40歳でUターン就農し、ふるさとの農業を次代へとつなぐ
2021年08月04日
愛媛県南西部、周囲を山々に囲まれた鬼北町は、清流四万十川の支流である広見川などが流れる水清き地域。広い盆地には水田が広がっている。平成22年、この町出身の有田豊史さんは、妻の亜佳(つぎか)さんとともにUターンで就農し、当初2haだった農地は現在45haにまで広がっている。平成29年には「株式会社あう農園」を立ち上げ、同時に餅製品や弁当を製造・販売する「田わわ家」もスタートさせた。夫婦の10年の歩みには、高齢化が進んで縮小傾向にあるふるさとの農業を次代に引き継いでいく、熱い思いがあった。
松山市からUターンして始めた農業
豊史さんは学校を卒業後、松山市へ出て会社員となった。家業は祖母の代から続く美容室で、農業との関わりはなかった。国家公務員を辞めた後に喫茶店を営んでいた妻の亜佳さんと、松山でマイホームを持って生活していたが、豊史さんはやがて仕事から来るストレスにさいなまれ、先行き不安な状況に陥った。亜佳さんが「この先どうしたい?」と豊史さんに尋ねると、「故郷へ帰って百姓がしたい」との返事。「土を触ったら彼も元気になるかな」と考えた亜佳さんは、すぐに決断。豊史さんの退職後、松山の家を売りに出し、喫茶店を閉め、夫婦そろって鬼北町に戻って就農した。平成22年8月のことだった。
2haからのスタート
豊史さんの父親の口利きなどで集まった2haほどの農地からスタートしたものの、当然ながら知識も技術も乏しい。しかも当初は農薬を使わない有機栽培の野菜づくりを目指していたことから、収入も少なかった。折しも、豊史さんの姉が新たに立ち上げた多機能型事業所「NPO法人 ひだまり工房」で求人があり、亜佳さんがその腕を買われて飲食部門を仕切るメンバーとして就職。こうして夫婦の農業生活が始まった。
亜佳さんは、「夫婦2人で子どももいなかったので、食べるのには困らなかったんです。トラクター、田植え機、コンバインは借りることができたし、2haからのスタートでしたが、田んぼを貸したいという人はいくらでもいて、2haが翌年は4haに、次の年には10haと、倍々ゲームで面積が広がっていきました」」と当時を振り返る。「帰郷したのが8月でしたから、最初は稲刈りの手伝いから始めました。自分の米はまだできていないので、親戚が作った米を仕入れ、『来年から僕はこんなお米を作ります!』と、松山の知り合いに宣伝していくところから始めました」と、豊史さん。
現在45ha、目指すは100ha!
高齢化が進み、鬼北町でも耕作放棄地が増加の一途をたどっていた。そんな中、40歳の夫婦が農業をやると戻ってきたので、多くの人から農地を委託された。現在はもち米を含むうるち米、加工用米、飼料用米、WCS(飼料稲)などの水稲のほか、柚子、キウイフルーツ、原木シイタケ、米の裏作として大麦若葉などを生産している。「鬼北町はおいしい米の産地ですから、当初はほかよりちょっと値段は高くても自信を持って販売しようと考えていました。でも、圃場が急速に増えたことで、それだけでは済まなくなってきたんです」(豊史さん)。有田夫妻は農業経営の難しさに直面したという。
左 :作業倉庫 / 右 :稲と対話しているかのような豊史さん
品質のよい米を求める一般消費者とは異なり、飲食店などではそれなりの価格と量が求められる。耕作規模の拡大に比例して、顧客に見合った米を生産する必要があった。だがそれは、有田夫妻の経営が順調に進んでいる証しでもある。「現在は45haちょっとかな。だけど僕は、最終的に100haを目指している。あちこちでそう宣言しているんです。有言実行、言ってしまえば後に引けないですから」と豊史さんの声は明るい。
株式会社化したのは後継者のため
平成29年11月、「株式会社あう農園」を設立した。その動機は「地域を大切にしたい、地域に貢献したいという思いですね」と豊史さんは歯切れがいい。「鬼北町の人口は減りつつあります。それを少しでも阻止するには農業を魅力ある仕事にし、やりたいと思ってくれる人を増やさなければいけない。この仕事を長く伝えていくためには、法人化しかなかった。私たちには子どもはいないけれど、法人化すれば事業継承がしやすくなる。いま50歳で、あと15年、20年はやれるとしても、その後のことはわからない。うちで働きたいという子(現在の第1オペレーター)には、『僕の後を引き継ぐ覚悟で来てもらわんと雇えんで。働くんならその覚悟で来さいよ』と言ったんです。彼は翌日すぐに来ました」と豊史さんは笑う。
現在、あう農園には有田夫妻以外に4名の正社員がいて、20代の男性社員2人が生産部門で働いている。地元高校にも社員募集の案内を出しているが、「若いから、一度は都会に出てみたいと思うんでしょうね。だけど案内を出しておけば、記憶の片隅に残るかもしれない。都会での生活に疲れた時に『農業をやってみようかな』と思い出してくれればいい」と、亜佳さんは自らの体験を重ねる。
将来、あう農園にも第三者継承という難しい問題が訪れるかもしれない。しかし、継続していくことこそが、おいしい米のとれるふるさとを守ることに繋がると信じて、農業のすばらしさ、やりがいを後に続く人たちに伝えていかなければならない。有田夫妻はそう考えている。
右 :株式会社あう農園の設立時メンバー
お弁当の店「田わわ家」を開店する
法人化に伴い、亜佳さんが立ち上げたのが「田わわ家」だ。最初に豊史さんの米を使った餅を販売するための店舗を構え、ほどなく地元産の野菜をふんだんに使った弁当づくりも始めた。「店での販売だけでは1日10個ほどしか売れなかった。『これではいけない』と配達もするようになると、徐々に口コミやSNSで広がって、現在は1日40個、地域や家庭での行事など、多い時には200個作ることもあります」と亜佳さん。
左 :「田わわ家」外観 / 右 :あう農園のオリジナル精米ブランド「田わわ」
左 :柔らかさが自慢の羽二重餅
右 :イチゴ「紅ほっぺ」をぼたもちにした人気商品「鬼のほっぺ」
弁当づくりの加工部門を亜佳さんが担当し、男性社員1名、女性パート8人を雇用。特注弁当やオードブルは、客の要望をなるべく取り入れている。「まず予算と人数から始まり、年齢層、お酒の席かどうか、子どもはいるか、若者や女性は多いのか、それこそ根掘り葉掘り聞いて作ります。うちのお弁当でがっかりさせたくないし、おいしく食べてほしい。そしてワクワクしてもらいたいんです」。
左 :地元でとれた野菜をふんだんに使った惣菜の数々
中 :客の要望をなるべく取り入れて作る特注弁当
右 :「田わわ家」の加工場
「あう農園、田わわ家の役割は地域貢献。みなさんに喜ばれることを、農家の立場からできるのではないか。自分だけがよかったらいいのではなく、みんながwin-win(ウィンウィン)の関係で協力し合いながら、ふるさとを守っていきたいんです」と亜佳さん。
帰郷して10年目の春。新型コロナウイルス禍で国が揺れている中で、豊史さんはこれから始まる田植えの準備、亜佳さんは翌日の弁当の仕込みに大忙しだった。(ライター 上野卓彦 令和2年4月3日取材 協力:愛媛県南予地方局 産業振興課 地域農業育成室 鬼北農業指導班)
●月刊「技術と普及」令和2年7月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載
●株式会社あう農園 ホームページ
〒793-1366 愛媛県北宇和郡鬼北町東仲41番地
電話 0895-49-1545
●田わわ家
〒798-1363 愛媛県北宇和郡鬼北町内深田1233