ときとき普及【75】
2024年09月27日
農村の仕事(その4)
コメの価格が高くなっている。タイ米が紹介されているニュースを聞くと、100年に一度の大冷害といわれた平成5年を思い出す。産地でも品薄気味で、概算金(当時は前渡金と言っていたかもしれない)が高く、「もう一俵運動」もあり、輸入米に頼らなければならないような流通事情だった。
当時は県庁勤務で、農林水産部の企画調整業務を担当していた。企画調整という言葉の響きは良いが、調整は難儀で、いつも忙殺されている部門だった。深夜勤務が多かったが、いま流行りの「働き方改革」とは無縁の時代で、「ブラック」という表現もなかった。時々待望の企画の仕事はあったが、じっくりと腰を据えて仕事をすることなど叶わなかった。そんな中で100年に一度の大冷害に襲われ、本当に困ったことになった。その年の6月までは比較的順調な気候と生育だったが、7月に入ると「やませ(冷たく湿った東~北東の風)」が吹きつけ、中下旬には障害型冷害となるほどだった。
その年の出来秋には米不足が囁かれ、しまいには平成のコメ不足が現実のものとなった。米どころの山形でも米不足だと報道されていたほどだった。米価の高騰は続き、販売店でコメを購入することが難しくなる一方、食品業界の炊飯技術は飛躍的に向上(?)した。炊飯関連の特許や実用新案の多くがこの時期に出願されたものだと、後で知ることになった。パックライスというものを初めて食べた時は衝撃だった。炊飯器の進歩は凄まじかったが、県産米品種の炊飯コースが付いた機種は、まだ出ていなかった。
令和のプチ米不足などは、米さえ入手できれば大丈夫だろう。「中米、青米...もちろんふるい下米でも、どんな米でも欲しい」というのが、最近躍起となって集荷している業者の合言葉だと言う。ここまでの話になると、かなり疑ってしまう。それでも、農業者の希望によるものなのか、早朝にひっそりと作業場の近くにたたずむ県外ナンバーの箱車を見かけることが多くなった。すでに米の流通が規制されていた時代ではないが・・・。
9月に6年産米の概算金が出そろった。前年比で3、4千円上昇しているが、米は価格の優等生でもなく、生産費の高騰があっても容易に価格に転嫁できない諸事情もあることから、この程度の値上げなどは、それこそ想定の範囲内のことになる。しかし、「概算金が3割も上昇するのは素直に嬉しい」のは、多くの米農家の率直な感想だ。
今回のプチ米不足は、流通在庫の減少によるものといわれている。前年作の不作や消費者の購買行動の変化だけでなく、生産量の「めやす」より実作付面積が減少傾向にあることも減少要因ではないかと思っている。
これは、担い手不足や耕作放棄地の増加、条件不利地での作付け減少などで説明することができる。米の需要量のトレンドが漸減傾向にあるにしても、米の作付けがそれを下回るのが常態化しているという現実が、生産現場の隠れた真実であるのは間違いない。今回の水害でも、条件不利地といわれる水田(多くは耕作放棄地化している)の被害の実態は、簡単には把握できないのではないかと思う。なぜならこれらの被害は、市町村へ報告されることはないからだ。かつて携わった米政策関係の仕事で、「めやす」を数量(面積換算)配分する際、不在地主の水田にも「めやす」を配分するが、実態は不作付が多かった。山形県では、農地の貸借に農地バンク(農地中間管理機構)が関与することが多いが、地権者が不在地主の場合は、マッチングがとても難しい。こうして条件不利地は、次第に作付けが困難な状態になっていくのだ。
「地域の農地は余すことなく担う」という大義名分は、内心「本当は忘れてしまいたい」と思っている担い手農業者は多い。かつては、高い志で地域農業に関与していた担い手農業者も「寄る年波」には勝てず、彼らの次の世代になると、「農業も経済行為」と信じて疑わない青年農業者が多くなった。彼らには、「稲作農家が1抜け2抜けしているので、稲作をやるのは競争相手が少なくなった今がチャンス」と説明し、高齢の農業者には、「高能率な水田基盤を"可能な限り"維持することで、稲作産地としての優位性を発揮できる。水田の基盤整備を例にとれば、事業実施のコンセンサスがとれる地域は、将来的に水田農業を継続する上でのハンデがないか、または、アドバンテージがあると考える方が自然だろう。条件整備は、次の世代に対する責務ではないか」と。最近はこんな話をする機会が多くなった。
9月も中旬になると、山形県でも稲刈りを目にすることが多くなった。相変わらず、米の概算金や販売代金の話は会話の冒頭に登場する。少し前は天候の話が慣用句にように出ていたはずだ。今年は、農業者がオペレーションするコンバインのエンジン音が、心なしか心地よく響いてくる。
若い普及員だった頃、夏秋キュウリの市況を集荷場で確認する際、居合わせた農業者と一緒に喜ぶのがとても楽しかった。逆に、市況が思わしくないと、農業者と一緒にため息をつきながらも、「普及活動のチャンス」とばかりに、思い切った枝葉の更新を提案した。「赤字になるキュウリを生産するより、シーズン後半の高値を狙うべき」と付け加えることも忘れなかった。市況の良い時に普及活動のチャンスと感じたことはなく、大半は、技術的・経営的な問題や課題がある時が普及活動の切り口になった。すべて当てはまるわけではないが、農業者は、経営が好調な時は普及を頼ることはなかったように思う。
名や功をあげた農業者の話に、普及活動が感じられないことがある。ある先輩は、「普及事業の組み立てが教育と同じものだからだ。これを否定するのであれば、普及員はできない」と話していた。それでも、普及事業の認知度を上げようとすると、少なからずこの課題に行き着く。普及活動の外部評価が始まった頃も、このような議論があった。
農業者は、これまでの稲作を取り巻く重苦しい雰囲気を打ち消すように、作業に精を出していた。コンバインすら稲刈りを楽しんでいるように思える。しばらくの間、普及活動の切り口になることは、ないかもしれない。
巷では、「久しぶりに農業機械が売れるかもしれない」という話が聞こえてくる。「こういう年は、集荷業者の持てる者と持たざる者の差が大きい」とも。
販売が好調な時は「農業経営基盤強化準備金制度を利用して、積極的に内部留保を積み増すべき」という話をするようにしているが、要らぬお節介かもしれない。
●写真 上から、
・中山間地域の稲刈り風景
・庄内平野の稲刈り風景
あべ きよし
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。