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ときとき普及【56】

2023年02月28日

就農者の奮闘(その2)


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 立春を過ぎると、雪国でも晴れ間が多くなる。春を感じるような陽光の日には、まだ季節が変わる時期ではないのに体だけが期待し、お決まりの寒気が来ると「やはりそうだろう」と、気持ちだけが天候の変化に素直に納得する繰り返しになっている。寒暖の差が大きいと、凍みダイコンの出来は上々である。


column_abe56_1.jpg 当支援センターでは、農外からの就農希望者の研修を担っている。就農研修は、【就農希望者の受付と事前指導⇒希望者への短期(1週間以内・何度でも)農業体験研修⇒長期(1~2年間)農業研修⇒就農】といったシステムでプログラムを進めている。ただし、親元就農は農林大学校が担い、それ以外は当センターと役割分担している。


 3年前からのコロナ禍は、多分に漏れず、当センターの研修受け入れに大きな影を及ぼすことになった。諸会議において、「当センターの研修生は漸減程度で、安定していくと予想している」と、強気の発言をしていたが、実際のところ、研修生の減少傾向は、強気ではいられない状態になっていた。

 しかし、行動制限がほぼ撤廃された今年度は、研修の問い合わせが倍増し、むしろコロナ禍以前よりも多いほどだ。その理由は定かではないが、収益性の面で農業が相対的に評価されているとか、コロナ禍の生活が長くなるにつれて自然や健康、食への関心が高まっているのだとか語る職員もいる。また、リモートによる情報提供が定着したとか、市町村による移住者への生活支援が過去最高水準に充実しているという声も聞こえて来る。個人的には、山形県農業の魅力が評価されているという希望的要因を期待している。

 とはいえ、魅力だけで山形県で就農を計画する人はいない。多くは妻の実家や祖父母を頼った就農を計画する事例だ。就農の受入れ団体との接点がある場合のことは、新しい「ゆかり(所縁)」ととらえることもできる。このような場合を含め、山形県への「関係人口」とか「ゆかり」と話す機会が多くなった。


 当センターの外部理事(農業者)は、自らの農業研修生の受け入れ経験から、「ゆかり」を有して就農すると営農の成功率が高く、近隣の農業経営と比較して抜きん出た場合もあると言っていた。就農者が農地や農機具を確保する場合、手立てはあるものの苦労を伴う。また、作業舎や格納庫は二の次に考えがちで、結果的に営農の障害になっていることが多いとのことだ。たしかに、家庭菜園と同じ「ナシナシ」の状態で就農した場合、本格的な営農は難しいことが理解できる。「休憩スペースがない場合、パート雇用もままならない」と語った就農者もいた。「ゆかり」がある就農の場合は無償かつスムーズに、それらを確保できるとのことだ。


 普及員時代、Uターン就農者について同じ思いを感じたことがあった。彼らの農業経営は農作業への覚悟が随所に感じられ、経営目標の志に触れることさえできた。遅れて就農したハンデを取り戻すために、先輩農業者などを積極的に頼るという「聞き上手」で、営農に対する執念のようなものを感じることもあった。Uターン就農者は親元就農で、生活関係だけではなく、就農に必要な営農資産が準備されているからでもあった。


column_abe56_2.jpg さて、30~40歳代の就農希望者が多いことは、かつて経験した就職氷河期と無縁ではないだろうと思ったりもしている。研修希望者への調査、解析が終了するまでの間は、詳しい説明はしないようにしているが、山形県への「ゆかり」に焦点を当てた就農対策は、大切な視点だと思っている。当センターで長期研修(1~2年間)を終了した研修生は高い確率で就農するため、研修生=就農者としてカウントすることができる。「この増加は就農者の真水なので、彼らは山形県の将来の農業のシーンでは、必ず貴重な戦力になる」と、ことあるごとに話すようにしている。


 就農者は昔も少なかったが、現在は絶対数が不足している。そのため、相対的ではあるが、参入者に対する支援策が多く、地域での受け入れもスムーズになっている。少し前には考えられなかったことだ。すべての市町村が横並びではないにしても、新規参入者に対する生活支援も充実している。さらに、名の通ったブランド農産物の産地の場合、就農意欲は高まるのだという。事実、就農者の多い地域は、ブランド農産物があって経済性が高いという共通点がある。


 かつて、就農者は寝る間を惜しんで農作業に励むのが常だった。研修先の受入農業者も農村でも、それを是とする雰囲気があったのは事実だ。しかし、産地によっては、共同選果(選別)施設などの地域拠点施設(ハード)が整備されるにつれて、長時間労働から解放されることになった。就農者も、その施設に参加することで営農が安定し、名実ともに産地の仲間に入ることになる。今年度実施した産地調査で分かったことだが、産地の地域拠点施設と就農者の増加との関係性を理解できたのは最近のことだ。

 数年前、新規参入者へのアンケート・聞き取り調査を行ったことがあるが、就農者はJAなどで運営する選別・集荷施設を利用する比率が高いという結果だった。また、就農後は、普及指導員を頼りにしているという回答が多かった。これは意外であり、OBとして率直に嬉しくもあった。

 ある新規参入者は、黙々と剪定作業を実施する普及指導員の姿を、感嘆しながら見つめていたと話してくれた。普及指導員が「何か」を語らずとも、就農者へ「何か」が伝わっていたのである。別の新規参入者は、栽培現場で病害虫のことを説明する普及指導員を驚嘆しながら眺めたという。そこには、知識と経験が豊富な普及指導員へのリスペクトがあった。普及指導員が語る「何か」を期待しているのだと思う。その「こころ」を、普及指導員は理解できていないかもしれない。


 柑橘の品質の良し悪しを果実外観から即座に判断する専門家のことを驚く、若かりし頃の私に対して、「キュウリやメロンのことは、あなたもある程度は理解しているだろう。それと同じで、驚くに足りない。スペシャリストとはそういう存在だ」と語った先輩を思い出すことがある。遠い昔、『農業者に「何か」を感じてもらえるような普及員になりたい、なるべきだ』と考えていたことがあった。


●写真上から
・寒気が十分なので期待できる「凍みダイコン」
・子供の頃、杉鉄砲の玉になったスギの実(雄花)

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。


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