MENU
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2016年4月 8日
3つの季節を捨てたチョウ――ギフチョウ
「いやあ、今年はつらいですなあ」
「まったく。10年ぶりの厳しさですよ」
互いに鼻をぐずぐずさせ、顔の半分を覆うマスクを通して会話する。
いまでは珍しくもなくなった花粉症の話だ。とくにこの春はひどい。
いちばんの元凶といえばスギなのだが、困ったことに、この時期でないと見られない生き物がいる。まあなんとかなるだろうと外出し、あとで後悔して泣くハメとなる。文字通りの悔し涙である。
学生時代は、仲間のだれにもそんな症状は出なかった。スギが林立する山に喜々として分け入り、虫を追ったり、山菜を採ったりしたものである。そのころの山行で知ったユリワサビは、しばらくぼくの好物になっていた。
虫が好きといいながら、その幼虫が苦手なことは、いろんなところで明かしてきた。まわりの虫好きはたいてい、チョウの採集からこの道に入ったようだから、イモムシもケムシも平気で扱う。まさにほおずりせんばかりに愛し、チョウだけでは飽き足らず、蛾の多くにまで手を伸ばす。成虫になるために避けて通れぬ幼虫時代は、金の卵を産む鶏のひなを育てるみたいなものだからである。
――と長いこと、かたくなに信じてきた。事実、友人の多くはチョウの卵を採集してきてふ化させ、さなぎになるまで特定の葉っぱだけをせっせと与え、成虫にまで育てる。彼らにとってそれは、ごく当たり前の行為なのだ。
左 :早春の地に星が落ちたようなフデリンドウの花。この花を見つけると、春がきた喜びを感じる
ところが最近、ぼくは知った。イモムシ、ケムシが苦手な虫好きは意外にいるのだと。あのやわらかい体が気色悪いという、しごくもっともな感想を述べる。おお、ご同輩とばかりに、ほっとした瞬間だ。
ついでにいえば、チョウ自体があまり好きではない。美しいとは思うが、独占しようという気持ちにはまずならない。
そういいながらこのあたりからいつも怪しくなるのがぼくの話の展開パターンなのだが、何事にも例外はつきものである。スギ花粉に悩まされる季節になると毎年のように、初めて見たギフチョウを思い出してしまうのだ。
40年以上も前になる。チョウ好きの先輩に連れられて、岐阜県のある山に出かけた。ギフチョウを捕るためだった。いまはほとんどの生息地で採集が禁じられているが、当時はそうでもなかった。
岐阜市には、昆虫ファンによく知られた名和昆虫博物館がある。ギフチョウの命名者でもある「昆虫翁」名和靖が設立した昆虫研究所の付属施設だ。そのころも何度か訪ねたが、明治時代に採集されたギフチョウの標本が、新聞紙を折って作った三角紙とともに展示されていて感動した。
右 :名和昆虫博物館で見たギフチョウ。「春の女神」という呼称が大げさではないと思わせる気品がある
ギフチョウゆかりの岐阜県内の生息地なのだから、一度は見てみたい。その程度の興味で足を運んだ。
先輩の後ろをのこのこ付いていくと、スギの林の間をチョウがゆるやかに舞っていた。素人目にはアゲハチョウに似たはね模様だが、体のサイズは思ったよりも小さい。そのことにまず驚いた。
動きの早いチョウではない。だから、その気になれば、まともにチョウの採集なんぞしたことがないシロウトにも捕れてしまうのだった。
「ああ、これが本物のギフチョウか......」
だんだら模様のチョウを目にして、単純素朴な感想を抱いた。まさに春の女神、春の舞姫。そう呼ばれるのももっともだとうなずけた。
あれから幾星霜。まさか再び、ギフチョウを追い求めることになるとは思ってもみなかった。ここ数年、春ともなれば自然の中で舞う姿を見るためだけに山を訪ねる。
すこしだけ違ってきたのは、ギフチョウではなく、ヒメギフチョウを見に行くのが目的になっていることだ。
場所も、岐阜県からすこし離れた長野県に変わった。山嶺がまだ白い冠を戴く時期に、片道5時間ほど車を走らせる。
チョウは見たい。だが、チョウそのものではなく、里山の姿、始まって間もない農作業の息吹を同時に感じることができる場所だ。農を担う人たちがいて、チョウがいる。その光景が実はもっとも美しいと感じるようになってきた。
ギフチョウもヒメギフチョウも原始的な種である。それもあってか、やはり古いタイプの植物であるカンアオイやウスバサイシンなどに卵を産みつけ、えさにする。
左 :山はまだ冬の装い。こんな時期が、ギフチョウやヒメギフチョウの春なのだ
右 :はねを立てたヒメギフチョウ。こうなったら、探すのに苦労する
左 :「やっと会えたね」。思わず声を上げたくなるヒメギフチョウとの出会いだった
右 :ウスバサイシンに産み付けられたヒメギフチョウの卵。まるで真珠のように美しい
「氷河期の生き残り」といわれることもあるチョウだけに、その習性もちょっと変わっている。外見の似たアゲハチョウは春がくるとすぐに繁殖を始め、次の世代を生み出す。春型、夏型と呼びならわし、夏型の方が大柄だ。寒い冬を乗り切ったばかりの春型より、生活環境の勝る夏型の方が栄養も行き届くのだろう。
古代性を残すギフチョウ、ヒメギフチョウも春に羽化して、卵を産む。そして食草を食べると、6月初めには早々とさなぎになる。
そこまでは別に驚くこともないが、注目すべきはその先だ。アゲハチョウと異なり、夏にもう1世代、子をなすということがない。さなぎになったら眠りに入り、翌年の春までじっとしている。
虫として生まれたなら温度も高く活動しやすい夏を満喫すればいいのに、「わたくしたち、そんなことには興味がありませんのよ」とでも言いたげに。そして夏だけでなく、秋、冬をもすっとばす地味な生活をするのがギフチョウ、ヒメギフチョウだ。
左 :ギフチョウのさなぎ。翌年の春までこのままだ。長い休みがうらやましい?
右 :ヒメギフチョウの体を覆う暖かそうな毛。いかにも氷河期の生き残りらしい毛深さだ
自然界は厳しい。動きやすい季節ということは、外敵が多いことも意味する。えさの奪い合いになるかもしれない。それを考えると夏休み、秋休み、冬休みとみんなまとめて休むのも、ひとつの生き方だろう。氷河期の記憶がどこかに残っているとしか思えない風変わりなチョウではある。
彼らが生きていくためには、適度に手入れされた里山の環境が欠かせない。だから農地を耕し、山林を健全に管理しているような土地でないと見られない。農業がきちんと継続されればこうした希少種が再び勢いを取り戻すことも可能だろう。
左 :まるで毛皮のえり巻きのようなヒメギフチョウの"うなじ"
右 :開花期を迎えたカタクリ。ここにギフチョウやヒメギフチョウがとまったシーンを撮りたいが、まだ実現していない
春のほんの一時期しか姿を見せないのは、その特殊性によるものだった。
植物でいえば、カタクリもまさにその仲間だ。
せっかくだから変わり者同士の組み合わせで、カタクリの花に蜜を吸いに来るシーンが撮影できたらうれしいが、なかなかうまくいかない。ぼくはぼくで、限られた日しか自由になる時間がとれないからである。
ヒメギフチョウとカタクリの花と、ぼくの時間。この3つがうまく合わさるのはいつだろう。
「いつかきっと、うまくいくさ」
こういうときにものをいうのは、ノーテンキ度だろう。あせらず、あわてず、何かの標語みたいな気持ちが大切だと思っている。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。