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ときとき普及【33】

2021年03月30日

普及員と研究員(その1)


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 40年近く前になるだろうか。3月のある日、野菜茶業試験場久留米支場(※)で開催された「イチゴの課題別検討会」に参加したことがある。
 当時は研究員で、イチゴの生態利用の栽培技術開発として「低温カット栽培」の研究開発を担当しており、研究開発の目標は10a当たり6t以上の収量というものだった。研究レベルでは研究目標を達成する段階になっていて、試験区の収穫最盛期の鈴なりのイチゴの様相をながめながら、積雪寒冷地でも全国レベルのイチゴ栽培ができるとの満足感を抱いていた時期だった。

現在の農研機構 野菜花き研究部門


column_abe33_1.jpg 意気揚々と課題別検討会に出かけて行ったが、会議で紹介された話題の新品種「とよのか」と「女峰」を目の当たりにし、日持ちや食味よりも、その香りの豊かさに強い衝撃を受けたのだった。自分が研究開発で供試していた「宝交早生」や「盛岡16号」にはない品種特性だった。イチゴの品種開発は一気に進んでいると理解するのに、時間はかからなかった。同時に、イチゴの産地化の考えが急速に萎んでいくのだった。
 寒冷地の半促成栽培や早熟栽培が「宝交早生」や「盛岡16号」を使うのには理由がある。新品種は花芽分化が容易で休眠が浅いという生態特性があるが、山形県のような積雪地においては、短日の期間中は極端な曇天となり、暖地の促成栽培や半促成栽培の作型が成立しないからだ。これでは産地間競争で生き残れない。それは、「イチゴでは産地化は難しい」ということを意味する。失意のうちにイチゴ課題別検討会を後にした。


 その後、普及員として農業者や営農指導員と対面する立場になった。現地では、イチゴをやりたいと希望する農業者が少なからずいた。「好きな作目と似合う作目は違う場合がある。そこをしっかり理解しないと無駄な努力をすることになる」と説明する自分がいた。ここでやめておけばいいものを、「雪国は基本的に1年一作が多く、何度も経験する余裕などない」と続け、希望にあふれた農業者に冷や水を浴びせるのだった。話をすればするほど、「どうやったら可能になるか」ではなく、「できない理由を探し出す」、実に情けない普及員になり下がっているようで、先輩普及員の「情けないな」という心の声が聞こえて来るようだった。


 普及員として経験を積むと、物事を否定的に考えることが多くなる。「あれはダメ、これは相当難しい、絶対にやめるべきだ」と話している。「やってみなければわからない」に対しては、「普及員として経験を積めば、やらなくてもわかる」と豪語し、かつて否定的に発言する先輩普及員を嫌っていたはずだったと、反省することも多かった。


 普及員として仕事をしたフィールドの多くは、夏季は比較的降水量が多く、曇天日が出現する割合が多い地域だった。もちろん冬季は積雪が多い。同じ東北地方でも南東北の太平洋側は晴天日が多く、研究員同士の会話でおなじみの「北関東並み」という単語は、冬季間に日照時間が長いため、多様な作型展開が可能なことへの「あこがれ」に近い思いとして出てきていたと思う。それだけ日照は、施設園芸の作型開発にとって、かけがえのないプラス要因だった。

 気象条件という大きなハンデを背負った状態で、先進産地に伍していくことなどできないだろう。農業生産は経済活動の側面がますます強まっているので、ハンデのない、あるいは有利になるような産地化への誘導とか、ちょっと支援とかは、絶対に必要な普及活動だとのいいわけを考えていた。

 「全国的に見て、露地ニラの産地はほとんどないが、当地域は露地栽培ができるから魔訶不思議だ。他県の技術者と栽培に関しての意見がかみ合わないことが結構ある」と農業者と話した。
 「温暖化の影響で、ネギの主産地の関東地方は高温、干ばつで苦労している。夏季のネギは息も絶え絶えの状態だ。生活用水さえ不足する地域においては、水稲の出穂期に満足にさえかん水できないのはわかる。その点、わが地域の夏ネギ栽培は楽勝だ」と営農指導員に解説した。

 「アスパラガスの長期どりは、かん水の労力を要するが、10年に一度の水稲の冷害に悩むほど、夏季に冷涼な当地域では、栽培管理は実に容易だ」と、関係者に説明して回った自分がいた。


column_abe33_2.jpg 普及活動で意識はしていなかったが、作目として定着し、他県に比較して競争力があり、その後に主産地になった品目には共通点があった。それは、光飽和度が低く、土壌の湿害にやや強い旧ユリ科の植物だった。蛇足になるが、「21世紀は水資源に恵まれている東北の時代になる」と、平成の初めに講演した有識者がいた。これと結び付けて考えるのは飛躍し過ぎかなとは思う。


 あれから40年近くたち、数世代を経たイチゴの品種群は、さらに特性を向上させていると思う。一季成り品種だけでなく四季成り品種においても、その特性には驚くことが多い。時々イチゴの栽培ハウスを見学する機会がある。ハウス内はイチゴの豊かな香りに満ちていて、当時の衝撃を思い出す。

 ある古老の農業者は、「砂丘地帯で早熟栽培のイチゴ栽培が盛んだった頃が懐かしい。その頃、仲間は元気で、産地全体に活気があった」と話していた。いつの日のか、その思いが可能になるような工夫や新品種が登場するのだろうか。平成の後半に、四季成り品種群の改良が進んだ時、積雪寒冷地でのイチゴの産地化の思いが湧き、少しばかりドキドキした記憶がある。


 さて、私と同年代の男性研究員がイチゴを愛でていた。本人が言うにはイチゴの可能性を探求していたとのこと。その様子をいぶかしく感じていた若い女性職員が「いやらしい」と口走ったという。彼には理解ができなかった。イチゴは、性別、年代を問わず人気のある果実なのにと。この話を聞いて、ここにも似合わないシーンがあったと思った。


●写真上から 寒冷地におけるイチゴの高設栽培、水田転作の長期どり栽培のアスパラガス

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。


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