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きょうも田畑でムシ話【101】

2021年8月11日

蚕――時代をつなぐ妙なる糸  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 たまたま、またまた、蚕を飼うことになった。
 蚕はそれまでにも幾度か飼っているのだが、白い繭をつくる品種ばかりだった。
tanimoto101_0.jpg ところが今回は黄色い繭をつくる蚕だったので、つい手を出してしまった。手に入れたのは、生きたさなぎが入っている「生繭」である。
 養蚕の思い出を語れる人は農村部にまだ、いくらでもいる。それはそうだろう。かつての日本は蚕によって、国を富ませようとした。 しかし、養蚕農家を名乗る人はもう、いくらもいない。
 分けてもらった繭から4匹のカイコガが羽化したのは11月の初め。そのまま年を越し、物置に入れっぱなしだった卵の様子を見たのが3月の半ばだった。
右 :産卵中の蚕。振り返って確かめることなく重ならないように産むなんて、スゴすぎる!


 経験不足で、いつふ化するのかさえわからない。それでもえさになる桑だけは確保できるようにしておこうと、近所を歩いてヤマグワが生える場所を探した。
 ありがたいことに、ヤマグワは至る所に生えていた。だがそのころはまだ芽吹いておらず、ふ化が始まったら、どうしようもない。スタート時点ですぐにジ・エンドになる。
 はらはらしながら毎日のぞいては、黒っぽい卵が卵のままであることに安堵し、ヤマグワの様子を見て歩き、芽がふくらんだものがあると早く大きくなりなさいと声をかけた。もちろん、心の中で。
 と、明日からもう4月という日。青黒い卵から、黒い糸くずのようなものが出てきた。久しぶりに目にする毛蚕(けご)である。
 もはや、猶予はない。
 あわてて外に飛び出し、目星をつけておいたヤマグワを見ると、葉を広げ始めていた。
 自然のサイクルは、じつにうまくできている。えさが確保できる時期になるまで蚕はふ化を待っていたのだろう。


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左 :ヤマグワは苦労することなく見つかる。でも、もしかしたら元は栽培されていた「野良桑」かもね
右 :お誕生日おめでとう! 卵から出やすいように、毛はおしりに向かって流れている


 だが、よくよく考えてみれば、タイミングが良すぎる。やたらと目につくヤマグワだと思っている桑はもしかしたら、かつて栽培されていたものが逃げだした野良桑なのかもしれない。あるいは、栽培桑の実を鳥が食べてまき散らしたものなのか......。
 そんなことも考えたのだが、まずは蚕だ。蚕のえさだ。山菜摘みでもするように、蚕になったつもりで、やわらかそうな部分を集めて持ち帰った。


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左 :毛蚕にはやわらかい桑の葉を与える。「さあ、育てるぞ!」という気合いをこめて
右 :ミノムシはいつまでたっても、こんな感じ。いくら時間をかけても、種で決まった大きさにしかならない

 とりあえずは虫好きのひとりとして通っているが、芋虫・毛虫にはいっかな慣れない。 ひとに対しては「こうして見るとかわいいですよ。ねねね、子猫ちゃんみたいでしょ!」などと話すのに、その実、チョウ目では限られた幼虫にしか興味がない。蚕にしても、多くの人が蚕がイモムシだということに気づいていないのではないかとさえ疑いたくなる。
 仮に勘違いしているとしても、わからぬでもない。
 ミノムシがいい例だ。ミノムシはミノムシという独立した種類なのに、あの蓑のままどんどん大きくなる虫だと思う大人が少なからずいる。
 小さな蓑の中にいるミノガ類の幼虫が大きくなれば、蓑は大きくなる。だが、種としての限界に達したら、それ以上の蓑をつくることはしない。そして時至れば、はねを生やした蛾となって空に飛び立つのだ。
 それなのに、目の前のミノムシを見て、愛情を注いで育てればまだまだ大きくなると信じる人たちがいるのは事実である。だからミノムシと同じように、蚕は蚕という特別な生き物であり、世にいうイモムシなどであるはずがないと思う人がいることは理解できる。
 でも、それでいいのか、「蚕の国」ニッポン。
 などと言ってみたくなるが、それはさておき、ふ化したばかりの毛蚕を見れば、イモムシだろうがなかろうが、素直にかわいいと思ってしまう。
tanimoto101_6.jpg 2齢もそうだ。3齢もまだかわいい。それがぼくにとっての限界のようで、それから先の大きくなった蚕にはどうしてもなじめない。坊やでしかなかった男の子が中学生にあると声変わりし、ひげまで生えてくると、それまでとはちがった生物に見えてくる母親の心情に近いのか......なーんてことまで思ってしまう。
 えさを替えるときに、蚕の体にふれることがある。
 あっ、と手を引く。
 しかし、その手に残る感触はしっとり、しなやかで、あの絹そのものだ。
 それでもやっぱり、積極的に手にしたいという気持ちはおきない。直接ふれると蚕が病気になるように思えて、それを理由にドント・タッチの精神を貫いている。
右 :頭でっかちの蚕のお子さま。幼いうちはどんな生き物もかわいいものだ


 小学生に黄色い繭の話をしたら、その中から、黄色いカイコガが生まれるのかと尋ねられた。
 なるほど、もっともな疑問だ。
 だがしかし、残念なことに羽化するカイコガの色は純白と言っていい白さで、黄色い蛾にはならない。
 ついでにいえば、黄色い繭でも毛羽が白いものも多く、繭の内側は黄繭でも白いから不思議だ。吐く糸の色をいったい、どうやって使い分けているのだろう。


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左 :黄色い繭から羽化したカイコガ。当然のように色白だった
右 :白い繭と黄色い繭。カットして見たら、内張りはいずれも白だった。ああ、おもしろい


 蚕の先祖は中国由来のクワコだとされているが、日本で見るクワコの成虫はたいてい、茶褐色である。だから茶色や黒っぽいカイコガがいてもいいようにも思うのだが、これまでに見た限りではどれも白いカイコガだった。
 というわけで、黄色いカイコガはいないと思う。
 ともあれ、そうやって飼い主に突き放されても、わが家の蚕たちはわが道を行く。与えられた桑の葉を食べては食い、食っては食べて、食べ尽くす。
 ――と言いたいところだが、蚕はなかなか、与えた桑の葉をきれいに平らげることはしない。新しい葉にはすぐに飛びつきかじり始めるのだが、まだ残っていても、その葉にはもはや、口を付けない。2枚の重なった葉があれば、下の葉は食べ残すことがほとんどだった。
 もしかしたら、ぼくの指導がよろしくないのかもしれない。だが、ぜいたくといえば、ぜいたくな食べ方である。
 蚕網というものがあることは知っていたが、使ったことはもちろん、ない。それでも上へ上へと向かう性質のある蚕を飼育する際にあると、便利そうではある。
 100円ショップに出かけたら、うまい具合に、やわらかい材質の網が見つかった。それを桑の葉にふんわりとかぶせておくと、蚕は網目をくぐり抜けて網の上にある桑の葉に移って、食事を始める。蚕網はなんともうまくできた仕掛けであり、先人の知恵に感心する。
 えさやりの際には、その「蚕網モドキ」を活用した。いやあ、実に便利なものだ。掃除もしやすくなった。


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左 :100円ショップのビニール網が「蚕網モドキ」に変身! 使い勝手は意外にいい
右 :ほれぼれする食べっぷり。えさのやりがいがあるというものだ......けど、けっこう大変


 食べ残しは相変わらずだったが、ヤマグワを食べに食べた蚕はすくすくと育っていった。そして、なんとなく体色が変わり、熟蚕と呼べる段階に近づいた。
 慌ててまぶしを用意する。
 よそで何度か見せてもらったのは、知識としては持っている回転まぶしだった。
 だが、そんなすばらしいまぶしの持ち合わせはない。
 そこでススキに似たオギの穂を束ねたり、金網や猫よけマットを曲げたり、トイレットペーパーの芯、段ボール紙の方形枠などをつくったりして来たるべき時に備えた。


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左 :稲わらで作った「むかでまぶし」だったが、蚕は箱の隅がお気に入りのようだった
右 :トイレットペーパーの芯まぶしの中で、蚕が繭をつくる。仕上がりは黄繭でも、その足場にした毛羽は白い


 その甲斐あって、お蚕さんは見事な繭をこしらえました。めでたし、めでたし。
 とまあ、こうなるはずだった。
 いや、たしかにそのようにはなったのだが、不思議なことに白い繭が混じっていたのだ。
 親は、雌雄とも黄色い繭から生まれた。黄色い繭をつくる品種と黄色い繭をつくる品種の交配種だ。
 「――ということは、黄色い繭になるはずですよね?」
 蚕の専門家である友人に尋ねた。
 「そうですね。黄色からは黄色がふつうだから、品種として固定されていない蚕ではないですか。白い繭ができたなら、その先祖に白繭の蚕がいたのでしょうね」
tanimoto101_12.jpg さもありなん。しからば学校で習ったメンデルの法則にしたがっているのか?
 黄色がひとつ、白がふたつ、黄色がみっつ、白が......。数えてみた結果、540個の繭のうち2割が白繭だった。そして、それまでに死んだ蚕、途中で放棄された繭などを加えると、ふ化して飼っていた蚕は600匹を超していた事実まで判明した。
右 :収穫した繭は500個を超したが、2割強は白い繭だった


 なるほど。道理で、桑の葉がたくさん要ったはずだ。
 わが家の庭にも自然に生えてきた桑の木が数本あるが、それでなんとかなると思ったのは大きな誤算だった。
 熟蚕になるころには日に3回のヤマグワ探しが日課になり、道ばたで枝を切っていると、奇異の目で見られた。わざわざ車を止め、「オマエハ ナニヲ シテイルノダ?」という好奇の目を向けるドライバーさえいた。
 600匹という大量の蚕なんて飼ったことがないし、飼うつもりもなかった。まさに、たまたまそうなっただけなのだ。
 とはいうものの、養蚕農家からみれば、ままごとみたいなものだろう。
 それでもこの数の蚕を飼ったことで、桑の葉の形も驚くほどさまざまであり、同じ手間なら、葉が大きい桑が欲しくなるということもよくわかった。だからこそ、桑の品種改良も熱心に行われてきたのだろう。野良桑というボーゲンを吐いた自分を、大いに恥じたものである。


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左 :黄繭の白毛羽。こういう繭も多く見られた
右 :切れ込みが深いと食用部分が減る。ということは、量を確保するのに時間がかかるということだ


 「ところでその繭、どうするの? 糸をとるの? 布を織るの?」
 冷凍・乾燥したから、手元の繭からカイコガが羽化することはない。だが、新たなモンダイが起きている。
 繭のにおいが充満する部屋で、これだけの繭をどうすればいいのかと思案しながら過ごす毎日だ。
 一反の着物地には、3000個近い繭が必要だとか。ということは今回飼った蚕の5倍は飼育しないといけない計算になる。とてもじゃないが、お手上げだ。
 蚕はむかし、食べるために飼われたという説もある。さなぎが入った繭をチューチュー吸っていたある日、糸が引っ張り出された。それで繭から、糸をとることを思いついたというのだ。
 それで煮繭から直接、糸を引く「ずる引き」という技が生まれたと聞けば、そうかもなあと思えてくる。
 昆虫食が現実になってきた。しからばいっそのこと、目の前の繭をしゃぶってみるか。
 ますますムズカシイ問題を前にして、飽きることはない。
 そんなネタを提供してくれた蚕に、まずは感謝だ。それくらいなら、迷わずできる!
 お蚕さん、ありがとう。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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