ときとき普及【52】
2022年10月28日
20代の普及活動
9月のある日のこと、買い物帰りの道すがら、柴グリが道端に落ちているのを見つけた。車中で妻と「わが家のクリも落ちているかもしれない」ということになり、私一人で様子を見に出かけた。
「様子はどうだった?」との妻の問いに、「はけご半分ぐらい落ちていた」とざっくり答えたが、いざ拾いに出てみると、落ちているクリは半端な量ではなかった。「"はけご半分"との話だったけど、どんぶり勘定ではなくバケツ勘定、いや風呂桶勘定と言ってもいいかも・・・」と、妻の声が聞こえて来たので、「金銭ではなくクリのことなので、少々意味が違うのでは?」と、心の中でつぶやいた。
クリに"裏年"はなかっただろうか?
クリだけでなく、今年はドングリやブナの実も豊作だという。「この秋、ツキノワグマの目撃が少ないのはこのためだ」と、知人の猟友会会員が教えてくれた。「ただし、活動実態はわからないので、晩秋の越冬準備に入る頃には注意が必要」らしい。
山形県の場合、水稲単作地帯が多いこともあり、クリ拾いの時期はちょうど稲刈り時期だ。出来秋の農繁期なので、農業者への接触は遠慮している。ライスセンターやカントリーエレベーター運営担当として従事することが多かったJAの営農指導員も忙しく、結果として野菜専門担当の普及員は、一年で最も余裕のある期間(普及員の農閑期)になっていたことを思い出した。
若い頃の私は、既存の産地を支援する普及活動は思いつかず、まして、新規作物を導入するなどの専門知識や経験もなく、もっぱら農業者の要請活動にあくせくするのが日課になっていた。
ある研修で、普及事業主管課の課長が「普及活動では、切り口となるような技術が提案できなければならない」と講義していたことがあった(それでも、普及活動は伝統的に対面であると考える普及員が多かったが故に、受動的な普及活動が多かった)。こんなことを考えながら聞いていたため、講義の中身を理解することができなかった。当時の課長は、今風の「プッシュ型の普及」を期待していたのだろうと思う。
普及所の稲作(正確には作物)専門担当の普及員は、農協(当時はJAの呼称はなかった)が準備した講習会を、時間割のようにこなしていた。当管内は、水稲単作地帯だけに、稲作の関係する普及対象(農業者)は圧倒的に多かった。また、稲作の技術指導は、生育調査という実測データに基づいた講習会だった。彼らの、忙しいけれど充実しているように見える日々を横目で見ながら、内心はうらやましく思っていた。
「野菜担当は、普及活動の舞台づくりと役者(ベース、普及対象者のこと)育成からやらなければならないので、稲作専門担当の普及員とは悩みの質が違う」などと強がりを言っていた。時々、野菜専門担当の私にも、JA主催の講習会の依頼が舞い込んだりすると、「やっと来たか」と、ある種の安堵感を抱きながらも、「スケジュールを調整して対応したい」などと、手放しの嬉しさを気取られないようにする、そんな浅はかな普及員だった。
若い普及員でも、普及対象の背景や課題の整理は当然のことだ。改めてやらなくとも、日常の業務そのものが立地条件を俯瞰したものであるので、産地や農業者との対面での議論の中に普及課題の核心があると考えていた。これこそが相当にレベルの高い普及計画だと、自負していた時期があった。
当時の普及所では、経験年数(年齢)は関係なく、ある意味、自由な普及活動をやらせてもらっていた。普及担当の専門技術員が、「行政の多くはライン制で、普及はスタッフ制で・・・、計画活動は普及員が連携して・・・」というような説明をしていたが、農業関係機関、団体との連携・役割よりも、普及員間の連携が希薄な雰囲気(優先順位が低いということ)が普通だった。当然のことながら、若い普及員が単独でできる普及活動などは「たかが知れている」ことを痛感することが多かった。
「採用3、4年目の普及員には、戦術を駆使した普及活動は難しいだろう」と、先輩普及員から慰められた。改めて指摘されるとその日は悔しかったが、日々の業務に紛れて、特段深刻には考えていなかった。普及計画の存在をあまり意識していなくとも、年中行事のように繰り返すことで、キャリアアップができていたのかもしれない。
普及計画の中間検討会と総合検討会は、日々の普及活動との間に"すき間"があると考えていた。20代の頃の自分は、この"すき間"を埋める術を考えたこともなかった。先輩普及員の指摘のとおり、若い普及員時代は「普及活動で何をやったかは覚えているが、農業・農村に形づくられたものは何もない」という、情けない現実がある。当時、普及計画のようなアクションプランによって業務を管理していた職場(県の場合は部署)は、普及以外にないことを知るのは30歳をすぎてからだった。
普及活動の組織的な関与については、ある程度のキャリアを積んでいないとコーディネートは難しい。また、専門的な知識を有しないと、農業者から信頼を得ることさえも難しいのは当然のことだ。経験年数が10年以上の中堅職員になって実感することでもある。この頃(ある程度のキャリアを積む頃)になると、普及員としての「個人(あなた)の考え」が農業・農村現場の課題と一致してくるのを実感することが多くなった。経験を積むにつれ、「あなたの考え方」が、「あなたの考え」として認知されていくのだろう。
ある野菜産地では、関係機関・団体との役割分担のための連携会議を舞台に、縦横無尽なコーディネートを行っていた普及指導員がいた。稲作の篤農家に対して、圧倒的な専門知識で信頼を得ていた普及指導員がいた。果樹産地では、巧みな話術で農業者やJAの営農指導員を圧倒していた普及指導員がいた。これらはみな、30~40代の普及指導員だ。
若い普及員が、これら中堅職員とチームを組んで普及活動を行うことでキャリアアップしていくのは間違いがない。無理のない範囲で、ちょっと背伸びをした普及活動にチャレンジして行けば良いのではないか。
●写真上から
・今年はベルギーマムを育ててみた
・ベルギーマムとアマガエル

あべ きよし
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。