ぐるり農政【69】
2013年01月30日
手堅く安全運転に徹する林芳正・新農林水産相
ジャーナリスト 村田 泰夫
3年3カ月ぶりの自公政権復帰で農政は様変わりになるのではないか。様変わりしてほしいという期待と、拙速な政策転換は現場に混乱を招くのではないかという懸念とが、ないまぜになった新政権の発足だった。1カ月あまりの様子をみると、林芳正・新農林水産相の滑り出しは、きわめてオーソドックスで堅実なスタートといえるのではないか。
林農政で注目が集まったのは、戸別所得補償制度の改廃だった。戸別所得補償制度は前政権の民主党の看板政策であり、自公政権はそれを打ち切るのではないか、という観測があった。結論からいえば、名称を「経営所得安定対策」に変えるだけで、平成25(2013)年度は制度の根幹を変えないことにした。おおかたの稲作農家は安心したのではないか。
自民党は野党時代に、「戸別所得補償制度」を、農業の多面的機能を評価した「日本型直接支払い制度」に組み替えるべきだと主張し法案も用意していた。だから、思い切って新年度から戸別所得補償制度を廃止することもありえた。しかし、コスト割れの補てん分として10a当たり1万5千円の交付金を支払い、しかも販売価格が一定水準以下に下落した場合には補てんするという戸別所得補償制度は、農業者に評判のいい仕組みだった。これを「民主党の看板政策だった」ことを理由に廃止してしまえば、農業者には「暴挙」に映ったことだったであろう。
名称しか変えずに従来の制度を維持した理由について、林農水相は「現場を重視する農政を展開したいからだ」と述べた。農家は来年の営農計画を固めており、いま急に政策を転換すれば、現場に混乱を引き起こしてしまう。それを避けようとしたのであろう。バランスのとれた安全運転として評価できる。
安全運転に徹していると思えるのは、他の政策にもみられる。1月28日から始まった、国会で審議される平成24年度補正予算と25年度予算の農林水産予算案もそのひとつである。
自民党は、総選挙で「民主党政権が大幅に削った農業農村整備事業など農林関係の公共事業費を、昔の水準に戻す」と公約していた。民主党政権は、農林関係の公共事業費を6割も削って、それを戸別所得補償交付金の財源の一部に回していた。新政権が公共事業費を復活するには、戸別所得補償の交付金を減らすか、交付金を削らないのであれば、農水省関係の予算総額を大幅に増やさなければならない。
来年度予算案は、前政権時代に概算要求が決まっていた。新政権がやり直すことはできるが、ガラガラポンと全部やり直すのは時間的に無理だ。予算の大枠(フレーム)は基本的には変えられない。しかも、農水省の予算規模だけ大きく増やすことは、財政的にもきつい。そこで採用されたのが、24年度補正予算と25年度当初予算の農業農村整備事業費を合わせて、民主党政権以前の予算規模の戻すという知恵である。
ちなみに、25年度予算の農林水産関係予算案の総額は、2兆2976億円で、前年度より5.7%増えた。農林水産関係予算は年々減らされてきたから、わずかといえ増えるのは13年ぶりのことで、画期的である。そのうち、非公共事業予算は2.1%減らしたのに対し、公共事業予算は32.9%も増やした。この結果、平成24年度予算と平成25年度予算をあわせた農林関係の公共事業予算規模は、昔の自公民政権時代の予算規模に匹敵することになった。
「自公民政権は公約したことを実現した」と評価したい向きもあろうが、実はこれにはちょっとした「からくり」がある。民主党政権時代に創設された地方自治体への一括交付金を、各省庁の補助金に振り替えたり、国有林特別会計を一般会計化したりすることで、農林水産関係のみせかけの一般会計予算規模が膨らんでいるのである。実質的な農林水産関係予算が増えたわけではない。とはいえ、林大臣の面目躍如といった印象を関係者に与えたのは事実であろう。
TPP(環太平洋経済連携協定)問題についても、安全運転に徹している。林大臣は、米国の大学で学び、三井物産で働いたことのある自由貿易論者。「自由貿易を是とし、アジアの成長を取り込む」というのが日本経済再生の道であることは、大臣になったいまも公言している。その延長線なら、TPP参加に積極的なのかなと思わせるのだが、こと公の場における発言は、失言に気をつけているのか極めて慎重で、ひとつのことをオウム返しするのみである。
そのオウム返しのフレーズは、こうだ。
「『聖域なき関税撤廃』を前提とする限り、交渉参加に反対する、という政権公約を掲げて選挙を戦い、政権交代を果たしたのだから、この基本的な考え方は堅持していく」
このフレーズから外れることはない。だからといって、林大臣や安倍晋三政権がTPPに絶対参加しないと早とちりすると、見通しを誤る。いつ、どういう段取りを踏んで参加に道を開くか注目されるのだが、その質問をしても、ワンパターンのフレーズがオウム返しで返ってくるだけである。(2013年1月29日)
むらた やすお
朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。