普及指導員が現場で活躍する日々をレポート
   普及指導員とは・・・こちら

RSS

◆2022年9月

大分県
塩崎洋一

牛のメイク

2022.09.26

 和牛全共もあるけれど、地元県での共進会もあるわけで、これに向けた予選会が地区で開催されるということです。
 この日は、わが地元、臼杵市の地区予選を通過した牛さんを手入れする巡回。
 K副主幹とともに伺うと、「おう、洋ちゃん。いま、どげえしよるんか、こんどここか」と、子供の頃からかわいがってくれていた農家さん。「実はなあ・・・・」と、近況報告しながら牛を引いている私でした。


 新入りの頃、ある町で地区予選が終わった日の出来事です。私の普及員人生の進路を決定づけた大先輩が、みんなの前でこう言いました。
「塩崎、明日から毎朝、こん牛を引き運動しち、わらずりするんぞ」
 もちろん私に拒否権などあるはずがありません。翌朝6時30分からの引き運動と、わらで牛の体を乾布摩擦、本番当日まで一か月ほど続きました。
 そして今がある、と言えるのですが、K副主幹に言いました。


 「いまどき、牛ん毛刈りしよる普及員は、あんたぐらいかえ、俺どうはしよったけど」と言うと、すかさず「塩崎さんも私も、化石かもしれんですね」
 普及員のスキルとは何か、永遠のテーマかもしれません。。。


blog_shiosaki160-1.jpg
背中がK副主幹。「こげえすりゃ農家のためになるんじゃけどなあ」が口癖です。なんだか、自分を見ているような・・・


blog_shiosaki160-2.jpg
農協Y課長さん。南部振興局時代に、一緒に牛の削蹄をした話を思い出しながら・・・

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

島根県
長妻武宏

玉ねぎの育苗が始まりました

2022.09.21

 9月に入り島根県西部では玉ねぎの育苗が始まりました。
 島根県は県下JAが一本化されていて、担当エリアである浜田市と江津市の玉ねぎの苗は、邑智郡邑南町にある育苗施設から供給を受けるようになっています。


blog_nagatsuma70_1.jpg


 播種1週間後で確認したところ、順調に育苗できているように思います。
 定植は11月中旬を予定していますが、管内の作付けほ場の大部分が水田なので、排水対策の指導をしていくようになります。
 収穫は来年の6月が中心となりますが、収穫のための機械がまだ地元で導入されていないので、今後、導入に向けての動きはあると思いますが、まずはJAからのレンタルを予定しています。

長妻武宏

島根県の長妻です。畜産が専門の普及員ですが、過去には、イノシシの研究などもしていました。島根農業の応援団員になりたいと思っています。

大分県
塩崎洋一

牛は豊後が・・・

2022.09.16

 1921年(大正10年)に東京で開催された畜産博覧会(現在の和牛全共)で、大分県の種雄牛「千代山」号が一等賞を受賞し、「牛は豊後が日本一」との幟旗(のぼりばた)を掲げて銀座をパレードしたのが100年前。
 今年10月に鹿児島県で開催されるのが第12回。5年に一度の開催なので、銀座のパレードは、現在の共進会開始以前になります。

 ある後輩関係者が「俺の夢は、もう一度銀座をパレードすることじゃ」と熱く語っていました。和牛関係者にとっては、そういうものなのです。
 

blog_shiosaki159-1.jpg
100年語り継がれている・・・・
かなり少数派になってきていますが・・・・


blog_shiosaki159-2.jpg
あまりに暑くて、今年は屋内会場にて・・・・

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

大分県
塩崎洋一

牛の世界でも、あるんだなあ

2022.09.13

 第二幕の舞台は、中部振興局管内。
 この日はO主査に同行して肉用牛農家さんにお邪魔しました。


 繁殖管理についてO主査が農家さんとやりとりをしている横で、1頭のはぐれ子牛が歩いていました。
 「この子はどうしたんで?」と聞くと、「そりゃあ、親が育児放棄したんじゃ」と農家さん。
 親牛が乳を飲ませない、という場面はありましたが、子牛そのものに対して育児放棄か、人間だけじゃないんか。
 そのせいか、普通ではないくらいにヒトになついています。
 

blog_shiosaki158-1.jpg
お母さんのそばに行けなくて、ある意味独り立ちしている


blog_shiosaki158-2.jpg
農家さんと話しているO主査。
彼女が南部振興局のころ広域普及員だった私は、一緒に飼養環境改善で牛舎を改装したことがある・・・・


塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

大分県
塩崎洋一

普及活動 第二幕 

2022.09. 2

 今年の3月末、普及員としての第一幕を閉じた私です。
 自分でやらねばならぬことがある、との決意と覚悟でしたので、まったくもって普及現場に復帰する予定はありませんでしたが・・・・。


 昨年度末の任務終了の前日、別れの挨拶に来た同期が帰り際、「すまんが、うちに来てくれんか」とのこと。
 困っていて来てくれ、ということなら、手伝わないこともないけれど、まあ、むげに断る理由もないので、自分のやろうとしていることに支障が無い条件なら、と引き受けた次第。


 管轄は、住んでいる豊後水道沿岸部、臼杵市と津久見市から大分市、山間部では有名な湯布院まで。仕事は畜産の普及活動です。
 実は在職中の34年間、この地域で勤務はないけれど、「やっと地元で仕事ができる」みたいなうれしさというか、子どものころに祖父母の家に遊びに帰るようなワクワク感があります。


 そんなことで、事務手続きの関係から8月、第二幕が上がりました。


blog_shiosaki157-1.jpg
生まれ育った臼杵市の風景。
臼杵湾に浮かぶ津久見島、臼杵なのになぜか津久見。
本来は湾内の臼杵七島(7つの島があった)の一つで、竹島という名前でしたが。手前は母校の臼杵高校、その向こうは造船所。
臼杵は造船と醸造の町、かな。(「臼杵七島」で検索してみてください)

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

1  2

上へ戻る

カレンダー

loading ...

みんなの農業広場に戻る

アーカイブ