家族経営でもできる大規模ブロッコリー専作。生産から販売まで、人任せにせず工夫することから。
2011年04月04日
長崎県島原半島の北部にある雲仙市吾妻町は、県下一、全国でも有数のブロッコリー産地。吹原繁男さん(60歳)は、昭和47年に、この地でいち早くブロッコリー栽培をはじめ、先導的な役割を果たしてきたブロッコリー専作農家である。
農業生産法人を作り、従業員を雇用して規模を拡大する農家があるが、吹原さんは「家族経営」にこだわり、のべ10.5haという面積を、妻のちあきさん、息子の大介さんの3人でまかなっている。「やり方次第で、経営も安定し、跡継ぎもできる」吹原さんが39年という長きをかけて工夫、創造してきたブロッコリーづくりについて聞いた。
栽培面積は、のべ10.5ha。この面積を、繁男さん、妻のちあきさん、息子の大介さんの3人でまかなう
これからは野菜づくりだ。父の残した言葉を胸に
吹原さんは16歳から、父と共に農業をやってきた。就農した当時作っていたのは、米とばれいしょ。加えて父親は、日雇いの土木作業にも行っていた。「日雇いがいちばん金になる」と父親が言っていたのを覚えている。
そして突然に跡を継ぐ日がやってきた、21歳の時に、父親が病気で急逝したのだ。「その年はキャベツや白菜なども作っていて、その値がよかったらしく、父は、日雇いの仲間に『これからは野菜を作らないと』と話していたのだと聞きました」
吹原さんは父親の言葉を受け止め、野菜中心の作付けに転換する。みかん畑もあったが値崩れがはじまっていたので、いち早く切ってしまった。そのあとに生姜を植えると「吾妻でいちばんの生姜」と評判になった。「種生姜にしたいと高知から買い付けに来たくらいだった」と吹原さんは当時を振り返る。その後も、吹原さんは吾妻の土地に合う作物、経営が安定する収入が得られる作物に次々に挑戦し、キャベツとブロッコリーの2品目を作るというスタイルにたどり着いた。経済が豊かになり、食卓の西洋化も進んで、西洋野菜が注目されるようになっていたのだ。
午前中にブロッコリーを収穫し、午後からはキャベツ。収穫期はとにかく身体がひとつでは足りないほどの忙しさ。キャベツは業務用として年中必要な野菜、高騰する時もあるが、暴落することもしばしば。そんなときは、やむなく畑に鋤き込んでいた。
ブロッコリーは温度に敏感な野菜で、価格の変動は激しいが回復も早く、長期継続出荷することでリスクも回避できる作物。一本化したほうが作業効率も上がるし、技術も磨きやすい。消費も伸びてきていることから、キャベツをやめてブロッコリーの専作に踏み切ることにした。
周年栽培への挑戦
吹原さんが次に取り組んだのは、ブロッコリーの周年栽培体系の確立だった。導入当初は品種も少なく、作型も限られて4カ月しか出荷できなかったが、徐々に適応品種も増えて、10月中旬から6月まで出荷できるようになった。それでも、4月の1カ月間だけは端境期ができ、出荷ができなかった。
4月に出荷できれば高値がつくに違いない。そうすれば安値の時期の分を4月期の売り上げで補うことができ、経営も安定する。
毎年、10種類以上の試験栽培を行って、吾妻町の気候風土に適した品種を探し続けた。現在も7種の品種を作付け、そのほかに試験品種を10種類栽培し、毎年入れ替えている。
品種選択だけではない。今や、ブロッコリー農家では常識となっている「被覆資材のべたがけ+マルチ栽培」も吹原さんが最初。このふたつが「4月どり」を可能にした。
「4月どりは、全国でも長崎県、長崎県でも吾妻町が一番早かった。大阪の市場からは、全部うちにくださいと言われるほどでした」と吹原さんはふりかえる。
左 :べたがけ資材は不織布。適度な通気性と透光性があり、耐久性も優れ、保温・防風・保湿などに効果がある
家族だけでできないことは親族でつくる「生産者グループ」で
昭和57年には、生産者グループ「吾妻洋菜研究会」を結成し、出荷量の確保と販路の安定を図った。
平成6年にはグループで移植機を導入、自動播種機、育苗施設、出荷施設、冷蔵庫などを協同で運営し、吾妻洋菜研究会ブランドのブロッコリーとして、各地の青果市場へ直接出荷している。研究会は、吹原さんを含む3世帯でいずれも親族。3戸合わせると27haの規模になる。
「小さな生産者組織だけれど、皆そこそこの規模なので、品質のばらつきが少なくて済む。さらに検品もみんなでするからミスが少なくなる」と吹原さん。検品から、どこの市場にどれだけ出すかの割り振りなど、人任せにせず、とにかく自分たちで行う。
市場の信用は、平均点以上のものを、いかに継続して安定して出せるかにかかっている。「ここの品物がほしか」と言われるようになれば、値段は高いところで推移していく。
左上 :今年は、7種類の品種をまわしている。グループの3人で同じ品種を試作し、3人が「これならいける」というものを採用する
右下 :吾妻洋菜研究会のブロッコリーといえばこの箱。仲買人も知っている
最近では市場よりも量販店のほうが力があるという話も聞く。市場を通じて、年間契約をしたいという小売り量販店を紹介してもらったこともあるが、魅力的な価格ではなかったので断った。
取引先に勧められ挑戦した予冷出荷
今では当たり前となっている予冷出荷もさきがけだった。ブロッコリーは、野菜の中でも収穫後の鮮度の低下によって品質劣化が激しい作物。なんとか鮮度を保つ出荷ができないかと試行錯誤をしていたとき、市場の関係者に「一度冷気にあててから出荷すると、その後のエチレンガスガスの量が減り、棚持ちがいいらしい」ときいた。早速冷蔵庫を買い、朝取りしたブロッコリーを、冷蔵庫で冷やしてから箱詰め、出荷すると、相場の3~4割高の値段がついた。「冷蔵庫は大きな投資だったけれど、最初の年に元がとれました」。
セリ値は安いときも高いときもあるが、年間を通して見れば、十分に再生産価格が維持できている。
左上 :研究会で購入したブロッコリー専用の大型冷蔵庫は20坪。6キロ箱を1500箱収容できる
右下 :荷姿は、20個詰め6kg入り。予冷出荷だけでなく、棚持ちをよくするための梱包資材にもこだわっている
安心して食べられるブロッコリーは、土づくりから
吾妻洋菜研究会では、エコファーマーの認証を取得し、環境に配慮した栽培を行っている。地域の土壌に合った、有機質の多いオリジナル肥料も自慢だ。「土壌の状態をよくすることで、虫もつきにくくなり、病気も出にくくなる。やっぱり土づくりなんですね」
吹原さんがブロッコリーを植えつけている農地は6.9ha。2作する畑と1作しかしない畑があるから、のべ面積は10.5haとなる。陽当たりが悪かったり、土地がやせていたりする条件の悪い畑では、無理に2回つくらないという選択なのだ。
右 :土の状態をチェックする吹原さん
今後の課題は、地元農地の維持
吹原さんの畑は、1、2カ所にまとまってはおらず、町内に点在している。「高齢で作れなくなったから借りてくれ」という畑を預かってきたからだ。「ここに今ある田畑は、70歳以上の先輩方が、こつこつと地道に働いて守ってきたのだから、それを荒らすのはしのびない」と吹原さんは言う。だからこそ、今後もなんとか地域の基盤整備をすすめ、ふるさとの農地を守りたいと考えている。そこで安定した農業経営をすることで、後継者も育つのではないかと。
経営が安定したことで、吾妻洋菜研究会の3戸の農家には、すべて後継者がいる。親は農業をさせるつもりはなかったのに、子どものほうがどうしてもやりたいと言い張った家もあるそうだ。「家族経営だから、儲からない年があったとしても出て行く人件費もない。再生産価格が維持できれば、農業は、誰に縛られることもなく、自由な時間も多くて、いい仕事ですよ」
そう言って胸を張る父の隣で、息子の大介さんもにっこりうなずいた。(森千鶴子 平成23年3月7日取材 協力:長崎県島原振興局農林水産部技術普及課)
<吹原ちあきさんに聞いたブロッコリー料理>
―――森千鶴子さんが作りました
■ブロッコリーの茎の漬物
ブロッコリーは、茎も甘くておいしいんです。捨てないでぜひ食べてください。
表面の固い部分の皮を剥き、薄く短冊切りにして、塩と一緒にポリ袋に入れてもみ、冷蔵庫に一晩入れておくと、おいしい浅漬けになります。
■ブロッコリーとソーセージの炒め物
茹でて酢味噌やマヨネーズで食べることの多い、ブロッコリー。
でも残ってしまったら、卵と一緒に炒めてもおいしいですよ。ソーセージやベーコンを入れると、若い人も大好きなお総菜になります。