普及指導員が現場で活躍する日々をレポート
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◆2024年10月

大分県
塩崎洋一

肥育技術確立に向けたその後

2024.10.30

 月刊誌『技術と普及』2013年10月号に執筆した『大分県和牛肥育産地再編に向けた普及活動』から10年。取り組みとしては、それ以上の年月が経ちました。


※過去の取組例
飼養管理技術の見える化に向けて(その1)


 当時、広域普及指導員として、県の肥育課題解決に向けた取り組みの紹介をしていましたが、肥育の濃厚飼料の開発は、その中のひとつになります。
 以来さまざまなことがありましたが、その餌の体系を用いて県共進会で優勝した農家さん、九州管内枝肉共励会で入賞した農家さん、和牛全共に出品した農家さんなどを見ると、餌の善し悪しについては、議論の余地がない結果が出たと自負しています。
 先般、県の枝肉共励会が開催されましたが、その餌を使っている農家さんが(残念ながら現任地管内ではないのですが)、文句なしの成績を出してくれました。


 肥育経営において、売上は基本的に枝肉重量×単価が元ですが、商品性は、その枝肉でどれだけ赤身部分があるか、また、同じ重量であった場合、経営効率として増体が良く早く出荷できるかなど、さまざまな要因が絡んできます。餌をどのように使えば総合的に経営が向上するか、ということが自分の中での課題でした。
 これらをライフワークのよう思いながらこれまでやって来たたところですが、今回の共励会の成績により、思いが叶ったと確信している次第です。


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枝肉重量637.7kg、ロース芯面積113、ほか。やってくれた農家さんには感謝しかありません

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。

blog_hukyu_kasahara2_f.jpg 青森県
笠原 均

青森県南部町の「あおもり鍋自慢」に出店!

2024.10.25

 聞くところによると、かつてB-1グランプリを考案し、全国にご当地グルメブームを巻き起こした八戸せんべい汁研究所(通称、「汁゛研」じるけん)の初代所長は、せんべい汁を通じて地域を売り込みに行ったそうである。

 そう!鍋料理を販売するだけなら、祭りの屋台と変わらない。
 五所川原市三好地区にある地域運営組織「三好をあじあう会」は、鍋を通じて地域活動を売り込みに来たのである。


 事の始まりは、一年前・・・。
「三好地区を売り込むために、三好ならではのモノを作ろう!」と、三好をあじあう会は、料理研究家、栗原心平氏の協力を得て、三好ならではの「三好なべ」を完成したのである。


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これが三好なべ(注:豚肉は三好産ではない)


 イメージとしては、にんにくの香りが食欲をそそる「味噌ラーメン風の豚汁」という感じである(なんとなく伝わりました?)。


 さて、鍋自慢当日は絶好の「ちょっと寒い青空」となり、まさに鍋日和であった。
 開会セレモニーが終わった時点で、いきなりの長蛇の列である。地域活動を売り込みに行ったはずだが、お客さんとのやりとりが忙しくて、それどころではない。


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左 :オープニングセレモニーの様子 / 右 :すでに長蛇の列
   

 それでも、最初の行列が過ぎると、ちょっと一服。チラシを持って、会の活動の売り込みである。


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チラシで、会の活動をPR


 青森県は、南北に連なる奥羽山脈により東西で真っ二つに別れ、全く異なる文化が発達している。そのお陰で、東側にある南部町と、西側にある津軽平野の五所川原市とは、文化人類学的に「言葉による意思の疎通さえ難しい」と言われる位の違いがある・・・(嘘です。さすがに言葉は通じる)。


 ただ、完全なアウェイである南部町では、「五所川原から来ましたー」というと、軽い驚きをもって「なぬぅ?」と人々は振り返り、鍋の入ったお椀だけでなく、チラシももらってくれます。
 そしてチラシに目を通すと「うちの方にも、こういう活動があればいいんだけどねー」と、笑顔で率直な感想を返してくれます。
 ・・・良かった。どうやら、津軽から南部藩の「鍋の牙城」を崩しに来たとは思っていないらしい。


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左 :隠し味の「三五八(さごはち)」。隠すどころか売っている。400円。
右 :鍋だけでなく、三好産のネギや味噌も売る


 鍋の評判は上々で、「この会場で一番おいしかったよ」と、さりげなく私達に耳打ちしてくれるお客さんの顔を見ると、どうやら社交辞令ではなさそうである。しかも結構な数の人が同じようなことを言ってくれる。
 最終的に、わずか4時間半で356食が売れました。売上は16万円!
 三好をあじあう会の活動を紹介するチラシも数え切れないほど配ったので、少しだけ三好をPRできたと思います。
 にんにく味噌風味の鍋を見る度、五所川原市三好地区にある「三好をあじあう会」の活動を思い出してくれるといいなぁと思います。

笠原 均

青森県の農業改良普及指導員(普及員)です。普及員歴はすでに20数年となるのですが、お話し好きが高じて、農業の担い手育成を担当していることが多いです。 プライベートでは、「気分はプロフェッショナルカメラマン」、「YouTube再生回数が伸びないけど作曲家とウインドシンセサイザー奏者」です。 加えていうと、15年前から音楽の秘められた力をフル活用して地域おこしをやっています。そんな活動のお陰で町内会役員から目をつけられ(勧誘され)、町内会の理事なんかやっています。もちろん、町内の草刈りやしめ縄づくりも、町内会最年少として参加しています。

blog_hukyu_katano_f.jpg 秋田県
片野英樹

そば研修会で四半世紀ぶりの再開!

2024.10.23

 秋田県由利地域振興局農業振興普及課の片野です。7月中旬の豪雨災害で被災者支援を行っていたため、更新が遅くなって申し訳ありません。

 昨年度よりも現地活動時間が減ったため、ネタに苦労しており、古い話で恐縮ですが、6月26日に管内で開催された「そばの里づくりプロジェクト事業現地研修会」を紹介したいと思います。
 今年度もそばを10aあたり100kg穫ろうという実証ほが設置され、今回は、鶏ふんペレットが収量にどう影響するか実証しました。4月中旬に筆者を含む作物担当4人で鶏ふんペレットを330kg散布しましたが、老体に鞭を打ったせいか数日関節の炎症に苦しみました(若くないな)。当日は全県のそば生産者等が集合し、関係者で熱い情報交換がなされました。写真を見ると、白いそばと日焼けした顔のコントラストが見事です(写真1、2)
 後日坪刈りをしましたが、いろいろあって収量結果はまだ出せていません(令和6年10月21日現在)。


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写真1:実証ほの概要を説明する筆者


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写真2:実証ほ場


 そのとき、とある生産者が「片野さん、オレわかるか?」と話しかけてきました。顔を見た瞬間、25年ほど前にタイムスリップしました。当時、大変お世話になった農家でまさか四半世紀ぶりにそば会場で再会するとは思いませんでした。
 お互い年はとったものの、あの頃の勢いは顕在です。もう、そばの研修会はそっちのけで、昔話に花を咲かせました。普及職員の財産は農家との繋がりだなぁとしみじみ感じました。

 それよりも早く収量調査・分解調査をしないと...

片野英樹

秋田県で平成4年度採用から普及指導員ほぼ一筋で30年経ちました。主に水稲・大豆担当でしたが、一時期集落営農や法人育成にも携わりました。現在は裏方として、水稲新品種「サキホコレ」の普及に取り組んでいます。

大分県
塩崎洋一

発表会に向けて

2024.10.22

 今年度の畜産業績発表会に向けて、担当Sくんのリハーサルです。
 Sくんは採用2年目。実家は南部振興局管内とのことで、県南同士の親近感もあります。
 とはいえ、まだ2年目。一生懸命ですが、慣れないことも多く、周囲の先輩からは、「これはこうしたらどうか」「このスライドはもっとこの方がよい」などなど、バリエーションに富んだ突っ込みが入りました。


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奥でパソコンを操作するSくん、左が畜産部門主任のNさん、K部長、右手が畜産班のH総括。四方八方から優しい檄が飛び交っています


 アドバイスをしっかりと受け止めて、本番当日はビシッと決めて欲しいところです。
 ちなみに、内容はと言うと、管内は大分県随一の平野部で、地の利を生かした自給飼料生産のコントラクター活動が盛ん。そこに関わった普及活動の発表です。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。

大分県
塩崎洋一

普及活動 第三幕 ~懲りずに頑張ります~

2024.10.17

 第二幕を終えた後、「うちに来てくれ」と請われた農業法人に半年ほど勤めました。そこを退職した昨年秋、とある牛飼いさんの要望で、堆肥舎作りをお手伝いしていたところ、作業中の屋根の上で携帯が鳴りました。

 「塩崎さん、臼杵からでは遠いけど、育休代替でうちに来てくれませんか」とのこと。「高速代が出るなら」と受けた次第。そうして、7月から普及現場にて、第三幕(北部振興局)をやっています。

 すると、第二幕よりも現場にかり出される日々の状況から、「こりゃあブログにした方がよいかなあ」と思いながら、もう10月。勤務終了は年末だから、今のうちならいくらかできると、事務局へお話しした次第です。


 偶然とはいえ、堆肥舎作りをやっていたのは当管内(宇佐市)。
 しかも、現職時代に新採用で配属されたのも当管内(昭和63年4月、中津農業改良普及所)だったので、少なからぬ因縁を感じながら、勤めております。

 以前、南部振興局勤務時代にも紹介しましたが、この管内も海岸があります。ところがこちらは、豊後水道にはない風景、周防灘の遠浅です。やっぱり海の風景は、色といい香りといい、ゆずれません。


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周防灘の砂浜。遠く対岸は山口県かな。この絵は手伝っている堆肥舎の屋根からです

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。

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