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きょうも田畑でムシ話【92】

2020年11月 6日

ヤマトシジミ――空の衣をまとう踊り子  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 ギリシャ神話に、ゼピュロスという西風の神が登場する。トラーキアの洞くつに住み、ほおをふくらませ、青い顔をしながら豊穣をもたらす春風を運んでいた。
 そのゼピュロスが、妻である花の神・フローラに仕えるアネモネに恋をした。腹を立てたフローラは、アネモネを神殿から追い出した。まあまあ、ありそうな展開だ。
 だが、ゼピュロスは思った。
「それは、あんまりじゃないの」
 それでアネモネを花に変えてやり、春になるとやさしい風でなでつけるようになった、というような話だったと思う。


tanimoto92_0.jpg そんな神話にちなむ小さな樹上性のシジミチョウの一群に与えられた呼び名が「ゼフィルス」だ。メタリック調というのか宝石のようなというのか、それはそれは美しく輝くはねをちらちらと見せびらかすようにして高いところを舞う。
 そんなのがいたら、手に入れたくなるのが愛チョウ家だ。かくして、長い竿につけた捕虫網を手に手に、初夏の森を訪ね歩く。

 ぼくにその趣味はない。
 学生時代のほんの一時期だけチョウを採集したが、それで終わりだ。標本箱におさまるチョウを見れば美しいと思うし、手元に置きたいという気持ちがないといえばうそになる。
 だがその前に、大きな問題がある。
 なにしろ、ブキッチョなのだ。大柄のアゲハチョウやスズメガなら昆虫針をさすこともできるが、あんなに小さなチョウの胸をきちんと留め、薄いはねを広げて展翅するような職人的な作業ができるはずもない。だからゼフィルスを追いかけることもなく、身近にいるシジミチョウを目にするだけで満足する。
左上 :みつを吸うヤマトシジミ 。遊園地のティーカップのように見えた


tanimoto92_1.jpg 代表種がヤマトシジミだ。名前からして、いかにも普通、どことなくやさしい。
 夏に向けて毎年、ニガウリを育てるための準備をする。支柱を立て、テキトーにネットを張るだけで、ありがたいことに実をつけてくれる。
 その黄色い花にやってくるのがヤマトシジミだ。気が向くたびに写真を撮った。
 そんな中に、おかしげな格好でとまるものがいた。

「おんや、なんだべ?」
 という気持ちでレンズをのぞくと、クローズアップされたところに浮かび上がったのはアズチグモだった。よく見かける小さなクモで、花にとどまり、おっちょこちょいの獲物が近づくのをじっと待つ。そしてようやく、ヤマトシジミを捕らえたところだった。
 長いこと花のフリをしてありついた、久々のごちそうだろう。「よかったね」と声をかけてやってもいい感動的なシーンである。
 だが、たいていはチョウの側に立ってしまう。
 しかも犠牲になったのは、なんともかれんなシジミチョウなのだ。
 それなのに、これも自然界の掟なのだから仕方あるまいと納得しつつシャッターを押す。われながら、なんと非情、なんたる身勝手か。
右上 :アズチグモに捕まったヤマトシジミ。黄色いニガウリの花に黄色のクモ。注意信号のつもりだった?


 ことしは遠くに出かけなかった分、近所の虫たちに付き合えた。それらは、田畑の周辺にいる虫でもある。
 シジミチョウに限っても、クズに依存するウラギンシジミとウラナミシジミにはよく出会った。それまではちょっと探してあきらめていたチョウたちだから、素直に喜んだ。
 そして何度か飼育し、これまで撮りたくても撮れなかった写真も撮れたのだから、まずまずの成果といえる。


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左 :ミズイロオナガシジミ。ゼフィルスの一種だが、低地性なので身近なところで見る機会もある
右 :毎年のように見に出かけたヒメシジミ。群れている場所があって、いることが確認できるとほっとした


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左 :碁石模様のはねを持つゴイシシジミ 。幼虫がアブラムシを食べることで有名なチョウだ
右 :青いはねが美しいムラサキシジミ。集団で冬を越す習性が知られる


 ゼフィルスに特別な興味はないが、それでも、野外を歩いているといくつかのめぐり逢いはある。
 奈良県をぶらぶらと歩いていて出くわしたのは、ミズイロオナガシジミだ。平地で見られるゼフィルスの一種として知られる。
 年に数回訪れる長野県の白馬村では川岸に群れるヒメシジミを欠かさず見に行き、そこにいることを確かめてほっとした。
 夏には高原を歩くことも多かった。そのため、その幼虫がアブラムシを食べることで有名なゴイシシジミも幾度か目にしている。
 地元・千葉県の公園をぶらつきハンノキをながめていたら、見ず知らずの人が「これ、ミドリシジミの卵ですよ」と教えてくれたこともある。そこでは、青色のはねが美しいムラサキシジミもたびたび見た。


tanimoto92_6.jpg 古くからのおなじみさんということでいえば、ベニシジミも忘れてはいけない。あまりにも当たり前に目につき、しかも赤っぽいはねを見せびらかすだけに、無視しようにも無視できない虫である。
 なーんて、だれもが言いそうなおやじギャグをかますことにもなる。
 そんなこんなで、シジミチョウとも多少のお付き合いはある。
 ニガウリの花にとまろうとしたばかりにアズチグモのえじきになったヤマトシジミはもともと、わが家の庭にたくさんいる。
 しかも長い期間にわたって滞在する。そんなチョウを飼うなんて、考えたこともなかった。
右 :ヤマトシジミと同じくらいおなじみのベニシジミ。それでもはっとする美しさを備えている


 それが、ことしはちがった。クズの花で見つけたシジミチョウ2種を飼育したことでスイッチが入ったのか、もはや魔がさしたような感じで飼うことになったのである。
 ウラギンシジミ、ウラナミシジミに与えるクズの花を探しに、いつもの散歩コースに出かけた。そこで目撃したのが、ヤマトシジミの産卵だった。
 カタバミの葉をえさにすることは知っていた。しかし、いつでも庭で見られるチョウだ。必要があれば、いつだって飼育できるだろうと安易に考えていた。


 ところが、である。いざ幼虫を探そうとすると、わが家では見つからない。
 いないはずはないので、それだけの根気や情熱がなかったというのが正しい。
 それなのにその日は、ちょうど卵を産む場面に出くわしたのだ。
 となれば、わがローガンの出番である。
 そこだと思われるあたりに目を近づけると、おお、小さな卵があるではないか。
 カタバミだから、なんということもない道路際に生えている、ありふれた雑草のひとつだ。数枚ひきちぎったとしても、おそらくだれもとがめまい。
 そう思いながらもなぜか、あたりをきょろきょろと見回し、人影がないのを確かめてから、いつも持ち歩く容器に素早く入れた。
 ごくごく身近な普通種だ。わが菜園ではモンシロチョウ、キアゲハ、ジャコウアゲハなどと並ぶ常連組だ。なにもここで採集しなくてもいいではないか、という声も聞こえそうだが、押しいただくようにして持ち帰った。


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左 :ヤマトシジミのカップル。とまっている葉はカタバミではないから、このあと移動するのだろう
右 :ヤマトシジミの卵。その造形美は、ルーペでもないと、とても見られない


 さあ、観察だ。
 考えてみれば、たいそうな名前がついている。日本を代表する「大和」なのだから、まさかの戦艦級のグレードだ。
 「日本植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎は、記念すべき命名植物をヤマトグサとした。高知市の牧野富太郎植物園でそれを見たことがあるが、素人目にはなんとも地味な草だった。
 ということも併せ考えると「ヤマト」は、じつはなんともすごい名前なのだと思えてきた。そういえば、大和言葉なんて言うもんなあ、とまさに単純な思考回路しか持ち合わせていないシアワセ者なのである。


 とにかくローガンなのだから、ルーペは必需品だ。
 容器といっても5cm×5cm×3cm。パパッと計算して、75cm³だ。まさに手のひらサイズの空間で、卵から幼虫、さなぎ、成虫に変態するところを見せてもらえる、ありがたいチョウだということを初めて認識した。
 そんなことで弾みがつき、結局は数度にわたる飼育を試みた。


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左 :ヤマトグサ。日本人が初めて自力で命名した記念すべき植物だが、素人目にはいかにも地味だ
右 :ふんを出すヤマトシジミの幼虫。よく見ると目玉のような白いものが見える。それが伸縮突起だ


 予備知識はほとんどない。ながめていると、不思議なものが目に入ってくる。
 ウラギンシジミの幼虫を飼いだしたのは、おしりの方に突き出た煙突のようなものから、〝花火〟が打ち上がるのを見るためだった。そしてうれしいことに、見せてもらうこともできた。
 写真撮影ができなかったのは残念だが、ぼくの場合、それはよくあることだ。数々の中途挫折の歴史を持つ。
 そしてその仲間であるヤマトシジミの幼虫で見つけたのが、おしり近くにある白っぽい目のようなものだった。
 そのあたりを顔に見立てれば、まぎれもなく目だ。丸い頭の緑おばけの白っぽい目玉に見えた。

 はて、さて、と本で調べたら、「伸縮突起」と書いてあった。そのすぐ先には、守護役をつとめるアリに甘い汁を与えるためのみつ腺があるということも――。
 知らないことが多いということは、本当にありがたい。その名前を知っただけで得した気分になれるのに、解説を読むとウラギンシジミの花火煙突と同じもので、ヤマトシジミの幼虫の場合には、アリの警戒フェロモンに似た物質を出すと書いてあった。

tanimoto92_12.jpg ヤマトシジミの幼虫は、終齢でも1cmほどにしかならない。したがって、その伸縮突起も小さい。自分の目で確かめることはできなかったが、本の写真を見て、ヒドラのようだと思った。
 いやあ、うれしい。カタバミなんて、十円玉を磨くときに使うことしか考えていなかったから、そこにかわいい虫がいて、しかも新しい知識まで与えてくれるのだ。喜ばずにはおられない。
右 :小さなヤマトシジミの幼虫。カタバミ自体が小さいのに、さらに小さいから探すのがたいへんだ


 ヤマトシジミの成虫がはねを開くと、美しい青い色が見える。
 それはオスで、メスは黒っぽく地味な色合いなのだが、それがなんだろう。
 頭に舞いおりたイメージは、踊り子の衣装だ。
 それが庭にいて、もう寒いというのにまだ舞っている。
 きょうはちょっと乙女チックに、その幸せをかみしめたい。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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