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きょうも田畑でムシ話【67】

2018年10月12日

幸せ配達アニマルの哀しみ――コウモリ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


tanimoto67_1.jpg ユリの栽培農家と話していたとき、意外な虫の名前が出てきた。コウモリガだ。
 「コウモリガですって?」
 ぼくはすぐさま、反応した。これまで多くの農家と付き合ってきたが、この名前を口にする人に会ったことはない。いくらか虫に詳しくないと、とても出てくる名ではない。
 「幼虫が茎に入り込んで、食い荒らすんだ。しかも、そろそろ出荷だなというころになって、初めてわかるんだよ。そうならないように農薬は使っているんだけどね」
 害虫として作物に侵入するコウモリガを、この目で見たことはない。
右 :コウモリガ。飛びながら卵を落とす習性のあることで有名な蛾の一種だ


 コウモリガは、夕暮れ時に飛びながら卵を産む習性で知られる蛾である。
 外見はかなり、カッコいい。名前をちゃんと言える人だから、もしかしたら、卵をばらまくところも目撃しているかもしれない。
 「卵をまき散らすそうですね」
  期待して尋ねると――。
 「へえ、そうなの」
 それがどうしかしたのか、という表情だ。


tanimoto67_11.jpg ここに至ってようやく、ふつうの農家は害虫としてのコウモリガに関心はあっても、ヘンテコな習性を有した蛾であることにはまったく興味がないとわかった。
 当然といえば、当然である。切り花のユリを栽培しているのだから、おかしな質問をするヘンなオッサンの相手をすることはない。
 そう思ったら、おそらくはコウモリガの命名に関わったであろう、本家本元のコウモリまで気の毒に思えてきた。
左 :コウモリガの〝首すじ〟あたり。小型コウモリ類の鼻葉みたいな感じがする


 イソップの寓話を持ち出すまでもなく、コウモリは中途半端な存在だ。羽があるから鳥の仲間かといえばそうではなく、かといって、けものにも見えない。いってみればどっちつかず、無所属・身勝手な生きものとして登場する。
 答えははっきりしていて、もちろん、けものだ。それをおはなしの世界の生きものに説明するのは容易でないのだが......。


 それはさておき、そんなこんなでコウモリは鳥からもけものからも無視される不幸な生きものだが、現実世界に起きていることはもっと重大であり、しかもかなり深刻なのである。

 「こうもり傘、こうもりの忘れ物はございませんか」
 そう叫びながら車内を点検して回るのは、鉄道の駅員である。20年ほど前、ぼくが実際に出くわした場面だ。しかし、雨が降っても透明・安価なビニール傘で済ませる人がふえた現代にあっては、けもののコウモリ同様に、傘はどうでもいい道具になりつつある。
 傘屋の娘を嫁っこにしたぼくは、ほぼ一年中、傘を持ち歩く。そんなぼくからみれば、「こうもり」は断固として、コウモリあっての傘である。コウモリにあの大きな翼があったから傘があり、「こうもり」と呼ばれるようにもなった。


tanimoto67_2.jpg コウモリには申し訳ないが、コウモリは傘とともに、落ち目の空飛ぶ哺乳類だ。いまどき野生のコウモリの話をしても、耳を貸してくれる人はきわめて少ない。日本に約40種しかいない貴重な生きものなのに、その多くで絶滅が心配され、存続がきわめて危うい状況にあるのに......。

 だが、いくらか冷静になって考えると、無理もない。興味がなければ、目の前に飛んでいても気がつかないのが人間だ。映画の世界でしか知らないが、だからこそ、大勢の観客が見守る中で堂々と演じるマジックについ、だまされる。見ているはずなのに、見ていない、気づいていないことは案外多いようだ。
右 :キクガシラコウモリの標本。気がついたら、生きたコウモリはいなくなっていた......なんてことにならないようにしたい


 ここで整理しておきたいのは、コウモリも人間と同じ哺乳類であるということだ。外国のパンダやコアラ、ゾウよりもずっとずっと身近な隣人である。だからもっと関心を持ってほしいと訴えても、耳や目をそちらに向かせることはたやすくない。
 ひとのことは言えない。ぼくだって、自分に利益があれば心を動かすが、そうでなければ、適当に聞き流す。
 そうなのだ。コウモリが農家にとって有益な存在であることを、もっと知ってもらうべきなのだ。


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左 :北海道で見たコテングコウモリ。大きな葉の中で、体をまるめて休んでいた
右 :オオコウモリは、沖縄であまり苦労せずにみられる野生の哺乳類だ


 「そうだったの。ちっとも知らなんだ」
 「わかっていれば、もっと大切にするのにさ」
 などと言ってもらえるかどうかわからないが、コウモリは農家が害虫だと位置づける虫たちをえさにしてくれる益獣だ。田んぼの上を舞い、ビルの合間を縫うようにして飛びながら、くちに入れる。チスイコウモリという種はいても、ドラキュラ伝説のような吸血コウモリはいない。それどころか、人間の血を吸う吸血昆虫である蚊も、積極的に退治してくれるのだ。
 古いことばとしてよく紹介されるのが、「蚊食い鳥」とか「蚊屠り(ほふり)」という呼び名である。蚊が前面に出ることからして、むかしの日本人はコウモリが何のために空を飛んでいるのかをよく知っていたと想像できる。
 コウモリは、ひと晩で500匹もの蚊を食べるというデータもあるようだ。だから、人間はもっと、コウモリに感謝せねばならぬ。


tanimoto67_8.jpg そんなこんなで、おおそうだったのか、と注意して宵闇迫る空を見上げれば、あれまあ不思議、びっくらこ。なんとまあ、翼をばたつかせて飛ぶコウモリの群れがいるではあーりませんか!(となることを期待したい)。
 まさにちょっとしたヒントがあれば、こんなにも身近にいたのだねコウモリくん、という気持ちになるはずだ。そして人間の敵である害虫もやっつけてくれるなら、いま以上に減らないようにしたいね......という気持ちも生まれよう。
右 :沖縄でよく見かけるオオコウモリのペリット。夜の訪問がある証拠だ


 洋の東西で異なるが、東洋では古来、幸せを運ぶ幸運のシンボルとも考えてきた。コウモリは漢字で「蝙蝠」と書くが、その「蝠」の字が「福」に通じるというのが起源のようだ。だから幸福を招く生きものとして温かいまなざしを注ぎ、 日本でも長崎県のカステラ店が自社の商標に採用している。
 長崎といえば、アブラコウモリの話が面白い。 都会でも見かけることが多いコウモリで、別名を「イエコウモリ」という。
 この「アブラ」は油紙の「油」かなあ、と長いこと思っていたのだが、そうではなく、「アブラムシ」がその名の由来だと最近知った。

 そこに登場するのが、あのシーボルト事件で有名な医師であり博物学者だったフォン・シーボルトだ。
 長崎のオランダ商館にいたシーボルトは帰国後、日本で集めた動植物を紹介しまくったが、その中にアブラコウモリも含まれていた。そのアブラコウモリ命名の理由として伝わるのが、当時の長崎の一部ではコウモリのことを「アブラムシ」と呼んでいたという説だ。
 だれもが知るアブラムシは、それこそ農業害虫の最右翼だろう。地域によってはゴキブリのことを「アブラムシ」と称したが、全国的にはあのちっぽけな虫を指す。むかしは整髪料の代わりにしていた、なんて話もあるあの虫だ。
 それが長崎ではコウモリの呼び名だったことから学名にも採用され、「アブラコウモリ」が誕生したという。いってみれば、なんとも国際的な命名ストーリーである。


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左 :バットボックスにもいくつかのタイプがある。これはなかなかおしゃれで、すっきりしている
中 :乗鞍高原のバットハウス。実に巨大なコウモリ専用ハウスである
右 :オーストラリアで出あったバットボックス。かなり高い樹上に掛けてあった


 日本では、減少著しいコウモリを保護するコウモリ小屋やコウモリ箱がつくられるようになったが、オーストラリアを旅したときにもバットハウスを見た。かの地でふつうに目にするのは大型種のオオコウモリで、蚊のようなちっぽけなものではなく、フルーツを食する。

tanimoto67_9.jpg 沖縄にもノートを広げたくらい大きなオオコウモリが生息するが、そんなにデカくても、地元では意外に意識していない。オーストラリアでも興味を持って騒ぐのは、観光客ぐらいのようにみえた。なにしろ白昼堂々、木に群れてぶら下がっているのだから、珍しくないのだろう。
右 :オーストラリアのオオコウモリは、昼間も集団でいる


 結局は関心、興味の持ちようなのだ。
 だからこんな小さな話でもきっかけになって、コウモリに目を向けてもらえたらうれしいな。
 なーんて、いつになくいい子ぶってしまうのだ。
 それにしてもこのごろ、コウモリを見ていない。ことしは天気が荒れているからなあ......なんて言い訳をせずに、空を見上げましょうぞ。
 では、ご一緒に......。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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