生乳+チーズの製造・販売で消費者とつながる酪農経営を
2024年04月22日
里村貴司さん、里村睦弓さん (長崎県佐世保市 株式会社さとむら牧場)
佐賀県との県境にほど近い山あいに、株式会社さとむら牧場はある。空気は澄み、乳牛たちとともに山羊も迎えてくれる景色のいい牧場には、チーズ工房も併設されている。家業の酪農を受け継ぎつつ、新しい挑戦を続ける里村夫妻の奮闘記――。
早かった経営移譲
「小さい頃から牛に囲まれ、毎日牛乳を飲んで育った」という代表の里村貴司さんは、牧場の3代目。長崎県内の農業高校から、長野県の八ヶ岳中央農業実践大学校へ。卒業後は愛知県の牧場に就職し、20歳で実家にUターンした。
父親から経営を移譲されたのは21歳の時。「経営のことはまったくの素人で、原価償却の方法もよくわからず、確定申告の時には普及指導員さんに相談しながらなんとか帳簿をつけて、税務署に持っていきました」と貴司さん。
働いていた愛知の牧場とは餌の入手方法や地域の酪農体制がまるで異なり、学んできたことを実践しようとしても行き詰まることが多かった。それでも手探りで自身の経営を模索していた貴司さんのもとへ、妻となる睦弓さんが嫁いできた。
左 :母屋から牧場の牛舎を望む
右 :ホルスタインに混じってブラウンスイス種も。体験に訪れる子どもたちにも人気
ハイジの世界に憧れて
二人は2002年に結婚。つなぎの牛舎に加えて、フリーバーンの牛舎を新たに建設したのは翌2003年のことだった。「地鎮祭をした時はお腹が大きかったね」と睦弓さんは当時を振り返る。大きな投資だったが、作業効率を考え、牛に負担をかけないようにと踏み切ったものの、牛舎が2つに分散し、逆に作業効率が落ちるなど苦労も多かったそうだ。
睦弓さんは非農家の出身。愛知県の農業大学校を卒業後、酪農ヘルパーとして働いていた牧場で貴司さんと出会った。「『アルプスの少女ハイジ』のような暮らしがしたい!」との思いで嫁いだが、農家の嫁という立場では作業を覚えても、いつまでたってもお手伝いの延長線上のような状態。「このままモヤモヤしながら仕事をするより、前向きに夢を叶えなければ......。乳の質がいいので、それを評価してもらえる商品をつくりたい」とチーズ製造を思い立つ。そこで農協へ相談にいったのだが、「どうやって売るの?」と当たり前のことを尋ねられ、答えることができなかった。
家族に支えられ、農業流通を学ぶ
夢はあっても「モノをつくって売る」知識がなければ実現できないと気づいた睦弓さんは、「流通」を学ぶため長崎県立大学へ進学。朝夕酪農の作業をこなし、幼稚園児の長女と一緒に登下校しながら昼間は大学で勉強する日々を過ごした。その後、県立大学の修士課程から九州大学の博士課程に進み、博士(農学)の学位を取得する。「大学での研究で得たものは、『モノをつくって売る』には価格だけではなく、消費者とのつながりが大きく関わっている」ということだった。
家業のかたわらで学び続ける睦弓さんについて貴司さんは「やると決めたらやらないと気が済まない人だし、知らない土地に嫁いできてくれた彼女の夢を叶えたい。それに二人の将来に役立つ勉強だったから、家族も納得していました」と明かす。
いざ、チーズづくりへ
睦弓さんが博士課程を修了後、自主流通を視野に、いよいよチーズづくりの準備に取りかかった里村夫妻。近年、北海道を筆頭に国産のナチュラルチーズは活況を呈しており、九州・沖縄でも20あまりの製造者がいるという。製造技術は各地の生産者を訪ね歩いて学んだそうで、生産者でつくる全国組織「ローカル・チーズ・ネットワーク」にも助けられた。
2016年にチーズファクトリー「Fiore(フィオーレ)」を立ち上げ、主にフレッシュタイプのモッツァレラとフロマージュブランを製造・販売している。競合相手は少ないが、一方で商品の認知度が低く、ナチュラルチーズはまだまだ「ハレ」の日に買う食材という位置づけ。特に小売店での流通量は月ごとに波があり、商品が残ってしまうこともあった。
そこで二人は、佐世保産ナチュラルチーズの魅力を地元の飲食店に伝えながら営業を行った結果、6軒の飲食店がメニューに取り入れてくれた。ほかにも小売店6軒、ホテル等2軒、菓子店1軒、地元のテーマパークであるハウステンボスや、4つの通販サイトでも販売している。佐世保市のふるさと納税の返礼品にも選ばれた。
左 :石垣の上に建つチーズ工房
右 :Fioreはイタリア語で「花」の意
左 :Fioreのモッツアレラチーズ
右 :現在試作中の白カビチーズ。様子を見ながら1日1回天地を返す
「つくるだけ」「売るだけ」ではない関係づくりを
さとむら牧場のチーズは、スーパーよりも直売所のほうがよく売れる。それは「直売所が消費者との『顔の見える関係』を築いてきた場であるから」と睦弓さんは言う。出荷者有志で協力して月1回、直売所の販売促進イベントを開催しているが、対面販売を通じて言葉を交わすことで、顧客のニーズを拾い上げて商品開発に活かすことができ、ファンづくりにもつながっている手応えがある。
「自社の生乳でつくるチーズは、大手メーカーのようにいつも同じ味とはいかず、四季折々で味わいが違う。けれど、それをお客さんに説明すると『むしろ楽しみね』と言ってもらえることもあります」。「できただけ、つくることができる分だけ」のチーズだからこそ、人と人との関係の中で、酪農家の暮らしの物語とともに届けることが必要だと睦弓さんは考えている。
左 :「ジャパンチーズアワード2022」で2種のチーズがブロンズ賞を獲得。2種類のチーズが一度に受賞するのは稀だという
右 :モッツァレラチーズ、フロマージュブラン、モッツァレラチーズのバジルオイル漬け
家族経営のその先を目指して
2019年には株式会社として法人化し、現在は乳牛60頭に加えて肉用黒毛和牛の繁殖生産も行う。地域の事業者と連携してエコフィード(食品残渣飼料)を活用した餌づくりや、自給飼料の栽培、酪農教育ファームとしての体験受け入れなど、生乳の出荷やチーズづくり以外にも作業は多い。働き手は夫妻と貴司さんの両親、そして2名のパート従業員だ。
左 :フリーバーンの牛舎は清潔で、牛たちもストレスフリーな環境
右 :ホルスタインに混じってブラウンスイス種も。体験に訪れる子どもたちにも人気
酪農業界を取り巻く状況は、生乳価格の低迷や各種資材・飼料の高騰など厳しさを羅列せざるを得ないが、今後貴司さんはどのように経営の舵を切っていくのだろう。
「酪農家は、やはり乳を搾るのが基本。質のいい生乳を安定して生産できるよう、残っているつなぎの牛舎をフリーバーンにしたり、ICT機器を導入して従業員全員で牛の状態の『見える化』にも取り組みます」。牛の首にICT機器を装着し、飼養管理ができる「ファームノートカラー」の導入を普及指導員から勧められ、利用を開始するという。
チーズについては週1回だった生産回数を増やし、種類も増やすべく試験製造を続けている。願いはチーズ職人を地域雇用すること。初心者でもいいので、専門的にやってみたい人を雇い入れ、ともに学びながら製造していきたい。
「酪農で地域に、そして社会に貢献していきたい」という思いも強い。「今後は家族経営のいいところを残しつつも、自分たちだけでやってきた経営から、もう一つ先に進みたい」と語る里村夫妻だった。(ライター 森千鶴子 令和4年12月14日取材 協力:長崎県県北振興局農林部南部地域普及課)
●月刊「技術と普及」令和5年4月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載
株式会社さとむら牧場 ホームページ
長崎県佐世保市里美町1598