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きょうも田畑でムシ話【135】

2024年06月07日

キセルガイ――パイプにならず薬になる  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 梅雨の時期になると毎年、そういえばカタツムリが......という声がどこからか聞こえてくる。それで初めて、カタツムリを見る機会が減っていることに気がつく。
 tanimoto135_1.jpgまったく見ないわけではない。だが、わが家で確実なのは、雨よけ栽培キットに手を加えた「ハウスもどき」の中だけである。
 彼らのねらいは、あまり出来の良くないわが野菜たちだろう。梅雨どきにはミニトマトと、こぼれ種から育つシソとミツバ、ツルムラサキぐらいしかない。その中のどれが好みなのかわからないのだが、気がつくと支柱や防虫ネットに、カタツムリが何匹もくっついている。
 カタツムリの仲間は雌雄同体だから、オスなのにメスでもある。「恋矢(れんし)」と呼ばれるものを出して刺激しあい、卵を産む。両性の器官が備わっていても、繁殖のためにはだれかの力を借りなければならない宿命にある。
 だったらなにも、オスとメスが合体したようなスタイルをとらなくてもいいのに、なんとも不可解で面倒な感じがする。
右 :うなじが赤っぽいカタツムリ。まだ若い個体のようだ


 とまあ、カタツムリといえばずっと、それくらいのことしか思わなかったのだが、当のカタツムリはそうでもなさそうだ。専門家によると、もっと現実的なことを考えて行動している。
 恋の矢なんてステキな名前がついていても、要は槍のようにとがったもので相手の体をチクチクと刺して精子を送り込むのだ。そのあとで両者それぞれが産卵に至るのだが、よほど体力を使うのだろう、自分ではあまり卵を産みたくないというのが本音らしい。繁殖期になると卵を産むメスとしての気持ちが強まるのか、相手から受けとる精子の量をなるべく減らそうという意思が働くらしい。
 恋矢は数百回も突き刺すことがあるようだから、そんなことを考えるのもわからぬではない。
 そこへいくとアブラムシはたいしたものだ。たいていはメスだけでどんどこポンポン、子を産む。雌雄同体ではないものの、ある時期まではオスが関与しない単為生殖で、メス幼虫だけを産む。それなのに必要になればオスを産んだり、卵を産んだりすることもできるのだから、アッパレというほかない。


tanimoto135_3.jpg 国内には亜種も含めると1000種を超すカタツムリがいるそうだが、いまだに新種の発見が続く。それだけ未知の種が多いのか、それとも研究が遅れているのか。在野の研究者がけっこう頑張っている。
 多くの新種が見つかる一方で陸生貝類の半数は絶滅の危機にあるという、皮肉な現象も起きている。大気汚染や土壌の酸性化、生息地の乾燥化などいろいろな要因があるのだろう。
 だったらと慌てて緑化を進めても、すぐにはカタツムリの生息地にならない。牛にも等しいあの歩みだから、新天地にはなかなかたどり着けない。それまでいた場所が失われると、以前の勢いを取り戻すのは容易でないのである。
 そうしたあれこれを思うと、わが菜園のなけなしの野菜を食い荒らすからといって、カタツムリをたたきつぶすのは避けたい。同類のナメクジは平気で踏んづけることができても、殻があるだけでためらうのは差別でしかないような気もするのだが、それにはとりあえず目をつぶってもらおう。
左 :高速移動中のカタツムリ。とはいえ、はた目にはのんびりしているようにしか見えない


tanimoto135_4.jpg そんなときだった。長いこと探していたヒカリギセルが「うちにいるよ」と言ってくれる人が現れた。
「ほんとですか?」
「ああ、たぶんそこらに......」
 ヒカリギセルを探すくらいなんでもないという。
 それならと探すこと、わずか5分。腐りかけた倒木の下、落ち葉が積もったところから、最初の1匹が顔を出した。
 いや、顏は見えなかった。正しく言えば、キセルガイの特徴である細長い殻が見つかった。
右 :キセルガイは落ち葉の下にもひそんでいる。そのつもりでなくても、遭遇率は高い


 ヒカリギセルは福島県などで「かんにゃぼ」と呼ばれ、肝臓のトラブルを解消するのに役立つ薬として珍重されてきた。服用したことはないが、そこらに転がるものが薬になるなんて、ムシ好きの心が動かぬわけがない。
 福島県はかつて、養蚕王国のひとつだった。蚕を盛んに飼育したが、時代の流れには逆らえず、蚕や桑の新たな使い道を研究した。そのひとつが「かんにゃぼ」こと、ヒカリギセルだった。
 桑の廃条を寝かせ、それをヒカリギセルのえさにして育てる。桑だけでなく、稲わらや鶏卵の殻の粉末を混ぜる研究もされていた。それらにならい、試しに飼うことにした。


tanimoto135_7.jpg カタツムリは何度か飼育したが、繁殖させたことはない。幼かったわが子の自由研究に供したくらいで、ニンジンを与えると赤いふんを排せつし、レタスだと白いといった他愛のない飼育実験で終わっている。
 キセルガイの仲間も飼ったことがある。だが、何かの目的があったわけではない。なんとなく、手元に置いて観察するだけだった。
 今回は、あこがれの「かんにゃぼ」である。増やして薬にするつもりはないものの、とりあえずのえさにする桑の木は庭に何本か生えている。それだっていつの間にか現れたひとり生えの木だから、植栽やその維持に努力したことはない。
左 :採集したヒカリギセル。まずはこんな感じで飼育を始めた


「よーし、やるぞー!」
 ちょいと気合いを入れた。
 ヒカリギセルが肝臓の薬になるからと、農家の収入源になっていた時代があるとも聞いていた。うまくいけば、ひと財産築けるかも。うひひ......。
 しかし、よくよく考えれば、タネ貝があまりにも少ない。なにしろ3匹しかいないのだ。しかもいつもの悪いくせで別の生き物に関心が移り、ヒカリギセル長者になる夢はあっという間についえた。

tanimoto135_11.jpg それから1カ月ほどして様子をみると、小さな陸貝が飼育容器の中でうごめいていた。
 ――ん?!
 カタツムリといえばまんじゅうのような形を想像しがちだが、キセルガイは往年の喫煙具である煙管(きせる)を思わせる。
 その長い殻とはちがって、オカチョウジガイみたいな寸詰まりの殻を持つ小さなカタツムリがそこにいた。
 初めて見る。あわてて調べると、どうやらヒカリギセルの幼貝のようだ。いつの間にか、子貝を飼っていたことになる。増殖に成功とまではいえないが、数匹がふ化したようである。
右 :ヒカリギセルの幼貝だと思うことにした小さなカタツムリ。オカチョウジガイにも似ているけれど、識別できない


 そうなると欲が出る。なんとかして環境をととのえ、ちっとは養殖らしいことをしてみたい。
 桑の枝は庭から調達できる。鶏卵の殻はさっそく、細かくつぶした。稲わらも加えるといいようだから、物置にあったものを混ぜてやった。
 これで準備はできた。あとは、適度な湿り気を保つようにすればいいだけである。


tanimoto135_6.jpg キセルガイは卵胎生だと思っていたが、ヒカリギセルの仲間は卵を産むようだ。
 となると今度は卵も見てみたくなるが、それはしばらくお預けだ。
 キセルガイは古く、旅や出征時のお守りにされたとか。出かける際に神社の木にいたものを借りてきて、無事に帰宅したら返しにいった。その信仰が根づく神社では、そのキセルガイをかたどったお守りも販売していたという。
 ヒカリギセルなら、いざというときには肝臓の薬にもなる。お守りと兼用すれば価値が高まるかも。そうなれば......。
 ヨコシマな心がもぞもぞっと動きだし、なんとかタヌキが皮算用を始めた。こんな気持ちでいるから何事もうまくいかないようで、反省!
左 :ヒカリギセルの親子。にわかに登場したのだが、希望をこめて親子とした

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。


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