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農業経営者の横顔



北限のお茶「檜山茶」を未来へつなぎたい

2021年08月25日

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梶原啓子さん (秋田県能代市 檜山茶保存会会長)


 秋田県北部の能代市檜山地区では、約280年ほど前から「檜山茶」の栽培が行われている。販売を目的とする日本茶の生産地としては、国内最北である。
 栽培戸数は最盛期には200戸ほどあったが、現在は2軒のみ。「檜山茶を絶やしたくない」という住民有志でつくる檜山茶保存会では、茶摘みや製茶を体験するイベントなどを開き、地域の歴史を後世に伝える取り組みを行なっている。その先頭に立つのが、檜山茶保存会会長の梶原啓子さん。実家の菓子店経営にいそしみながら、仲間とともに檜山茶を守る活動を続けている。


武士の内職として始まった茶栽培
202108_yokogao_hiyamacha2.jpg 檜山茶は江戸時代中期、この地を治めた多賀谷峯経(みねつね)が京都の宇治から茶の実を取り寄せ、檜山の山城の一角に自家用茶園を作ったのが始まりと伝えられている。その後、天保の飢饉の際に茶栽培は武士の内職として奨励され、檜山地区一帯で茶栽培と製茶が盛んになった。さらに宇治から製茶師を招き、技術の向上も図ったという。武士による茶栽培は多い時で200戸、栽培面積は約10haに達した。
 しかし、明治維新によって時代は変わり、武士は住み慣れた土地を離れた。さらに、第二次世界大戦中の食糧難で茶畑は大豆や小豆、ジャガイモ畑になったり、戦後の林業政策で杉が植林されたりし、現在は30aほどの栽培にとどまっている。
右 :茶園の入口に建てられた看板


手もみ技法を磨き、格段に向上した味と香り
 能代市檜山で生まれ育った梶原さんは、関東の大学に進み、養護教諭を3年務めた後、結婚を機にUターン。父親が創業した菓子店「茶誠堂」の仕事をする傍ら、伯父夫婦の茶園で20数年前から手伝いを始めた。最初は摘み取りだけやっていたが、平成18年頃から本格的に関わることに。「伯母が亡くなり、伯父がお茶作りをやめようとしていた時、檜山地域まちづくり協議会から『伝統の檜山茶を守りたい。協力するから続けてほしい』との声が上がりました。趣旨に賛同する人たちが檜山茶保存会を立ち上げ、私も活動に加わりました」と話す。


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左 :茶園近くにある多賀谷氏の菩提寺「多宝院」
右 :茶園へ向かう途中にある水の澄んだ小川


 檜山茶は昔ながらの手摘み・手もみで作られているが、確立された製法はなく、その家その家のやり方が伝承されてきた。
「明治時代に書かれた文献によると、生産者が集まって協同組合のような組織を作っていたようですが、お茶の味が整わず、県に頼んで茶師を招いて講習会を行ったという記述があります。おいしくて売れるお茶を作るために、当時も苦労したのだと思います」。
 お茶の味の8割は蒸す工程で決まると、梶原さんはいう。加えて、手もみのやり方によっても味や香りの広がりが異なる。各産地の生葉の特性に合わせて、いくつもの手もみ流派があるほど重要な工程だ。

 伯父の茂兎悦さんが10年ほど前に静岡県で開催されたお茶のイベントに行った際、茶師の妙義を目にし、その技法を取り入れることにしたという。「静岡県の標準手もみを学んだことで、お茶の見た目や味わいが良くなり、リピーターが増えていきました」と梶原さん。よりおいしいお茶を作ることをめざして、毎年、静岡に足を運び、手もみ技術の指導を受けている。


手もみだからこそ実感できるお茶作りの醍醐味
 周囲を秋田杉に囲まれた茶園は、杉の木が日差しを遮るため、かぶせ茶のような甘みのあるお茶ができるという。檜山茶は、一般に新茶の季節といわれる八十八夜の頃、5月上旬に古葉を剪定し、1カ月後の6月上旬から茶摘みが始まる。今年は春先の低温が影響してなのか、梶原さんが手伝う茶園では発芽がさらに1カ月遅かったそうで、取材で訪れたこの日は猛暑の中、ようやく伸びた新茶の摘み取りが行われていた。


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左 :茶樹は品種改良や改植を一度もしたことがない。宇治の在来種のみで製茶しているのは珍しい
右 :杉林に囲まれた茶園。農薬や除草剤は使わず、安心して飲めるお茶を作っている


 収穫するのは一芯二葉。先端の芯芽と、その下の2枚の葉を摘み取る。摘んだ葉は放置すると萎凋して発酵が進むため、加工場に戻ったらすぐ、せいろで蒸す。梶原さんは、ときおり秒針のついた掛け時計に目をやりつつ、茶葉の香りと色の変化を見てタイミングを計る。蒸し時間は1分半から2分。梶原さんによると静岡茶は蒸し時間が20秒ほどというから、それだけ檜山茶は葉が厚いことがわかる。


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左 :赤みがかった葉が混じっているのが在来種の特徴
右 :蒸し上がった茶葉は色が悪くならないよう、手で振るって粗熱を手早く取る


 蒸した茶葉は、ガスを熱源とする焙炉(ほいろ)に移され、茶葉の温度を人肌ぐらいに保ちながらもんでいく。手もみ工程は、20〜30秒の「蒸し」から始まり、葉振るい、回転もみ(軽回転、重回転)、玉解き、中上げ、もみ切り、でんぐりもみ(散らしでんぐり、強力でんぐり)、こくり、乾燥と続き、5〜6時間を要する。もみ始めたら作業は中断できないので、梶原さんは、手もみの技術を持つ仲間の男性と何度か交代しながら、茶葉をもみ続ける。

 乾燥の進み具合は気温や湿度に左右されるため、各工程にかける時間の目安はあるが、手に伝わる感触と、茶葉の色、香り、茶葉が発する音など、さまざまな感覚が頼りとなる。工程が進むにつれて、葉の色が徐々に深くなり、湿った音からカサカサと乾いた音に変化し、最終的には細い針状で艶のある茶葉に仕上がる。その様子は、端で見ていても飽きることがない。「自己流にやっていた時は分からなかったのですが、もみ方を習って、手もみの奥深さを知りました。手もみがやりたいからお茶に関わっているというのが本音です」と梶原さんは笑顔で語る。


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左 :重回転もみで茶葉の繊維を壊し、香りと色を出す
右 :手を合わせて茶葉を撚る「もみ切り」は、1枚1枚の茶葉を紡錘形にする工程


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左 :茶葉の外観は、つやがあり、針のような形になるのが理想
右 :茶誠堂の看板商品「茶ようかん」。材料に檜山茶が使われている


檜山茶の魅力を発信するために
 檜山茶保存会では、檜山茶の魅力を広く知ってもらうため、手もみ体験や茶畑見学などのイベントを何度も開催してきた。昨年は、東北や新潟のお茶産地を集めて情報交換する「北限のお茶サミット」を企画。コロナ禍で実現には至っていないが、「収束したら、ぜひ開催したい」と梶原さんは話し、お茶の魅力発信にも意欲的だ。

 手もみ茶は、60度ぐらいの低い温度の湯で淹れると苦味が出過ぎず、甘味が引き出される。「昔は住宅事情の関係で、特に冬はすきま風が入ったりして、この地域の人にとっては、温度の低いお茶を飲むなんて考えられなかったと思います。でも、20数年お茶に取り組んできて、そうやって淹れたお茶のおいしさを、少しずつわかってもらえるようになりました」と梶原さん。


 一方で、生産量の少なさが檜山茶の大きな課題となっている。生葉が50kg収穫できたとして、製茶するとわずか10kg。飲みたい人になかなか行き渡らないだけでなく、経営的にも成り立たない。栽培面積を広げるため、梶原さんは平成29年、檜山城跡周辺の山の斜面を借り受け、茶畑を作ることにした。本業の製菓業に加え、茶農家になることを決意したのだ。登るのも下るのも苦労するような急傾斜で、苗を植えて茶樹を育てたり、草を刈ったりするのは容易なことではないが、思いに賛同して梶原さんの茶畑作りを手伝ってくれる人も現れ始め、心強さを感じているという。


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左 :急峻な斜面に造成中の茶畑。階段状になるよう板を張っている
右 :梶原さんの茶畑の上から見える景色


 「力を借してくれる人たちとともに、自分ができることをやっていこうと思っています。茶畑ができたら、皆さんに手摘みを体験してもらいたいですね」。
 造成中の茶畑を横に見ながら小高い山を登りきると、目の前に美しい田園風景が広がっていた。ここで景観を楽しみ、檜山茶に親しむ人たちの姿を思い描きながら、梶原さんは檜山茶の未来に想いを馳せている。(橋本佑子 令和3年7月14日取材)