ときとき普及【61】
2023年07月27日
昔と今(その1)
九州地方や北陸地方に梅雨前線が停滞し長雨になっていた。その後は各地に大きな被害をもたらした。災害に遭った農業者の施設や水田などの映像を目にすると、気象災害が頻発する日常が普通のことになったような錯覚に陥る。「記録的な豪雨」「警報級の大雨」などは、視聴者をどきっとさせる用語だと思う。話題になる機会がめっきり増えた「線状降水帯」は、10年前には認識すらなかった。災害の映像をテレビで見ながら、「冠水した水田やパイプハウスは、今季の収穫は無理だろう。後片付けも大変だ」と取材に答える農業者の背後に写る様子が気になる。「30年に一度の大雨」が「50年に一度」になり、最近は「記録的な大雨」や「100年に一度の大雨」と報道されるようになった。社会のインフラが30年、50年に一度の災害を想定して整備されているはずだから、近年の異常値は想定外の出来事と説明されてきた。100年に一度の尺度だと、安全な場所など、日本中のどこにもないことになる。
昔と現在を無意識に比較するようになったら、立派な年寄りだという。昔ばなし風の経験に加え、教訓じみた云々などを織り交ぜる語りが多くなると、それはもう、完璧な高齢者だろう。
いつ頃から、「今」を理解できなくなるのか?
若い普及員の頃は、「今」しか思い浮かばなかった。「昔」より「これから」を大事にしていた。経験がないのだから当然といえば当然だが、「時代は変化している」と、ときどき発言していた。現地に出れば、昔のことは思いのほか役に立った。先輩普及員が話す昔のことは、(すべてではないが)それなりに普及活動のネタにしているような普及員だった。スジの通らない理屈を、「経験という要素は邪魔なこともあるので、今は現在でしか理解できない」と、無理やり解釈していた。
先日、地区の役員たちと、地区の補修箇所の現場確認を行った。同年代なので、当然のように昔ばなしで盛り上がった。
「昔、雪は踏み固めるのが普通で、排雪はするが流雪するという考えはなかったと思う(各家庭に「入水」するための土側溝はあったが、流雪は難しかった)。道路では玉切りされた杉材を運搬する馬そりが活躍していて、玄関先まで除雪されるようになったのは、昭和40年代の後半という、信じがたい地域だった。それでも、マイカーが普及すると、門口の除雪が普通の作業になった。この雪国の生活スタイルから50年が経過した。我々が年齢をさらに重ねると、現在主力の機械除雪から、(体力的な問題から除雪が難しい)高齢者でも操作可能な、スノーダンプ(人力の雪かき器具)に変わっていくだろう。だから流雪溝が欲しい。しかし、河川から取水するという水利権は、簡単には国土交通省から許可されないだろう」と。会話の締めは、補修箇所の現場確認とは関係のない、流雪溝の話になった。
昭和40年代は、農村が大きく変貌した時代だった。
牛馬は耕運機とトラクターに。手植えは田植え機に。稲刈りは、手刈りからバインダー+ハーベスタを経由して、コンバインへと移り変わっていった。軽トラックもこの頃に登場した。初期のスペックは、空冷エンジンのFR車だった。荷を積んで長い坂にさしかかると、下り坂で惰力をつけてからアクセルをベタ踏みして、やっと登はんできた代物だった。ぬかるんだ農道では、至るところでスリップしたという。しかし、農村という限られた世界で、軽トラックは重宝された。そのスペックは進歩し続けた。4WD車になると農作業での優れ物だ。この軽トラックの車体は、長い間、ほぼ白だったが、最近はカラフルになっていて、むしろ白が珍しい。軽トラック=白だった理由が知りたいが、近くに分かる人はいなかった。軽トラックの「普通」は、駆け足で変化している。いつの間にか、今の軽トラックの「普通」は白色ではなく、パワステとエアコン装備になっている。
同時に、稲作技術も変貌している。この時代に活躍した先輩普及員の保温折衷苗代導入前夜の普及活動の話に、とことん付き合わされたことがある。戦後の普及員第1世代が活躍した普及活動なので、昔も昔、大昔のことになる。耕運機が普及する前の牛耕、馬耕は記憶の片隅にある程度だが、田んぼで難儀している牛馬に妙に同情して、使役している農業者に怒りを覚えたこともあった。この頃の農作業の「普通」は相当不便だったが、先輩普及員の話す農業は、妙に明るかった覚えがある。
水田の区画整理が進み、昭和40年代には、10a区画は30aになった。現在は大区画に整備が進められ、中山間地域でも60a以上になっている。
高度経済成長時代の農村の労力不足の解消は、田植え機やコンバインの普及抜きには語れないのと同様に、現在の大区画圃場では、高能率・高性能な農業機械以外では太刀打ちできなくなっている。もちろん、減少の一途をたどる担い手の状況では、必要不可欠であることも分かっているが、最近出会った稲作農家は、「最近の高性能農業機械は、便利だけれども値段が高い。これ以外に選択肢がないところがつらい」と話していた。「農作業を引退するまでのしばらくの間、大区画水田に作業用の仮畦畔を作って作業する農業者もいる」とは農業者の話。所有している(古い)農業機械を使い切るまでが現役とも。これが高齢農業者の「普通」らしい。
水田で活躍するトラクターはタイヤからクローラになり、運転席のキャビンはエアコン完備。軽トラックと同様に、トラクターも乗用車感覚が「普通」になっている。現在のトラクターの「普通」は、ロータリーの耕土深が左右、前後ともオートになっており、作業中に幾度となく後を振り返らなければならないわが家のトラクターは、もはや骨董品レベルだ。
今の稲作には、"農繁期"という概念がないように思う。一家総出で農作業に勤しんでいる風景が、農村から消えてしまって久しい。園芸地帯でも然りだ。激減している農業従事者を農業機械が補完していると理解するのが正しいのだろう。農業従事者を集めようとする行政や農業団体の懸命な努力が報道されているが、「たちどころに報われるような妙案は少ない」とは、関係者の内心だ。かつての稲作がたどったように、技術革新と農業機械はセットでしか、この難問を解決できないだろう。できれば、農業者が実践する生産技術の切り口が、先に立つことを期待している。
昔の経験は、ほぼ否定されることがないので、話題にしやすい。世の中には、世界観の違いが大きいと感じることも多い。高齢の世代に入った自分には理解不能で、どちらかというと積極的に肯定することなく、否定的なニュアンスで賛同することが多い。本当に、今を理解するのは難しくなった。普及員だった昔と同じように、今は現在でしか理解できないと考えている。絶対的な評価・理解を否定するわけではないが、農業分野に限らず、生活全般では相対的に評価・理解することが多いからだ。ここに、昔と今の「普通」の核心がある。時に、昔の普及員の経験は、今の普及指導員にとって邪魔になることもある。迷惑を顧みず口を出す。これは、少し前に流行った「チョイ悪」な普及員OBということになる。若くとも年をとっても、「これから」は共通だと信じているからでもある。(つづく)
●写真上から
・梅雨空に開花するアナベル
・同 ガクアジサイ

あべ きよし
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。