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ときとき普及【6】

2018年12月21日

ウルイの巻(その1)


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 促成山菜が多く出回るシーズンになった。
 主産地の山形県で山菜研究の基礎を築いたK先輩は、中山間地農業試験場(現 最上総合支庁産地研究室)の研究職だった頃、作り育てる山菜を提唱した。営利栽培であるがゆえに、自生地の植物資源の保護の側面からも、実に的確な表現だと感じていた。


 山形県の促成ウルイは、70年代後半には地場市場に出回るようになった。
 当時、県内では2種類のギボウシ類が栽培されていて、促成栽培する小型のものを「ウルイ」、主に露地栽培する大型のものを「ギンボ」と呼んで区別していた。ウルイは「オオバギボウシ」、ギンボは「トウギボウシ」と聞いていた。専門家の助言があったとのことだった。


「Y先輩、促成ウルイは本当にオオバギボウシですか?」(腑に落ちない私)
「S先輩が情報発信しているけれど、今、流通している促成ウルイは谷地ウルイの一種で、山どころでは普段は食べない種類だよ」(Y先輩)
「やはりそうですか」(やや納得する私)
「普段はウルイを食べない地域の農業者が、山採りしないウルイに着目し、促成栽培との相性が良いことと相まって、これまでにない商品に仕上げたことがポイントかな。もし、山どころの農業者だったら、山から採取しているウルイを栽培に使用していたはずなので、促成栽培は難しかったかもしれない」(Y先輩)
「山採りでなくてもウルイには違いないし、流通面で問題もないので、積極的に訂正する必要もないだろうと思っていたが、この先正しい情報を発信する時がくるかもしれないな」(Y先輩)

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オオバギボウシ(左)とオオバギボウシの萌芽(右)


 そんな会話を交わしてから約20年後、自分が中山間地農業研究部に勤務していた時、隣県のN県、T県と山菜類の共同研究を行う機会があった。


「当方でウルイの促成をやっているが、なかなか品質が向上しない」(N県研究員)
「研究成績書にはウルイとだけ書いてありましたが、もしかすると、オオバギボウシを研究材料にしていませんか?」(私)
「そうです。そのように情報を得ていましたが、違うのですか?」(絶句するN県研究員)
「N県、A県やI県の研究成績を読んでいると、当県のデータとは異なると感じていましたが、やはりそうでしたか」(私)


 オオバギボウシは山菜のウルイで、ギンボはオオバギボウシの変異種又は亜種であること、山形県の栽培種のウルイはバランギボウシのようなコバギボウシの近縁種であることを、植物分類地理の専門家の藤田氏の論文から推察していることを伝えた。


・・・・帰りの車中で・・・・


「先ほどの話は本当ですか?」(会議に同行したX研究員)
「オオバギボウシを自殖すると次世代の変異が大きく、ギンボの様な植物体も生じる。うちの県で言うところの促成ウルイは稔実しないだろう。これがオオバギボウシではない決定的な証拠だね」(私)
「N県の研究員には悪いことをしたのかな」(X研究員)
「産地化の腰を折ってしまったのは間違いない。もし問い合わせがあったら伝えていただろうが、うちの県の情報発信の内容が誤解を生んだのかも知れないな。今回のウルイに限ったことではないが、経験を重ねた普及員なら、情報を鵜呑みにしたための失敗談の一つや二つはあるだろう」(私)


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促成ウルイの株養成(左)と収穫物(右)


 Y先輩から聞いた話として、山形県の促成ウルイはK市から始まり、主産地になっているY町に波及し、県内では、K系統、Y系統、H系統とF系統の4種類が栽培され、すべてがコバギボウシの近縁種であること。Y町の産地化では、山菜類に詳しい普及員のM先輩が指導していたこと、また、Y町の農業者は、栽培種を小葉系と話していたことからも、オオバギボウシを意識して除外していたことがわかることを話した。Y町の産地化によって、京浜市場では山菜の新商品としの認知が進んだことなども説明した。


「K市を含む市町は、木の芽(アケビの芽)やウコギ(ヒメウコギ)の芽の促成物の発祥の地になっている。この地域の農業者の探究心が、ウルイの促成に結びついた好例だと思う。もしY町に波及していなければ、京浜には流通していなかったかもしれない。新しい物を創り出すのは大変だが、実際は育てる産地が鍵になるのかも知れない」(私)
「山形県のたらの芽の主力品種になっている「蔵王2号」は、頂芽主体の時代に、側芽利用の発想と品種がマッチングした事例として知られているが、これも育てた産地が異なるね。野菜の産地はこんな具合に、技術が波及しながら発展していくのかもしれない」(私)


 斬新なアイデアで誕生した促成ウルイのルーツを探りたいと思いながら、いまだ果たせずにいる。すでにウルイ関係者の世代が代わっていて、そのルーツを探ることは叶わないかもしれない。

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。


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