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大分県
塩崎洋一

期待の新星

2024.12. 2

 この日は、管内の中山間地で、経営展開の相談でした。
 実は、私が新入りの頃(昭和63年)、お父さんはJAの畜産担当で、鍛えてもらった方です。JA退職後に、自家の肉用牛経営を規模拡大してきましたが、息子さん2人が帰ってきて一緒にやっているところで、今後のさらなる経営展開を計画中です。


 事務所の畜産班のH総括が担当していたので、先日、一緒に伺いました。
 その際に、「いろいろな経営状況がある中、今の牛舎で親牛が一杯なら、種のついたヤツ(妊娠牛)を、牛舎の下にある田に放せばいいのでは。それなら、施設に多額の投資をせずに行ける。屋根とスタンチョンと餌箱だけでもいい。この田の広さなら、20か30は出せる。そして、育成や分娩に今の牛舎を使って増やせばどうか」と提案。


 さらに数日後、市役所の担当も交えて伺うと「耕作条件の良い田ではなく、放牧には牛舎の上に荒廃地がある」とのことで、みんなで行ってみた次第です。


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左から次男さん、お父さん、H総括、市役所担当、長男さん。後ろの石垣の向こうに荒廃農地が広がっていました。放牧には十分使えます。ついでに獣害対策にもなります


 資材高騰、飼料高騰、何もかもがコスト高のこの頃、いかにコストを下げるか。ざっくり言えば「アイデア勝負」です。
 『牛を飼うには、こうしなければならない』という先入観が、コストアップを招いている感は拭えません。『牛を飼うには、これだけあれば良い』と考えれば、あとは「ここだけ気をつければ良い」で進んでいけます。先入観や固定観念は、やはり、いろいろな場面でリスクと言えそうです。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。

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