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ときとき普及【32】

2021年02月28日

就農者の奮闘(その1)


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 山形県では農業の技術職員に採用されると、「普及」「研究」「教育」と「行政」に配属される可能性がある。この4種類を経験することを、かつては「グランドスラム」と呼んでいた。団塊の世代の先輩が退職の挨拶で「4種類の職場を経験した"グランドスラム"でした」と言っていたことを覚えている。

 農業改良助長法に当てはめると、「普及」は普及指導センターと普及指導員、「研究」は農業に関する試験研究を助長するために都道府県で設置する試験研究機関と研究員、「教育」は農業者研修教育施設において必要な農業経営または、農村生活の改善に関する科学的技術及び知識を習得させるための研修教育施設と指導員となる。残りの「行政」は一般行政で、説明の必要はないだろう。


column_abe32_1.jpg さて、昭和の時代の普及事業は、農業改良・生活改善・青少年育成の3本柱だった。現在の普及現場は分からないが、私の若かりし頃の普及事業は、この3本柱を抜きに語ることができない雰囲気があった。
 私は「教育」の職場を経験していないので、グランドスラムではない。普及所でも青少年(現在は青年)担当になったことはないが、普及活動の時々で、青年農業者と接する機会が多かった。普及所によっては、青年農業者と4HC(※)員がほぼ一致する地域が多かった時代だ。


4HC:農業青年クラブ
4Hとは、農業の改良と生活の改善に役立つ腕(Hands)を磨き、科学的に物を考えることのできる頭(Head)の訓練をし、誠実で友情に富む心(Heart)を培い、楽しく暮らし、元気で働くための健康(Health)を増進するという、同クラブの4つの信条の頭文字を総称したもの(農林水産省HPより)


***


 昭和の時代の4HC員のマイカーは、高級車(?)が多かった。
「我々の仲間うちでは、200万円以上のものを"車"と呼んでいる。人気車種はスカイラインやブルーバードSSS、ローレルあたりかな?」と4HC員。
「それでは、200万円以下の自動車は何と呼ぶの?」と、私は多少不満な面持ちで質問してみた。
 彼は「単なる自動車かな」と、あっさり答えるのだった。
 私から見て、不釣り合いな高級車で普及所の実践講座に来る4HC員のことを、A先輩普及員に話した。
「今は後継者不足が深刻だから、そのぐらいしないと親元で就農しないのだろう。昔の集団就職者をもじって"金の卵"と呼ぶ人もいる。その一方で、おんぶに抱っこ過ぎると陰口を言う人もいる」と先輩は言った。
「過保護だとは思うが、親元就農はそれだけ切実な問題だということだ。マイカー資金が用意できるということは、地域農業の経済レベルがそれ相当のものと理解できるだろう」と続けた。


column_abe32_2.jpg 数日後、今度は知人の役場職員が、赤いスポーツカーで重低音を響かせて普及所に乗り付けた。車から降り立った姿は作業着に作業靴という、スポーツカーには似つかわしくない服装だった。

「こんなに車高の低い車では、雪道ではラッセルになって走れないだろう」と、私は心配して尋ねた。
「乗るのは夏だけだ。"車"を手に入れて、ようやく自分も農業後継者並みになった」と、農村在住の彼は、同年代の農業後継者を猛烈に意識しているようだった。そんな役場職員の思いを聞いても、農業後継者への処遇が過保護だとは思えなかった。技術習得は、親や先輩の後姿から学ぶ難しさがある。また、他産業に比べて、同世代が圧倒的に少ないという孤独感は若い世代には耐えがたいという現実も、彼らから聞いていたからだ。


***


 平成になってからのこと。
 担当している4HCのことで、K後輩普及員から相談を受けた。「京浜市場に研修に行きたいが、手頃な補助金はないか?」と聞かれ、困っているとのことだった。

「最初から人頼みはだめだ。4HCなのだから体力はあるだろう? それこそ頭と体を使ったらどうか。必要な資金は自らが稼いで調達してもらいたいものだ。知り合いの農業者Tさんがパイプハウスを数棟新設することになり、労働力を探していると相談されたので、彼ら(4HC員)を紹介してもいい。相場は奥行きm当たり5千円だが、交渉の余地はある」と、無責任にアドバイスした。


 後日、彼らの作業を遠くからのぞいた。厳しい作業風景に、少し心配になった。
「それぞれのスケジュールが合わず、作業の進捗が悪い。このまま任せても大丈夫だろうか?」と、Tさんは不安を隠さなかった。
「たしかに、初心者にとっては規模が大きいが、気長に見守ってもらいたい。砂利層へのアーチパイプの差し込みや、捨てパイプの配置の仕方、アンカーの設置方法など、積雪地での気象災害に強いパイプハウスを実地で学ぶ良い機会だと思う。彼らにとって、今後の農業に必要なものばかりだ。それに、研修費用の捻出という目的があるから、最後までやり抜くだろう」と、私は答えた。

 さて、苦労して調達した資金を手に、彼らは意気揚々と念願の研修に出かけて行ったと聞いた。
 年を重ね、彼らの多くは地域を代表するような農業者になっている。


***


column_abe32_3.jpg 普及所で農業後継者の組織化を進める時、4HCは必ず話題に上る組織だった。生活改善に対する生活改善実行グループのような存在だったと思う。当時も農業後継者の減少が危機感を持って議論されていたが、今よりはずっと人数が多かった。


 そういえば、専門技術員には青少年の担当分野があった。
 農村にはJA青年部(現在は青年組織協議会)、地区には青年団が組織化され、団塊の世代が青年だった時代をピークに、華やかな(?)組織活動が展開されていた。
 ある農業者は、「地区内の見渡す限りの水田に人影が見えない寂しさはあったが、公民館での泊まり込みの集まりが懐かしい。そこでは、異性が話題になることも多かった。時には、車を後進させながら隣町まで行くという、今では考えられないような無茶苦茶なこともやった」と、笑いながら話していた。地域の農業の姿も、若者なりに真剣に議論したという。

 会員の減少に伴って、どちらも活動が停滞していくのだが、農村でも、生活観や価値観の多様化がそれに拍車をかけていたと思う。JA青年組織協議会は活動を継続しているが、地区青年団は、いまや見る影もない。ただし、優秀な農業者の多くは、かつてJA青年部や地区青年団、4HCのいずれかで、活発な活動経験があるケースが多いと思う。


 数年前、ある農業コンクールの現地審査の時のこと。農業法人の代表者は、「息子(後継者)は、親元で育てるのは難しい。別の法人や任意組織の中で揉まれることにより、農業に必要な感覚や社会性が培われると信じている」と話していた。新規就農者が激減し、雇用就農の割合が多い現在にあっては、とても含蓄のある話だと感じた。


●写真上から 除雪(排雪)を待つ雪国の園芸施設、雪が多いほど栽培管理が容易な根ミツバ、代表的な促成山菜のウルイ

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。


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