ときとき普及【77】
2024年11月27日
農業・農村の現状(その1)
今年の秋は、ツキノワグマの目撃情報が少なかった。知り合いの猟友会員は、「ツキノワグマが箱罠で捕獲されることがなくなった。7月下旬の豪雨で流されたのではないか」と冗談を言っていたが、「正確なところは、ブナの実やドングリ(コナラなど)が豊作だったこと、また、イノシシと行動圏が競合することで、里に出没しないのではないか」と言って帰って行った。近頃の気象の変化は、獣にとっても順応するのが大変らしい。
里では、温暖化で気温が上昇した様子を、「春と秋が短くなった」と話す農業者がいる。この秋も気温が高く、秋野菜の播種時期がわからなくなったと言う普及員OBがいた。身近では、里山の落葉樹の紅葉が今年も遅かった。気象変化が激しく、枯れ込みから紅葉が始まるという珍しい年になった。都会では、10月下旬に真夏日にせまる暑さになった。園芸農家は嘆く。「今年の秋はシクラメンがさっぱり動かない。寒くならないと購買意欲につながらない。葉ボタンの色づきが悪いし、パンジーやビオラの荷動きも鈍い」と、いつもの元気がない。
知人の農業者は、7月豪雨で被害を受けた農地の復旧を諦めた。彼に限らず、多くの農業者は辞め時を考えていて、大義名分が欲しいと思っている。受け継ぎ、拓きながら維持してきた農地だからだ。次は、きっかけ次第になる。
高校生の頃、授業で農地解放の説明を聞いたことがあった。「戦後の農地解放で自作農になったのに、先祖代々の農地と表現する農業者の不思議」と、熱っぽく説明する教科担任がいた。「それって、農地の所有ではなく、維持(農作業)を意味するのでは?」と思いながら聞いていた。このフレーズは普及員になってからも聞くことがあったが、農業者の気持ちを理解していない表現だと思った。
農業の精神的なよりどころは農地である、と考えることは自然なことで、だから、農業を離れるにあたり、不可抗力の自然災害は大義名分となる。きっかけは高齢化だ。知人の農業者の心情は理解できるが、同時に敗北感もあるのだ。最近は「落日感」としてとらえることにしている。
基盤整備を契機に不換地を希望し、離農の道を選択する人もいる。地域の担い手に農地を集積・集約する施策に由っているから、前向きな理由になるらしい。一方、米政策の関係から、中山間地域は条件不利地であり、いつの間にか不作付になっていることが多いと書いたことがある。この不作付地は、豪雨の被害を受けやすい。日頃の栽培管理がきちんと行われていないことが大きな理由だ。不作付地は平坦地でもあるが、中山間地域では認知していない・認知したくない・認知せざるを得ないとなり、手立てを加えられずに自然に戻る農地が増加している。法律上は耕作放棄地のことになる。農業委員会では非農地の認定ができるが、消極的な理由は理解できる。
地域計画の策定に必要なアンケートとヒアリング調査を農業委員会が行ったが、担い手農業者は、条件不利地は担えないという考えを強く打ち出したという。自らが耕作する予定のない出し手は、基盤整備などの事業に対して冷淡なのは当然だ。
では、この現状を誰が引き取って、議論を進めて行くのだろうか。動きのない農業者や地域に対しては、普及活動を計画しても、課題の整理などで数年が経過することも多く、結果として、普及成果はなかったという経験がある。ある先輩は、「ごまかしても、うそをついても(語弊がある表現だが)、一石を投じるのは普及の役割」と言っていたことがあったが、追随する普及員は少なかった。時には「要らぬお節介」になってしまうと考え、「普及活動の信頼性」と称して、動かずじまいのこともあった。
市町村、JA、土地改良区・・・。営農ネタでやるのならばJA、水利ならば土地改良区もありうる。「地域計画を作った農業委員会はどうなるのだ」という素朴な疑問が残るが、難しいだろう。動きがない故に、最後に残るのは市町村になる。しかし、生活ネタ(教育、福祉、防災など)以外で市町村に期待するのは無理に思える。
結局、農業者は出し手・担い手に関わらず、自己責任でやらざるを得ないとなると、自助か共助になる。自助が難しいから議論になっており、共助が最後の砦になる。その時のメンバーが(カードゲームのババ抜きのように)、最後に残るのは避けたいと思うのは、実に自然なことだ。担い手農業者は、最後の一人になることを恐れている。
条件不利地の中山間地域で農業をやることは、落日の覚悟が必要だと思っているらしい。人口減少は、数では単純だけれど、コミュニケーションが疎くなるのは、精神的に辛いという。人が多ければ軋轢が生じやすいが、逆のパターンの方が大変だという考えもある。
中山間地域には高齢者が多い。高齢者とのパートナーシップによって、動きが明確になった農業法人もある。10ha単位で水田の水管理を委託しているのだそうだ。高齢者は時間的な束縛がなく、散歩がてらに水の具合を見てもらっているのだそうだ。高齢者のパートを上手に活用して、業績が向上している園芸農家もいる。共通しているのは、高齢者しかいない中山間地域では、経済活動への何らかの参画が必要不可欠だという話だ。
「青年と、彼らより2世代上の高齢者は、良好な関係を築きやすい」と、誰かが話していた。「高齢者が頑張ると青年が集まる」のは、飛躍し過ぎかもしれないが、活発な活動をする組織や地域には、多くの人が集まりやすいのは事実と思う。「フィールドワークと称して、田舎に勇んでやってくる都会の大学生は、人懐っこい」という話を聞いたことがある。ひと時の喧騒が過ぎ去れば、また静かな片田舎になるが、その喧騒は満更でもないらしい。
「折に触れ、中山間地域の落日感が湧き上がってくる」と話す農業者もいる。「そんなことを深刻に思っても仕方がない」とも話していたが、まったく同感だ。
「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」の「残日」は、藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」の中の一節だ。既に歳をとったことを肯定し、ほどよい距離感で、責任を持って憎まれ口を挟むようにしたいと思っている。平成の時代の中ほどで流行った「ちょい悪な高齢者」とは責任感の持ち方が違っているので、まったくの別物だと思っているが、周りの人たちには同じように映っているのかもしれない。
●写真 上から、
・積雪を待つキャベツ
・雪を掘り進むと現れるキャベツ
・雪の中から収穫したキャベツ
あべ きよし
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。