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きょうも田畑でムシ話【20】

2014年11月12日

ゴキブリ――塗り替えられた栄光  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 「出たー! 大急ぎで水槽、持ってきて!」
 「それより掃除機の方がいいわよ!」

 わが家に緊迫した声が飛び交うのは、ゴキブリ出現の報が伝わった時だ。
 学生時代は研究室に現れることが多く、フラスコで沸騰させた煮え湯をぶちまけるのが常だった。だが、畳の上にお湯をかけるわけにはいかない。さりとて、毒ガスのごとき殺虫剤を吹き付けるのも気が進まない。

 かくしてわが家では水槽内閉じ込め作戦、あるいはバキューム徹底抗戦とあいなる。掃除機で吸い取ったら、吸い口にビニール袋をかぶせて脱出できないようにする。水槽なら当然、記念撮影をさせてもらう。


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左 :わが家で見つけるゴキブリの一部はこうして水槽に閉じ込め、撮影モデルにする
右 :手乗りアシダカグモ? じつはこれ、抜け殻です


 だが、できればあまり顔を合わせたくない虫サンではある。そのために時々姿を見せるアシダカグモには敬意を払っている。彼らはなにしろ、名高いゴキブリ・ハンターであるからだ。


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左 :一般にはこのあたりがぎりぎり、許容範囲のゴキブリかも
右 :ゴキブリの化石 。何しろ3億年前にこの地球に現れた大先輩なのだ。敬意を払わねば


 たいていはこんなふうに嫌われるゴキブリだが、実際には3億年も前からこの地球で生活する古株だ。いまでこそふんぞり返っているニンゲンさまだが、ゴキブリ族の歴史に比べたら、そのひげほどのものである。


 とはいうものの、ゴキブリのひげがまた、馬鹿にできない。あのひときわ目立つ長い触角は、手であり鼻である。ごちそうのにおい、カノジョの香りを敏感に感じ取るばかりか、食べ物にちょちょんと触れて、その味をみることもできる。

tanimoto20_14.jpg だからいつもいつも、熱心に手入れをする。そのせいか平安時代にはその長い触角に注目し、「都乃牟之(つのむし)」とも呼んだ。ごみの中で見つかる「阿久多牟之(あくたむし)」、あるいは厨房の什器をかぶる(かじる)ことに由来する「御器(ごき)かぶり」と言われるよりはずっとマシなように思うが、ゴキブリの感想を聞くすべがない。
左 :このひげがゴキブリの売り。だけど、あまりアップで見るものではないかもなあ


 なにしろ地球生物の大先輩だから、本来はニンゲンのごとき新参者がつくりあげた家屋で暮らすことをよしとしない。その証拠に、いまなお野外で生活するゴキブリのなんと多いことか。水槽や掃除機のごみパックに閉じ込められるのは、ほんの一握りにすぎないのだ。

 雑木林に面した田んぼや畑のわきでは、ゴキブリに出会う確率が高い。現にこのぼくは、里山を歩くたびにあいさつをする。たいていは、ちっぽけなモリチャバネゴキブリだ。


tanimoto20_5.jpg 落ち葉を踏んづけて歩くと、足元で右往左往するものがいる。それが彼らの一族だ。チャバネという文字が入ることから想像できるように、チャバネゴキブリにそっくりだ。しかし野外に暮らし、「落ちぶれてもニンゲンの情けは受けん」と拒否する潔さがある。「ねえ、おうちに連れてってよ」などとすがりつく心配がないからこそ、安心してあいさつできるのだ。
右 :モリチャバネゴキブリの幼虫。意外にかわいい?


 よくよく考えてみれば、家屋にすむゴキブリたちもスゴい。ヤモリのようにナノレベルの超微細毛を持つわけでもないのに、逆さまになって平然と天井に張り付く能力はたいしたものである。その気になれば、すぐにでも曲芸団に入れそうだ。

 アマガエルみたいな吸盤状の指先も持っていないのになぜだろう、と思われるかもしれないが、あし先の爪がしっかりしている上に、そのすぐそばにはハエと同じようなじょく盤というものがあるからだ。その部分が常にネバネバしていることから、ペタンと張り付いて、墜落をまぬがれるらしい。

 それに走るのか飛ぶのか、逃げる際の判断も実に素早い。あしが接地していれば走りだし、そうでなければはねを広げて宙を飛ぶ。どうやらおしりあたりにある感覚毛、腹部の「もう一つの脳」の働きによる行動らしいと最近知った。
 ともあれ、何事にも迷ってしまうぼくにはとても真似のできない芸当だ。そのおかげでゴキブリに生まれなかったのだとしたら、優柔不断であることに感謝せねばなるまい。
 童謡「黄金虫」のモデルがゴキブリのことだという説は、すっかり有名になった。


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左 :裏側から見たゴキブリ。旅の宿ではこれもありがたいお客さん?
右 :ゴキブリの卵鞘。これが巾着に見えた? なるほど、確かにそんな感じもする


 作詞者である野口雨情は1882年、茨城県磯原町(現・北茨城市)の生まれだが、そのころの北関東ではチャバネゴキブリを黄金虫と呼んでいたらしい。それにゴキブリがすみつくのは裕福な家だとされ、見栄を張るのか、わざわざゴキブリを持ち込んで放す人もいたと伝えられる。さらには、ゴキブリの卵の包みである「卵鞘(らんしょう)」を巾着に見立て、それもやはり富の象徴のように受け止める風潮もあったという。それらのことから黄金虫、すなわちゴキブリが歌に採用されたとみられている。


tanimoto20_9.jpg チャバネゴキブリをどこで見たっけと考えて思い出すのは、食堂だ。厨房では料理を作るための火を用いるから、暖かい。食べ物を出す店だから、当然、ゴキブリもおこぼれにあずかることができるだろう。そう考えれば、雨情の発想もそれほど奇異なことではないかもしれない。


 最近出かけた昆虫展示室では、飼育中のゴキブリを見せてもらった。 そいつは、デスヘッドゴキブリだと教えられた。
 つまり、ドクロゴキブリというわけだ。ドクロといえば、ガイコツ。子どものころは理科室の人体模型と同じくらいおっかないものだと思っていたが、最近は人面生物の一種なのだなあと理解する習慣が身についている。人面魚、人面犬、人面カメムシなど、その模様を人間の顔に見立てたものだ。
左 :「ふふふ、オレさまがデスヘッドじゃ」なんて言われても、ぼく、笑っちゃいます。どことなく愛きょうがあるドクロゴキブリ


 紹介されたそのデスヘッドを見直し、ぼくは思わず吹き出してしまった。どう見ても、こっけいな表情に見えてしまうのだ。目のような点があるから人間の顔に見立てるのはいいにしても、まったく怖くない。おとぎの国のとぼけた王様のような印象だった。

 ゴキブリをペットにする人たちがいるのは知っているが、やはり野に置けゴキブリは、というのが正直な感想だ。


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左 :オオゴキブリ。古武士然としたところが人気の秘密だろう
右 :ペットにもされるマダガスカルゴキブリ。これはこれで堂々としていて好感が持てる


 よく見るゴキブリは、こそこそするから嫌われる。それに対し堂々たる体躯、ゆったりした動きで見る者を圧倒するのがサツマゴキブリやオオゴキブリだ。どうせなら彼らに対面したいのだが、ぼくの身近にはいない。だから仕方なく、飽きもせずにモリチャバネゴキブリにあいさつしまくるのだ。おそらく相手も閉口していると思うのだけど。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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