな虫が動き出し、それらを追いかける時間が長くなるからだ。
そんな中、今年こそはと思っているのがゾウムシの〝牙〟の写真撮影だ。
だれもが想像するように、あのゾウの鼻に似た器官を持つ虫だからゾウムシと呼ばれるようになった。ちょっとだけちがうのは、虫のそれは鼻ではなく、口吻(こうふん)であることだ。人間でいえば、口に当たる。
だがたいていは鼻に見立てるし、それで不都合はない。シギゾウムシの仲間は鳥のシギの長いくちばしを思わせ、名前にシギとゾウの両方が付いている。それでもゾウムシの仲間なのだから、見つけたときには一度でふたつの獲物を得たようでうれしくなる。
お気に入りのひとつは、カツオゾウムシの仲間だ。その名の通り、かつお節を思わせる。削る前のかちんこちんのかつお節にそっくりでけっこう大柄なので、出会えばなんともうれしくなる。
左上 :エゴシギゾウムシは長吻タイプのゾウムシ。鳥のシギに見立てたところは見事だ
右下 :カツオゾウムシの仲間は体長1cmぐらいあるものが多い。大きくて、かつお節風なのもご愛きょう
だが、きちんとした写真を撮りたいと思っているのは小さなゾウムシだ。それに珍しくもない、普通種といっていいものである。
樹木が葉を広げると、冬の間はじっとしていたゾウムシたちも活動を始める。 近所の公園にはコナラやクヌギの木が何本も生えていて、その葉はしばらくすると、小さなゾウムシたちのえさ場や繁殖の場に変わる。
よく見かけるのがカシワノミゾウムシという、体長5mmもない小さなゾウムシだ。ノミのように小さいからかノミのようによく跳ねるからなのか、名前の由来はよく知らない。
もうしばらくして葉がかたまれば、葉のふちに袋状のふくらみができ、それをゆりかごにして、幼虫が育つ。言ってみれば、ご近所のおなじみ虫だ。
左上 :カシワノミゾウムシの幼虫やさなぎが入っている袋状のふくらみ。コナラやクヌギなどの葉でよく見る。いったい、どれだけいるのだろう
右下 :これは口吻が長いから、カシワノミゾウムシかな。顔を横に向けて眠っているみたいだけど、昼寝はしません
拡大してみると、目がかわいい。そしてゾウムシの特徴である口吻がはっきりしている。
しかも1本の木に何匹もいるから、写真を撮るときもあまりジロジロとながめない。素人カメラマンはただ、シャッターを何度も押すだけだ。体が小さいので風がそよと吹けばブレて、ボケた写真になってしまう。ほんとうにボケなのはボクのほうなのだが、そんなツッコミをする者はなく、ひとりぼっちで撮影する。
カシワノミゾウムシの体の模様はどこにでもありそうなもので、説明しにくい。それにちっぽけな虫なので、ざっと見て、「ああ、おなじみさんだね」ということで終わる。
冬の間はよく見た樹皮下のヒレルクチブトゾウムシだって、「ああ、カシワノミゾウムシに似たやつだな」で終わり、もしかしたら別種かもと、真剣に名前を調べるようなことはしない。
それなのにたまたま、知ってしまったのだ。
羽化してしばらくのカシワクチブトゾウムシは〝牙〟を持っていると。
「えええ。ゾウムシなのに、ゾウなのに、牙がある?!」
さすがに声を上げることはしなかったが、心の中ではそう叫んだ。
右 :ヒレルクチブトゾウムシだと思われる1匹。だが、似たものが多くて困りマス
冷静になって考えれば、ゾウにだって牙はある。ということは、牙があってはじめて、「ゾウムシ」と呼ぶのが正しいようにも思えてきた。
ゾウの牙は門歯(切歯)が変化したものだそうで、水や塩分を含む土を探すときや木の根を掘る際に道具の役割をしたり、身を守ったり攻撃したりするためにあるという。
それはなんとなくわかる。だが、ゾウムシの場合にはなんのためにあるのだろう。
「そんなのは当然、アレのためだよ」
なんて言える人は専門家であって、ふつうはわからない。
百科事典によるとゾウムシは口吻の長さから、短吻タイプと長吻タイプに分かれる。牙があるのは短吻タイプで、幼虫時代は土の中にいて植物の根を食べる。成熟した幼虫は土の中に部屋をつくってさなぎになり、羽化したばかりの成虫には「牙状の付属突起」があるという。
どうやら、牙のあるのは成虫の一時期だけ、つまり期限付きの器官のようである。その牙状の付属突起は、新成虫がさなぎの部屋から抜け出して地上に出る際、土を掘るのに使うといった説明がされている。
農業の世界で害虫となっているヤサイゾウムシやヒョウタンゾウムシ類などは、カシワクチブトゾウムシと同じように土の中で幼虫時代を過ごす。そんな習性があるためか、同じように牙状の突起を持つことが知られる。
ゾウとゾウムシなんて、比べようのないほど差がある生き物だと思っていた。それなのにどちらにも牙があり、しかも単なる飾りではない機能があるのだから恐れ入る。
左 :トビイロヒョウタンゾウムシ。この仲間も成虫になったばかりのころは牙を持っているそうだ。もしかして、牙がずっとあれば野菜への被害は減る?
いつか目にした農業研究者の論文では、ヒョウタンゾウムシはクチブトゾウムシ亜科に属すると紹介したうえで、地上に脱出してまもなくすると牙状の突起は脱落すると記されていた。さすがによく観察している。
「なるほどなあ。ってことは、そういうゾウムシの牙は穴掘りの道具として使われ、地上に出たらもう用済みってことなんだな」
単純な脳ミソでそう判断した。
だがしかし、以前撮った写真に写っていた牙は、片方だけのようである。
それは両方の牙を同時にポイすることはないという証拠にも見える。となると、なんでやねんという疑問がわいてくる。
そこでもう一度、事典のお世話になった。
すると、地上に出た成虫は植物を強くかんで、自分の牙を落とすのだよと記してあった。
このときちょうど歯が痛くて、お医者さんの世話になっていた。そんなときにこんな知識を仕込んだものだから、自分で牙を落とすとどれくらい痛いのだろうと心配になった。ニンゲンであるこの身は、体全体からすればほんのちっぽけな奥歯をかみ合わせるだけで涙目になる苦痛を味わっているのだから、ゾウムシの痛みはいかばかりかと。
しかし牙を落としたあとの生活を考えると、たしかに牙は邪魔になる。口吻が長いタイプはともかく、短いタイプだと牙があると食べたい葉に歯が届かないような気がする。牙はなるほど、邪魔そうだ。それはゾウムシにとって一大事であろう。
右 :左側の牙状突起らしきものが見えるカシワクチブトゾウムシ。せっかくだから、2本とも牙が付いた状態で見たいなあ
しっかりした牙が生えているゾウムシを見たいし撮影もしたいのだが、それは彼らの不幸をわらうような行為ではないのか?
万物の霊長などとほざくニンゲンが、小さなものにもっと愛を注ぐべきではないのか?
牙は見たいが、痛いのはかわいそうだ。それでも農業被害を考えると、牙を落として葉をかじりやすくなってからの成虫の害は少しでも避けたい。
そんな疑問があれこれ沸いてくる。
となると、牙持ちゾウムシに出会うのは幸運なのか?
春は悩みの季節でもある。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。