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信州発 “農”と言える日本人 【7】

2009年11月04日

中国人研修生受け入れ事情

         高見澤勇太


 我が農園の中国人研修生が、いよいよ帰国する日を迎えた。研修生が来るようになって4年目、今年は3月下旬から10月下旬までの7カ月間だった。


 長野県の南佐久地方は夏場の高原野菜産地であり、収穫時期の6月から10月まで、多くの人手が必要になる。特に7・8月は、真夜中の1時、2時から収穫作業を始める農家もあって、まるで戦争状態である。

 そんな中、南佐久で日本人のアルバイト雇用から中国人研修生に移行して、8年ほどになる。最初数件の農家が受け入れていた研修生10数人は、今では1000人を超える規模になり、受け入れ農家戸数も当地区の専業農家の90%前後を占めると思われる。


 この背景には、こんな理由がある。
●日本人のアルバイトが集まらなくなった。
●応募があっても、作業がキツイとすぐに辞めてしまう。
おまけに、
●アルバイトの応募が少なく、来ても中高年層である。
●ようやく採用が決まり、約束の列車の時刻に駅に迎えに行っても「来ない」。
●朝部屋に起こしに行くと、もぬけの殻。
こんな状態が農家を悩ませてきた。


 と、中国からの研修生を受け入れるようになり、こんな評判が聞こえてきた。
●研修期間内は、間違いなく働いてくれる。
●作業能率は日本人の二倍近くと良く、しかもまじめで勤勉である。
●食事は自炊なので、農家の主婦が毎日の献立の苦労をしなくてすむ。
おかげで、農家の精神的負担が軽減した。それ以来、現在のような中国人研修生頼みになってきた。


 農作業ではとても農家の手助けになる研修生だが、見方を変えると素直には喜べない。休日など大勢で散歩する姿を見て、研修生のことを知らない近隣住民が「怖い」ということがある。また、彼らが良く働くがゆえに、野菜の生産量が増え、価格の暴落につながってしまう。

 この意味がわかるだろうか。今や農業技術が進歩して、安定した野菜生産ができるようになった。人手があれば大量に栽培することも可能だ。しかし、消費は伸び悩み、農産物を生活者に食べてもらう努力も追い付いていないのだ。


 研修生たちは、全国各地で活躍している。彼らがいなければ、今の農産物生産量は維持できず、産地の存続が危ぶまれると言っても大袈裟ではない。将来的には、このままではいずれ限界が訪れる。

 100年に1度の不況といわれる状況と、野菜を食べる量が少なくなった日本人。最近の野菜価格の安さを補おうと、年々増える生産量。問題が山積する中、これからの日本農業を守り、食料を確保するためにも、国民全員で考えて行かなければならないことではないだろうか。

たかみざわ ゆうた

1964年長野県生まれ 北佐久農業高校卒業後、すぐに家業である農家の後を継ぐ。長野県農業士協会会長(07・08年)、野菜ソムリエながの代表(08・09年) 、南牧村議会議員(07年~11年)。座右の銘は「ゆるく・楽しく・美しく」


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