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きょうも田畑でムシ話【56】

2017年11月 7日

偉大すぎる悩み――カマキリ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 テレビや映画でボクシングの試合を見ていると、なぜだかカマキリを思いだす。
 三角頭のボクサーというわけではない。試合中だから、人相を悪くするサングラスを掛けていることもない。脇を締めて立つあの格好が、カマキリのファイティングポーズにつながるからだ。
 ガードをかため、相手をにらむ。距離をはかる。そしてその数秒後には、目にもとまらぬ速さでシュッと繰り出すパンチ、パンチ。拳も鎌も、ぼくにはまったく同じに思えてしまう。
 人間であるボクサーはともかく、鎌を振らせたらカマキリの右に出るものはいまい。だからカマキリが、ほかの虫にやられる場面は想像しがたい。


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左 :こんな目つきの人、近くにいない? いたら、ご用心を!
右 :ハチにもマムシにも似る三角頭は注意の印。だから、自動車の停止表示板も三角なのかな?


 ところが、である。考えてみればなんの不思議もないのだが、チャンピオン然としたカマキリにだって幼虫時代は必ずある。自然界にあって体が小さいことは、肉食系の何者かの餌食になることを意味する。
 寒い冬を乗り切り、ようやく迎えた春。卵からわらわらと外界に出たとたん、未熟な肉食チビッ子であるカマキリの幼虫たちは、弱肉強食のきびしい現実にさらされる。
 それでなければ、この世界はカマキリだらけになる。
 死神の持つという、体に不釣り合いの大きな鎌を振り回す連中があそこにもここにもいたら......。ああ、考えるだけで恐ろしい。虫たちにとってカマキリは、恐怖を誘う怪物でしかないはずだ。
 そう思う人は多かろう。だがそれもまた、立場を変えてみれば、カマキリさんだって大変なのだとわかってくる。


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左 :卵のうからわらわらと出てきたオオカマキリの幼虫。近くに敵がいたら、ひとたまりもない
右 :カマキリの脱皮殻。さっさと脱いで、さっと逃げるのが長生きの秘けつだ


 最後の脱皮を終え、とりあえずは危険な幼虫時代をクリアしたとしよう。キリギリス、ツユムシなどの肉食昆虫もうかつに手(いや、あしか?)を出すことはない。トカゲやカナヘビ、ヤモリといったアブない輩からも一目置かれる存在に変身、変態したからだ。
 さなぎにならないから不完全変態の昆虫と呼ばれるが、変態が「不完全」なわけではない。昆虫世界でカマキリは、生息範囲限定で生物ピラミッドの頂点に立つ。脅威になるのは、人間の悪ガキと近所のドラ猫ぐらいのものだ。
 「ガハハ。オレさまにかなうものはいない」
 カマキリ語を通訳すれば、こんなヤツもいる。
 その証拠に、近づくものには自慢たっぷり、威力絶大の鎌を振りおろし、一撃必殺。その日のランチ、ディナーにしてしまう。
 「まあ、運が悪かったとあきらめな」


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左 :お食事中のカマキリさん。生きるためには仕方がない
右 :ちょいとウインクしたようなカマキリ。そうそう見られる表情ではないので、見られたらラッキーだ


 時にはまるでウインクをしているような眼をしたカマキリに出会うこともあるが、それはまれだ。複眼ということもあって、普通は何を考えているのかうかがい知れないまなざしを投げかける。
 あれだけ大きな複眼にはひるんでしまうが、動くものでないと鎌を振り下ろすことはないから、視力はあんがい弱いのかもしれない。
 だからといっておっとり構えていたら、おマンマの食い上げだ。
 狩りをしなければ、生きていけない。子孫も残せないではないか。
 ひとたび自我に目覚めたカマキリは、怖いもの知らずで獲物探しの旅に出る。そして手当たり次第に鎌を振り、それがたとえ巨大なニンゲンであっても平気で闘いを挑む。それがまさに宿命であるかのように......。

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左 :うなじのきれいなカマキリねえさん。黄色い花がよく似合いますね
右 :「呼んだ?」。驚いたような表情のカマキリは、ちょっと魅力的だね


 そして迎えた秋の終わり。吹く風は冷たく、獲物も少ない。カマキリに心があれば、生きるためとはいえ、それまでにおかした殺りくの数々を思い起こしては、胸に痛みをおぼえるはずだ。
 そこで祈る。血ぬられた鎌を胸の前にきちんとそろえ、それこそが本来の自分の姿であるようにして。
 「アーメン!」
 ニンゲンの言葉が話せるとしたら、南無阿弥陀仏でも南妙法蓮華経でもない。映画やテレビで見慣れた神父さんのイメージで、いつまでも祈る。
 うっかりして、「ラーメン!」
 と叫んではならない。ラーメンから連想される細いもの、カマキリにとってそれは勝手に体に入り込んでぬくぬくと生活する寄生性のハリガネムシにほかならないからだ。
 ハリガネムシには、「カマキリの元結(もとゆい)」というあだ名がある。長いことで有名な俗称「リュウグウノオトヒメノモトユイノユリハズシ」ことアマモ、すなわちジュゴンのえさにもなる海草の呼び名にも含まれる「元結」とは髪の毛を束ねるときに用いるひものことだが、それはともかく、ハリガネムシに悩まされるカマキリにとって「ラーメン」という単語は禁句である(たぶん)。


tanimoto56_5.jpg 脱線した。話を元に戻すと、カマキリが前あしをそろえたポーズをとることから、「拝み虫」とも呼ばれてきたということが伝えたかったのだ。そこに悪人づらの虫の姿はなく、虫を代表して神にこうべを垂れる敬けんな信者が存在している。
 もしかしたらその近くには、それまでにあやめて腹におさめた虫たちのあしやはねが転がっているかもしれない。それだって神はお許しくださるだろう。ニンゲンだって許すだろう。それどころか、田畑の害虫をやっつけてくれた益虫として感謝する農家の人もいるはずだ。
 1匹のカマキリがその生涯にどれだけの虫を食べるのか調べたことはないが、ほんの少しの観察では与えるだけ食べるような印象がある。環境に化学的なダメージを与えることなく多くの虫を捕らえてくれるなら、ニンゲンが「害虫」と呼ぶものも含まれていよう。だからしてカマキリは、「生きた農薬」ともたたえられる。
 裏と表、はたまた陰と陽。何事も見方を変えれば、がらりと変わる。紙一重の差で、悪役にも正義の味方にもなるのだ。
右 :お祈り? それとも、鎌とぎ? とっさには判断できない


 ところでカマキリと見ればどうしても鎌と三角頭に目がいくが、あの大きなはねにも注目したい。
 磨き磨かれ研ぎ澄まされた大鎌よりも巨大なはねが、いかにも昆虫らしく、まさしく昆虫である証しとして、4枚ある。
 日頃は見せないようにしている後ろばねをばパッと広げれば、思わず後ずさる目の前の敵。剣豪ならさしづめ、「むむむ、デキるな、おぬし」と叫ぶ場面である。ひと称してこれを「蟷螂(とうろう)の斧」と言う。


tanimoto56_6.jpg むかしむかし、中国は春秋時代の斉王朝の25代君主・荘公光が馬車に乗って狩りに出かけた際、鎌を振り上げて車輪に向かってくる虫がいた。
 「そは、何という虫ぞ?」
 「カマキリという虫であります。進むことは知っていますが、退くということを知りませぬ」
 従者が答えると、
 「人間であったなら、天下に名をとどろかせる勇者であることよ」
 と言い、その勇気をたたえて馬車の向きを変えさせたという故事にちなむ。
 いやあ、カマキリさん。あんた、やりますなあ。
左 :ああ、お気の毒。蟷螂の斧も自動車にはかなわないよね


 それがきっかけになったのかどうか、戦国時代には、自らの兜(かぶと)の意匠にカマキリを採用した武将がいる。
 ついでにいうと兜には、「勝ち虫」の異称で知られるトンボを筆頭に毛虫やムカデなど、虫好きを喜ばせるデザインがいくつもあったようである。
 あっぱれ、カマキリ!
 と、思わず拍手を送りたい場面であるはずだが、現代ニッポンではちがった解釈・用い方をしている。
 いわく、弱者が身のほどをわきまえず、強い者に挑むこと。
 つまり、無謀。だったら蟷螂ではなく、徒労ではあーりませんかとツッコみたくなるが、それをカマキリさんに話したことはない。知ればきっと、がっかりすると思いますよ。


tanimoto56_7.jpg なんて考えているうちにも季節はめぐり、メスが卵を産む時期になった。
 カマキリを代表するオオカマキリの卵のうは丸い泡のようなもので、表面がしわしわだ。
 はてさて、何かに似ているが、いったい何なのか?
 子どもたちが与えた呼び名は、「螵蛸」(おおじがふぐり)。現代人にはなじみのないことばだが、「おじさんの睾丸」を意味する。
 なるほど、なるほど。
  飽きのこない秋であるよなあ。
右 :オオカマキリの卵のう。むかしの子どもはじいさまにちなんだあだ名を付けた。それを確かめるため、「じいちゃん、お風呂いっしょに入ろうよ」という子が続出した、という話は聞かない

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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