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きょうも田畑でムシ話【146】

2025年05月09日

イチモンジセセリ――せせこましくヒト躍らせるチョウ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 「なるほどなあ」
 そういうことも確かにあるのだろう。
 おそらく、明治時代のことだ。イチモンジセセリの幼虫である「イネツトムシ」についての報告があった。
 いわく、イネツトムシ害を受けた水稲を引き寄せたら、田んぼ全体が動いてしまった――。
 にわかには信じがたいが、事実だといわれれば受け入れるしかない。


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左 :イネツトムシのつくった「つと」。身を守るための虫の知恵という点では評価したい
右 :葉っぱを開いたら、いた、いた。驚いたのか、頭を持ち上げて、ごあいさつ?


 イネツトムシは口から出す糸で葉の縁をつづり、筒状の巣にする。「つと」はわらなどを束ねて包んだものだから、「イネツトムシ」はなかなかのネーミングだ。
 そのイネツトムシは成長するにつれてより多くの葉を使うようになり、次第に大きな「つと」にしていく。その結果、なんとまあ、田んぼの稲がつながってしまったと言いたいのだろう。それだけ甚大な被害であるという状況は、驚きとともによく伝わる。
 地域によっては、「はすぺい半作」とも言った。「はすぺい」はイネツトムシのことで、大発生すると収量が半減するというたとえだ。名前の由来は不明だが、葉をすくってぺたっと巻く虫とか、葉を巻いて隠れる虫といったところだろう。
 驚くことに、大量発生すると今度は「豊年虫」に〝変身〟してしまう。半作にしたり豊作にしたり、なんとも忙しいことである。
 農家の人たちにはイネツトムシの名で知られる昆虫だからか、専門家の研究報告には「イチモンジセセリ(イネツトムシの成虫)」という記述まであった。


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左 :イネツトムシがいた田んぼにはアマガエルもいた。どれだけやっつけているのかは不明だ
右 :土から頭をのぞかせたクサソテツ。というよりは、「コゴミ」という山菜名のほうが有名だろう


 とっさに頭に浮かんだのが山菜だ。「ウルイ」「コゴミ」という名前を出しても、都会では通じないことがある。だからといって農村生活になじんだそれらの山菜をオオバギボウシ、クサソテツという標準和名で呼んでも、長く食べてきた人たちには通じない。
 そう考えると、呼び名ひとつにも気を配る研究者がいたということが、虫好きにはうれしい。立場というのは、あんがい重要だ。


 わが少年時代を振り返れば、まわりにはいくらでも田んぼがあった。イネツトムシもきっと、うじゃうじゃといたのだろう。
 いや、あるいは反対に、農薬をふんだんにばらまいていた時代でもあるから、ほとんどいなかったのか......。そのころは水稲に目が向かず、稲穂を見たかどうかさえ覚えていない。いまとなっては、それが悔やまれる。
 農家でなかったこともあるが、少年たちにとって田んぼは、メダカやフナ、オタマジャクシ、トンボを捕る場でしかなかった。したがってそこに、害虫代表とされるイネツトムシがいるかどうかなんて、まったく関心がなかったのだ。お百姓さんには謝らなければならない。


tanimoto146_5.jpg そもそも、イネツトムシという名前を聞いた記憶もない。その代わり、昆虫図鑑に載るイチモンジセセリはよく知っていた。チョウといっても、イチモンジセセリを除くと、モンシロチョウとアゲハチョウ、ベニシジミぐらいしか身近におらず、虫好きにとってはなんともさびしい土地だった。
 それでも、イチモンジセセリはよく見た。地味だし蛾のようだから、捕らえたことはない。名前通りのせせこましい飛び方で目につくため、知りたくなくても覚えてしまったというのが実態だ。
 イチモンジセセリは、それくらい当たり前にいた。普通種と呼ぶのにふさわしいチョウだった。
右 :枯れた葉のすぐ近くに着地したイチモンジセセリ。そうやって身を隠す、なんてことはない。たまたまのショットだ


 「田んぼのイチモンジセセリの写真が欲しいなあ」
 数年前のある日。思い立って、近くの田んぼに出かけた。有名な害虫でもある普通種だから、写真撮影も簡単だ。
 ところがそれは、大きな間違いだった。成虫もイネツトムシも、なかなか見つからない。子どものころよく見ていたツマグロヨコバイも見当たらない。
 がっかりして知り合いの農家に尋ねると、いとも簡単に、「そんなのどこにでもいるよ」と言われた。
 「でもまあ、むかしに比べれば少なくなったかもなあ」と言い添えて。
 散歩に出れば、イチモンジセセリを見る機会は多い。したがって滅んではいないはずだが、田んぼへの依存度は低くなっているのだろうか。


tanimoto146_6.jpg そんなことも漠然と考えていた昨年の秋、あれまあと驚くようなニュースが飛び込んできた。
 環境省などが2022年度までの18年間かけて調べた結果を発表したのだ。スズメやオナガといった鳥の普通種とともにイチモンジセセリの名も挙げ、ハイペースで減少が進んでいると報告した。その前には世界で100万種の生物が絶滅の危機にあるとか、半世紀の間に7割も減ったというニュースも伝わっていた。

 田んぼで見つけにくかったこともあり、さすがに気になった。世界的には昆虫類の減少が著しいといわれるし、農地や草地で見られた鳥がどんどん減っているとも聞く。そうなると害虫かどうかは別にして、昆虫の一種であるイチモンジセセリの減少が心配になる。
 害虫として扱う場合には、その発生状況が問われる。防除が必要な水準なら、手を打たなければならない。研究者は発生予察を目的に田んぼの近くにクローバーやヒャクニチソウを植え、蜜を吸いに来る成虫の数をカウントした。花に集まるチョウの習性を利用した、なるほどの方法ではある。
左 :「イチモンジセセリ激減!」のニュースに驚いた人は多いだろう。でもご近所に限れば、田んぼでない場所ではよく見かける


tanimoto146_7.jpg だが、栽培管理が適切でなかったり、天気が悪かったりすると、チョウは吸蜜に来ない。
 だったらというので、チョウの好む色を塗った粘着トラップで捕らえる方法が検討された。古い文献には黄色を好むとあったが、そのほかの色でも試してみると、濃青色が効果的だった。においのおまけも付けようという意見もあり、トラップには香料もセットして、より効果的に集めようとした。
 素人には、そうしたトラップの設置のしかたも興味深い。
 ゴキブリをおびき寄せて捕る粘着シートをイメージしてほしい。通り道に仕掛けるとしたら、水平に置くか垂直に置くかのどちらかだろう。農業研究者の考え方もいろいろで、初期のころは水平置きにしていた。それを垂直にしたら、より多く集まったという。
 田んぼのどのあたりにセットするといいのか、その設置場所も検討した。しかし垂直に置くなら、田んぼの真ん中でもあぜ近くでも大きな差はなかったようだ。
 そこへきて近年新たに目をつけたのが、白い粘着トラップだ。斑点米カメムシでは効果が確かめられている。それでもしかしたらイチモンジセセリでも、となったのだろう。
 黄色よりも青色、白色の成績が良く、青色粘着トラップは垂直に設置するやり方が好成績だった。
 色では負けるが、黄色にするなら、垂直よりも水平置きのほうがいいという結果も出た。それもまた、面白いと思う。
右 :食用菊の栽培ハウスで使われていた青色粘着板。イチモンジセセリがねらいなら、白色がいいらしい


 「なるほどなあ」
 過去の文献をつまみ食い的にながめるだけでも、その時代ごとの研究者の苦労がしのばれる。A計画がだめならB計画でという映画でよく見る場面が連想され、ヘンなところで結びつけて納得する。
 素人がすごいなあと感心するのは、白色粘着トラップにカスミカメムシ類のフェロモン剤を装着し、両者を同時にモニタリングしようという発想だ。そうなると、お得感も生まれる。
 だが、現実にはどうなのだろう。
 イネツトムシは減っているのか? イチモンジセセリは、本当に減っているのか?
 ごくごく狭いわが観察テリトリーに限れば、イネツトムシは少ない。だが、その親であるイチモンジセセリも減っているのかといわれると、なんともいえない。


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左 :スズメの群れ。季節にもよるが、こうした当たり前の光景が珍しくなってきたように思う
右 :交尾をしていたイチモンジセセリのカップル。この1組から、どれだけの子孫が誕生するのだろう


 スズメもオナガも減っているといわれたときの戸惑いと同じだ。スズメはまだ普通に見かけるが、オナガは確かに減った。だがその理由も、ご近所に限れば壊滅的な林地面積の減少にある。だからやっぱり、よくわからない。
 知れば知るほど、知りたいことがわからなくなる。
 まあ、それがフツーの人である凡人たるゆえんなのだろうなあ。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。


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