大分県
塩崎洋一
塩崎洋一
昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。
2022.09.13
第二幕の舞台は、中部振興局管内。
この日はO主査に同行して肉用牛農家さんにお邪魔しました。
繁殖管理についてO主査が農家さんとやりとりをしている横で、1頭のはぐれ子牛が歩いていました。
「この子はどうしたんで?」と聞くと、「そりゃあ、親が育児放棄したんじゃ」と農家さん。
親牛が乳を飲ませない、という場面はありましたが、子牛そのものに対して育児放棄か、人間だけじゃないんか。
そのせいか、普通ではないくらいにヒトになついています。
農家さんと話しているO主査。
彼女が南部振興局のころ広域普及員だった私は、一緒に飼養環境改善で牛舎を改装したことがある・・・・
2022.09. 2
今年の3月末、普及員としての第一幕を閉じた私です。
自分でやらねばならぬことがある、との決意と覚悟でしたので、まったくもって普及現場に復帰する予定はありませんでしたが・・・・。
昨年度末の任務終了の前日、別れの挨拶に来た同期が帰り際、「すまんが、うちに来てくれんか」とのこと。
困っていて来てくれ、ということなら、手伝わないこともないけれど、まあ、むげに断る理由もないので、自分のやろうとしていることに支障が無い条件なら、と引き受けた次第。
管轄は、住んでいる豊後水道沿岸部、臼杵市と津久見市から大分市、山間部では有名な湯布院まで。仕事は畜産の普及活動です。
実は在職中の34年間、この地域で勤務はないけれど、「やっと地元で仕事ができる」みたいなうれしさというか、子どものころに祖父母の家に遊びに帰るようなワクワク感があります。
そんなことで、事務手続きの関係から8月、第二幕が上がりました。
生まれ育った臼杵市の風景。
臼杵湾に浮かぶ津久見島、臼杵なのになぜか津久見。
本来は湾内の臼杵七島(7つの島があった)の一つで、竹島という名前でしたが。手前は母校の臼杵高校、その向こうは造船所。
臼杵は造船と醸造の町、かな。(「臼杵七島」で検索してみてください)
2021.03.29
前回この農家さんを訪問した時は、雨で霧深い日でした。天気の良い日に訪れたいと思っていたところ、部門担当が「今日なら、行きますよ」とのこと。是が非でもと思いながらやって来ました。
大分県南部、祖母傾山系の麓。この山並みの向こう側は、前任地の佐伯市と宮崎県ですが、たしか傾山の向こう側からの風景、数年前に紹介したと思います。
現任地、確か着任の風景は北側の久住山系。南側は祖母傾山系です。この絵に祖母山は入ってないですけど・・・・
この日は、気持ちどおりの風景だったのですが、時節柄「これも見納めかなあ」と、異動の気配に少し気持ちを落としている自分がいました。
このブログとも、かれこれ8年のつきあい。普及員として自分の活動記録としてつづってきましたが・・・・・。もし、何かの地殻変動があって、4月からも普及現場だったら、続けるかもしれません。
と、そう思っていたのですが、地殻変動も横風も吹かず、宮仕えの悲しさどおり、普及を離れます・・・。
ありがとうございました。
2021.03.19
集落営農・稲作担当のIさんに同行しました。
この日は集落営農法人の経営相談と、圃場状態のチェックでした。
Iさんは、16、7年前の本庁勤務の頃に、同じ部署で働いていました。本県は、今でこそ農業への企業参入について専属チームがありますが、当時は、私たちの部署で対応していました。一緒に企業訪問をしたり、どこかに遊休農地がないか探し回ったりしました。
普及員は、一人で動くことが多いと思いますが、稲作担当の相手方、つまり集落営農法人や稲作農家は、中山間地域では戸数は数知れず、です。
チームで動くこともあるかと思いますが、ほとんどがこんな風景です。"孤独な作業"といえばネガティブですが、"一匹狼"と言えば「かっこいい」と思うのは、私だけでしょうか。
2021.03.16
前回からの続き
ところで・・・・
中山間地域で山が荒れる、とか、よく聞く話ですが、今回の彼の取り組みは、その対策の一翼を十二分に担っているのです。
というのも、彼の実家は、この近くで養鶏をやっています。彼自身も市内で稲作のオペレーターなどをやっていますが、今回こうした山を買い上げて、木を切り出しているのです。もちろんその木を売ることで、生活費+資金償還です。楽ではないと思いますが、彼のような存在なくしては、生き残る山もなくなってしまうと思わざるを得ません。
また、ベースとなる農業経営がしっかりしているからこそ、多額の融資確保を可能にしたという要因も無視できません。
果たして、山主の依頼などで木を切り出すこともありますが、その木を売って生活ができるとしても、そこに新たに木を植えて山を管理するまでやっていくと、生活ができるか否か、ここはクエスチョンです。
ということは、そうした山の作業に関わるヒト、木が動いていくというモノの流通、そうした仕組みが循環して生活できるかというカネの流れ、の3つが充分に価値を発揮できないと、山仕事だけでは生活できないかもしれない、となるのは当然の帰結なのです。
木を切った後に苗を植えると何が起きるか。
数10haの山を何kmもネットやフェンスで囲みます。そうでないと、新植した苗は鹿のご飯になります。この手間やコスト、すごいことです。
以前、ある公庫の担当者がつぶやいていました。
「何十年も先になって回収できるものに貸しているのは、公庫だけですよ」と。
政策金融公庫の「政策」、まさに、そのとおりです。