以前、広域普及員時代に、南部振興局管内の肥育農家さんの牛舎を改造したことがありました。その時に手伝ってくれたのが、今の事務所で一緒のO普及員です。
彼女が普及活動の事例報告をする際に、その牛舎改善事例を取り上げました(広域の後に南部振興局へ異動となり、その時の環境改善は紹介しましたが、その前段でのことです)。
ところが、その発表を聞いていた当時のエラい方(普及職員ではない方)が申されたのです。「これが普及活動か」と。
行政では、農業の粗生産額拡大を目標に掲げます。一方、農家さんは、市場での単価相場の波に負けずに頑張っています。生活や人生がかかっていますから。その現場と行政の狭間に立たされた普及員・普及事業、という構図の中から一言言わせていただけば、次のようになります。
以下は、そのエラい方に直接メールした趣旨です。
「この農家さんは認定農業者で、管内で唯一の肥育農家である。自分の父親の知り合いでもあったので懇意にしてもらっていたが、段々と年も重ね、後継者もいない。そうした事情から、経営継続の意欲が薄れてきていた。そこで、こちらがそうしたお手伝いをすることで、少しでも作業が楽になり、経営が継続されるならばどうであろうか。経営を止めれば、少なく見積もっても数千万円の粗生産額が減少することになる」
というような内容だったと思います。
実際、この農家さんはその後、改善した牛舎(牛房)で仕上げた肥育牛で、県の枝肉共進会で2位を取り、また、和牛全共でも県代表に選出されました。
もしもあの時、ご本人が弱気になっていた時に普及として「現実に」何もしなかったら、どうだったでしょうか。「現実に」というのは、言葉の励ましではなく、実際に何かの行動でお手伝いする、ということです。
翻って今、管内の農家さんの若い夫婦が4人の子育てに奮闘しながら、親父さんから引き継いだ牛舎で、人生の荒波を突き進んでいるわけです。
若手であるが故に集落での役務に翻弄され、田舎であるが故に子供の送迎に時間をとられながら、50頭の牛で生活をしています。そこに、以前担当していたK普及員が、また舞い戻ってきました。
建築資材も飼料も倍に跳ね上がった経済情勢のまっただ中、これまた親父さんが現在地とは別に買っていた土地に移転して、もっと気持ちよく肉用牛経営を展開したいという場面に、私は出くわしたのです。
色々な普及活動がありますが、K普及員の「塩崎さん、あの農家を何とかしてやりたい」との思いから、経営移転するまであと1年はかかる、その間に少しでも多く改善できるところを改善して、経営体力を付けさせたい、そして、資金繰りを有利にしたい、とのねらいがあっての普及活動でした。
「私がたまたまできることだから」「他には誰もできないから」と言われればそれまでですが、経営者の「運」といいますか、その時に誰と巡り合わせるか、これは普及であっても、市町村担当者であっても、県の行政担当であっても、まさに、巡り合わせです。時が過ぎて初めてわかるのが「あの時、あの人がいなかったら、こうはなっていなかった」という事実です。
そう考えれば、この農場での牛舎環境改善活動は、私が自身の普及活動の第1幕を令和3年度で閉じていなければ、なかった活動となります。
もっと遡れば、私が普及員になっていなかったら、こんな場面はなかった。もっと遡れば、私が肥育農家に生まれて、経営再建を目の当たりにしてなければ、こんな普及員になっていなかった、もっと遡れば・・・・、ということなのです。
そして、自分がいま行った結果で将来、この農家さんがすばらしい経営を確立していたら・・・・。そう考えれば、巡り合わせ、経営者の「運」としか言えませんが、経営者の運を左右する、良い方に左右していく「縁」となる普及員でありたいものです。
長くなりましたが、最後に、秘密にしていた古いスレート屋根の掃除の方法です。
スレート上の、並んだ釘のきわに長い垂木を置いて、そこに脚立を乗せます。スレートに対する設置面積を広げれば、体重が分散して、割れないのです。そして2本の脚立を交互に移動させながら、効率よく作業します。スレートの上を歩く際、釘の上を踏むのは常識です
今さらながらですが、普及活動の重点対象農家さんの信頼を得るため、その信頼を強くするためにこそ、のやり方ですが、要は、「自分のもっているスキル、人生観、何もかもを総動員してやる」ということです。OODAループ思考での「世界観」かと思います
昭和63年に大分県で普及員として奉職。
令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。