提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


島の風土に育まれた「赤土じゃがいも」を 半農半漁、家族経営で

2021年06月17日

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髙橋進さん (鹿児島県長島町伊唐島 髙橋農園)


 鹿児島県の北西端に位置する長島町。町の全域が大小23の島々(無人島を含む)からなるが、1974年に架橋された黒瀬戸大橋で鹿児島県阿久根市とつながった。
 その中のひとつ、伊唐島(現在は架橋)は町内屈指の「赤土じゃがいも」の名産地だ。このジャガイモ栽培は、島の気候風土や産業の歩みとも深く関わっている。


豆の産地からジャガイモの産地へ
 伊唐島に案内してくれたのは、鹿児島県の農業の普及指導員である小山只勝さん。島の出身で、過去には長島町役場に出向し、産業振興に関わった。実家の父親は今もジャガイモを栽培し、小山さんも週末には家業を手伝っているという。
 島は、1996年(平成8年)に架けられた伊唐大橋により、長島本島と陸続きになった。青い海と新緑萌える島の緑の美しさ。橋を渡る時の景観もすばらしい。島に渡ると、漁港周辺の漁村部分を除いて、どこもかしこも赤土の圃場である。実際には、全体で140haがジャガイモ畑なのだ。小山さんの話によると、「もともとは豆の産地で、キヌサヤエンドウやグリーンピース、ソラマメなどを栽培していました。私も小学生の頃はキヌサヤエンドウの収穫をいつも手伝わされていました」。


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左 :伊唐島の農道。赤土の圃場が島内全域で見られる
右 :長島町本島部の高台から、伊唐大橋、伊唐島をのぞむ


 そんな豆栽培の島がジャガイモ栽培に転じたのは、昭和50年代の前半、伊唐島の赤土がジャガイモに適しているということで、企業がポテトチップス用ジャガイモの栽培を依頼したことからだという。
 品質がよいと評判になり、栽培品種が加工用ジャガイモから青果用ジャガイモに替わっていった。しかし当時は離島であったため、収穫後自宅で箱詰めし、それを長島本島のJA選果場まで運ぶという大きな手間があった。その頃、伊唐島に橋を架けようという機運が高まったが、橋を「農免道路」として建設するための条件として、畑を広げることが求められた。そして平成8年、島民の念願であった。伊唐大橋が完成した。

202104_yokogao_takahashi4.jpg 架橋後、造成された圃場で栽培が拡大し、輸送の利便性も格段に向上した。1戸あたりの平均所得は平成4年に110万円であったのが、22年には450万円に伸びた。また島内の小学校の児童数も、平成19年から一時増加に転じたという。

 「長島町はブリの養殖出荷数も日本一、アオサの養殖も盛んです。橋が架かったことで漁業も輸送面等で恩恵を受けられた。結果、後継者が戻ってきたことは大きかった。現在は、子どもは前よりも少し減っていますが、小学校は閉校せず、ジャガイモは、今では1時間働けば1万円儲かるともいわれています」と小山さんはいう。

 主要な栽培品種はニシユタカ。伊唐島が牽引する形で、長島町全体で赤土じゃがいもは普及し、鹿児島ブランド農産物の産地指定も受けている。ほとんどがJAや地元の農業商社を通じて出荷されているなかで、独自の販路で新しい農業経営を模索している人もいると、小山さんに髙橋進さんを紹介された。
右 :伊唐大橋の欄干には「農免道路」の文字が


島では若手。髙橋進さんのジャガイモづくり
 髙橋さんの畑は収穫作業の真っ最中。青々としたジャガイモの葉が茂る横で、掘り取り作業機をつけた耕耘機で畑が耕され、顔を出した真っ白なジャガイモが、ひとつひとつ人の手で拾われ、コンテナに入れられていく。
 畑には、畝だけでなく全面にマルチが敷かれている。これが伊唐島のジャガイモ栽培の特長だ。掘り採る際の手間もあるが、マルチ敷きの際には、鍬でマルチに土を載せていく。「これをやっているのは、長島でも伊唐だけ。とても手がかかる豆の栽培をやってきたから、手間をいとわないですよね」との小山さんの言葉を思い出す。長島町でジャガイモサミットが開催された際には「こんな細かい作業できないわ!」と北海道のジャガイモ農家が、目を丸くしていたそうだ。


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左 :髙橋さんのじゃがいも畑。潮風が運ぶ海のミネラル分がおいしいじゃがいもを育てる。
右 :ジャガイモの掘り起こし機を上手にあやつる大希さんは高校2年生


 髙橋さんは、鹿児島県の種子島出身。伊唐島出身の妻、美由紀さんと19年前に結婚し、伊唐島にやってきた。鹿児島市の飲食店に勤めていたが、日々仕事に追われる毎日の中で、「これじゃあ子どもができても子どもと一緒に遊ぶ時間もない」と脱サラを決意したそうだ。実際は「島で漁師をやりたかった」のだという。
 家業の農家を継ぐ形で就農、義父の元で働き、独立した。夢だった漁師にもなり、今も農業の傍ら、タコツボ漁も行う半農半漁生活だ。

 畑は3ha。ジャガイモのほか、サツマイモも作っている。ゼロからの農業だったが、だからこそ、伊唐島の気候風土、そして土質に助けられているという。「根物はとにかく土が勝負。島全体を覆うこの赤土は、適度な水はけ、きめの細かさ、鉄分を多く含んでジャガイモには最適。潮風が運んでくるミネラル分もいいんです」。
 年の平均気温は18.6度。周りを東シナ海の暖流に囲まれて、土の温度が下がりにくく、さらに全面マルチを敷くことで早期に出荷できるのもメリットだ。
 この日は、美由紀さんと、義母の竹山裕子さん、長男の大希さん、次女のひなのさんそして、4月に初めて雇用した従業員の吉村俊さんの6人での作業。最盛期の土日には、子どもたちも手伝ってくれる。


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左 :掘り上げられたばかりの赤土じゃがいも「ニシユタカ」白さとキメの細かさが特長。食べると独特のしっとり感とうまみがある
右 :髙橋農園のみなさん


髙橋農園ブランドで独自の販路を開く
 髙橋さんの作業場は、選果場と冷蔵庫、事務所を完備し、収穫されたジャガイモはここで選別から箱詰め、出荷まで行っている。
 就農当時は農協に出荷し、青年部長も務めていた髙橋さんだが、5年前にほとんどを自主販路に切りかえた。出荷して終わりだと手間はかからないが、手数料がばかにならない。今年はジャガイモの値段はいいが、安値の時は、生活費に困るほど。それなら少々設備投資し、手間をかけても相場に左右されない安定した道を自分でつくっていくほうがいいとの判断だ。


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左 :作業場の選別機。共同出荷しないので、すべてを自前で揃えている
右 :出荷作業。箱詰めしたダンボールを積み込む


 では、販路はどうやって開いていったのか。青年部長時代に太田市場とつきあいができ、そこから市場に直接流す販路を得た。さらに品質のいいジャガイモは、商品そのものが「宣伝部長」となり、販路を広げてくれたそうだ。
 商工会に入会したことをきっかけに作った「髙橋農園」のホームページも営業に役立った。
 現在、長島町・赤土じゃがいも、もしくは伊唐島・赤土じゃがいも、とネットで検索すると、「髙橋農園」がトップに出てくる。このSEO対策が功を奏して、たくさんの業者からひきあいがきた。ネット通販での産直には人手が必要なのであまり積極的ではないが、それでもネットショップを開いていることで、営業につながっているという。入会している農業経営者クラブも情報収集に役立つそうだ。

 現在の販路は、東京の卸売市場、町内、鹿児島市内の物産館、ネット販売と、小売り店に販売を仲介する中間業者が3社。それで作っている分は完売する。現在の悩みは、「つくればつくるだけ買うといってもらえる状況で、どこまで規模を広げたらいいのか。法人化の必要が出てくるのか」ということだ。


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左 :友人のデザイナーが、チラシ、ポスターを作ってくれた。これも営業に大活躍。
右 :流通仲介業者を通じて、福岡市内のスーパーにも納品。店頭では、髙橋さんの写真とともに農場の様子なども説明ポップでアピールされている。


リフレッシュで漁に出る
 栽培面積をどこまで広げるのかという問いは、どう生きるのかにつながっている。髙橋さんに今後の展望を尋ねると、「子ども3人を無事に育て上げること」という答えが返ってきた。「子どもたちは自由にしたらいい」と髙橋さんはいう。長女は福岡市内で美容師をめざし、鹿児島県内の農業高校に通う大希さんは、地元を支えられるような公務員になりたいというが、家業を手伝い、ともに汗を流した経験は、子どもたちの心にしっかりと刻まれるのではないだろうか。

202104_yokogao_takahashi12.jpg 春の収穫が終われば、さつまいもの植え付けがはじまる。その間にタコツボ漁をする。「島の3分の1の人は半農半漁で、昔からみんな苦労してきたみたいです。でも自分の場合、使う筋肉も頭も農業と違うから。漁がリフレッシュになるんですよね」。

 ジャガイモ栽培の間にも、魚を養殖している人に頼まれて網を変えたり、魚の出荷作業をしたり。「今でも雨の日はあけとけよって言われて、休みはないですよ」そう言って笑う髙橋さん。時代の流れを読みつつ、新しいことに挑戦しながらも、続けてきたのは、島で営まれてきた半農半漁、家族経営の暮らし。そこにはとても豊かな時間が流れていた。
右 :収穫作業の合間の午前十時のお茶の時間。
(森千鶴子 令和3年4月18日取材)