普及指導員が現場で活躍する日々をレポート
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◆2024年11月

大分県
塩崎洋一

83歳のタフガイ

2024.11.25

 当ブログに投稿を始めた(2013年)南部振興局勤務の前は肥育の広域普及指導員として、県内全域を走り回っていたところですが、その頃に巡回していたのが、和牛肥育農家のSさんです。
 この日は担当のNさんと、牛房別に濃厚飼料給与量を掲示してあるシールの張り替えに来ました。


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牛舎前でSさんと話すNさん、牛舎の裏には県内随一の水田地帯が広がっています


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シールを書き換えているNさん、柱に貼り替えます


 現在40頭ほどいますが「それなりの経営規模なのに、そんなこと、普及がやってるの?」と思われるかもしれません。
 実はSさん、牛飼い経験60年を超える、御年83歳です。大型機械を操っての牛舎の管理作業もさることながら、水田も20haほどやっているのです。もちろん、休日には息子さんが手伝いをしていますが、それでも驚くほかはありません。少々耳が遠い、年相応に膝が痛いほかは、年齢を感じさせないタフな親父さんです。


 そんなこんなの、これまでの付き合いの流れでやっているわけですが、このSさんも、先日ブログで紹介したエサを使っているのです。そのエサに変えた際に、給与量を間違わないように、特に、肥育前半の給与量を増加させる期間に、貼り出しをしているという次第です。

 それでも、枝肉の出荷成績を見せてもらった7月の着任当初、「もしや?」と思い、稲わらの給与量を伺ったところ、やはり少ない。Nさんと一緒に本人の前で計量して、増量を指示しました。給与量の変更を指示したので、そこから毎月体重も量ることにしたのは、言うまでもありません。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。

blog_hukyu_enokida_f.jpg 北海道
榎田純子

新たな担い手から地域の一員へ

2024.11.19

 後継者、新規参入者として根室管内で5年以内に酪農を始めた方、就農を目指している方を主な対象に、根室管内農業士会と根室振興局が主催して根室管内新規就農者交流会が令和6年10月31日に開催されました。
 農業士でもあり、新規就農15年目の羅臼町の酪農家さんに講演いただいた後、グループワークを行いました。地域の先輩農業者と新規就農者が顔をあわせて話す好機となった交流会でした。


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 さて、ブログなので、ここからは、普及指導員である私の感想です。
 担い手が地域に定着して継続的に地域で営農していくためには、地域の一員になっていくことが必要だということを実感しました。それは、他の地域からやってきた新規参入者でもこの地で生まれ育って親元就農した後継者でも同じことで、いつまでもよそ者、いつまでも子供ではいられないということ。


 普及指導員は『自ら考え実践する農業者を育成する』ことが仕事です。なかなかおこがましいとは感じるものの、こうした交流会を通して、それぞれが受け止めて、日々の営農や生活に活かしていただくことができれば、仕事の成果があがったということと自己評価しております。

榎田純子

平成10年に北海道庁に普及職員として入庁し勤続26年、今年(令和6年)50歳になりました榎田純子と申します。現在は、北海道の東、酪農王国別海町にあります根室農業改良普及センターに担い手主査として勤務しています。こちらのブログで、北海道の農業・農村で働く普及の仕事について紹介していきます。どうぞ、よろしくお願い致します。

大分県
塩崎洋一

放牧も良いけれど~今時、信じれんなあ

2024.11.15

 海の見える牧場、県内でも何カ所もありません。私の好きな風景ですが、この牧場、ひとつ大変な点があったのです。


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あいにくの曇り空ですが、周防灘を見渡す牧場です(出荷前の牛たちのパドック)
ちなみに国東半島は、果樹園が多かった地域です。これ以上は言いません・・・


 地図を見ればわかりますが、県南部沿岸は豊後水道のリアス式海岸。北部は周防灘で遠浅も多いのですが、この周防灘は瀬戸内気候に属するところです。つまり、雨が少ない気候区分なのです(最近は違うようですが)。

 管内東部寄りの国東半島の端に牧場があるのですが、数年前に放牧活用の肉用牛経営を新規に始めたとのことで、この日、初めて伺いました。そして驚いたのは、毎日20頭の牛たちに、水を運んでいると言うのです。


 帰り際に、Nさんと話しました。

「行政的に放牧を進むるんはいいけど、なんで水がないん? 荒廃農地を使ってやって、確かに初期投資も少ないけど、毎日水くんで拘束されて、続かんでな(毎日水くみで拘束されたら、続かないだろう?)」

「条件の良いところは、他が使ってます」

「そりゃそうやけど、パドックも一番便利が悪いとこじゃ、人間が毎日行っち作業すんところが便利悪い。牛は歩いて行けるんやけ、人間の便利良いとこにせんかった(人間が毎日行って作業するところが便利が悪い。牛は歩いて行けるんだから。なんで便利のよいところにしなかった?)」

などなど。


 県内には、こうした荒廃農地や山林活用で放牧がうまくいった例も、あるにはあります。
 が、ここは肉用牛専業です。他で収入がないことを考えれば、当該用地の全体像から、作業の全体像も考えて、組み立てねばなりません。
 良い事例を見ることは多々ありますが、どこが問題点か、どこで苦労するのかなど、リスクをよくよく見る必要があります。


 ここに給水設備を作って、水運びの拘束性をなくす提案をしたのは言うまでもありません(普及活動第2幕でやった方法です)。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。

blog_hukyu_enokida_f.jpg 北海道
榎田純子

北海道根室振興局管内からはじめまして

2024.11.12

こんにちは。はじめまして。北海道別海町にあります根室農業改良普及センターに勤めております榎田純子と申します。今回から、こちらのブログで北海道の普及事業について紹介させていただくことになりました。


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根室の農業は、草地型酪農が主流です


 まずは自己紹介させていただきます。昭和49年に北海道中標津町で生まれ、当年とっての50歳、生まれも育ちも北海道の生粋の道産子です。
 北海道職員として普及職員に採用されたのは平成10年、今年で勤続26年。初任地は湧別町、生活改良普及員として採用され、女性グループの活動支援、パートナーシップの推進、経営参画、農産加工、農村環境整備などにつとめてまいりました。平成29年からは担い手主査となり、多様な人材が活躍する農業・農村の確立につとめています。
 さて、次回からは、もう少し具体的に普及の仕事を紹介していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

榎田純子

平成10年に北海道庁に普及職員として入庁し勤続26年、今年(令和6年)50歳になりました榎田純子と申します。現在は、北海道の東、酪農王国別海町にあります根室農業改良普及センターに担い手主査として勤務しています。こちらのブログで、北海道の農業・農村で働く普及の仕事について紹介していきます。どうぞ、よろしくお願い致します。

大分県
塩崎洋一

なぜか、ここだけがやられる

2024.11.12

 Sくんが発表した取り組みは、組織作り、仕組み作りやそれぞれのマッチングなどが主な普及活動でしたが、この日はなぜか、耕種農家サイドで生産されるトウモロコシの獣害対策でした。
 この地区では、写真の道路に沿って約1.4ha、14カ所に作付けされているのですが、その14枚のうち、この1カ所、ここだけがやられるとのこと。去年も、ここだけがなぜかやられたそうで、今年も実証用に持っている電柵を設置することになった次第です。


 Nさんに連れられて、ポールを置いていって差し込んで、線を張りました。
 Nさん曰く「ここだけが山に接していて、ここから来るんです」とのこと、見ると存分に猪が遊んでいる様子。


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山側の電柵の外側は、彼らの遊び場に持ってこいです、右側の草藪には足跡が無数に・・・


 私はポツッと言いました。
 「汗かいち一生懸命にやりよるけど、猪んやたあ藪から見ち笑いよるで」
 (汗をかいて一生懸命にやっているけど、猪のヤツは藪の中から見て笑っているよ)


 ちなみに、農家さんが鹿よけにテープを張っているので、こちらは電柵で猪よけです。


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農家さんが鹿よけに張ったテープの外側に、手際よく電柵を張るNさん。手早い。写真右手の山の中から、イノシシがこちらを観察しているようです


 以前勤務したところの果樹農家さんの話では、高低差のある二重の柵、それをこうしたテープや防風ネットと電柵で組み合わせてやると、彼らは遠近感がズレて飛び込んでこれなくなるとのことです。
 いずれにせよ、複数の対策を組み合わせて知恵比べです。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。

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