提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


6次産業化のパイオニア 地域の農家が協業経営で「世羅なし」をブランド化し半世紀広島県の観光資源に

2015年03月17日

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原田 修さん(左)と光元 信能さん(右)
(広島県世羅町 農事組合法人世羅幸水農園)


 6次産業化という言葉が今のように定着していない昭和30年代。ほぼゼロの状態から全国最大規模の果樹園へと発展させ、加工販売、直売所の建設、観光地化などいち早く6次産業化に取り組んだ農園がある。広島県世羅町にある世羅幸水農園だ。地域の強い絆が大規模な法人を生み、人間優先の理念が安定した経営をもたらした。常に三歩先を見すえ挑戦し続ける農園は、県内のみならず全国から多くの視察が訪れる6次産業化の成功モデルとして、注目を集め続けている。


家族ぐるみで全面協業経営
 広島県中東部に位置する世羅町。昭和初頭は米、麦中心の農村地帯だった。昭和30年代前半の物価上昇とともに、住民の生活が逼迫。生き残るための手段として栽培を決めたのが赤ナシだった。


201503yokogao_sera_8.jpg 果樹栽培を始めれば収入はストップし、3、4年は厳しい状態が続く。地域の住民たちにとって大きな賭けであった。とはいえ勝算はあった。瀬戸内海と日本海の分水嶺である世羅台地の栽培地は、標高400~470mで、夏季の気温日較差が大きい。ナシ栽培に適しているとにらんだ。

 住民たちは、さらに大きな賭けに出た。西日本の市場はおろか、全国でもまだ認知度が低い品種「幸水」に目をつけたのだ。そこには、主流の二十世紀梨で戦っても勝ち目はない、始めるなら新しい品種で勝負したいという思いがあった。「幸水はおいしい」と、住民たちがほれこんだのも、幸水を選んだ大きな要因となった。こうして27戸が参加し、農事組合法人世羅幸水農園が昭和38年に設立された。


経営の三本柱と一人一役主義
 圃場面積30haで発足したが、果樹栽培経験のある住民は、ほぼゼロ。しかも昭和40年前半には、寒波や台風などの自然災害が組合員を苦しめた。それでも同時期には近隣の農園を買収し、規模拡大を図り、当初の倍近くまで面積を拡大。全国最大規模の果樹園へと発展させ、経営を軌道に乗せた。


201503yokogao_sera_9.jpg 創立50周年を超えた現在でも安定した経営があるのは、設立当初から、当時としては画期的な経営体制があったから。初代組合長・梶川静一氏が「幸水農園は、家族経営の集団であり、一人一役に徹し、労賃は平等である」と提唱。「経営安定」「協業生活」「永続的経営」の三本柱を打ち出した。

 また、開園当初から、農園では「一人一役主義」を採用した。代表理事をはじめとする経営組織のほか、総務、経理、労務、生産、施設などの業務組織を設置。そこからさらに細かく役割を決めることにより、一人ひとりが責任を持って職を全うできる仕組みを作った。


ブランド確立し、直売・観光部門充実へ
 昭和41年に、幸水の初出荷を迎えた。当時、西日本の市場では「二十世紀」が圧倒的なシェアを占めていた。「幸水」は認知度が低いばかりか、無袋で作るため見ばえが劣り、販路の確保が最大の懸案事項となっていた。そこで、西日本全体に広くアピールするには大きな市場で味を知ってもらい勝負するしかないと、大阪市場で試食会を開催した。

 広島の特産品になりうるフルーツとして、世羅のナシには多くの期待が寄せられ、試食会には広島県副知事をはじめ、関係機関も参加。期待通り高く評価された「世羅のナシ」は、価格が大きくはね上がり、一躍、脚光を浴びた。市場流通量が少なかったことも幸いし、ブランドをいち早く確立できたことも大きかった。

 中央市場で注目を集めると、その味を求めて多くの人がナシを買いに農園を訪れるようになった。当初は事務所の前で販売し、規格外のナシをゼリーに加工した。買い物客の高まるニーズを受け、組合員たちの間で、直売・観光部門の充実が議論され始め、さまざまなアイデアが形になった。


 平成10年、ドイツ語で「ナシの店」を意味する「ビルネ・ラーデン」をオープンした。翌11年に加温ハウスによるブドウ栽培、12年にはイチゴ栽培をはじめ、周年でフルーツを提供できるよう新たな品目を導入。観光果樹園をスタートし、顧客のニーズに応えた。


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 :平成10年にオープンした直売交流施設「ビルネ・ラーデン」
 :農園のナシを求めて多くの観光客が訪れる


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 :栽培したブドウからはワインも作られている
 :ロングセラーで人気の高いナシゼリー


福利厚生の充実と後継者育成
 働く組合員たちのニーズにも細やかに対応した。良質な労働環境を提供するために、厚生年金や雇用保険の加入はもちろん、勤務時間等の体制も整えた。そこには人間優先の理念が息づいている。

201503yokogao_sera_12.jpg 福利厚生の充実を語る上で欠かせないのが、女性部や青年部の存在だ。女性部は、古くから婦人部として文化的活動の充実のほか、健康診断、衛生管理等の健康管理にも重点を置き活発に活動している。「体調が悪い人がいれば、食生活改善のアドバイスをくれることもあった」(光元専務)。青年部は、イベントや懇親会の開催を通して、組合員の仕事に対するモチベーション維持に努めている。
右 :定期的に懇親会を開いている


 設立当初から、後継者の育成に取り組んでいることも画期的だ。まだ厳しい経営環境であった昭和40年、農園独自の奨学金制度を創立。研修所や農業関係の大学に通う場合は、農園から奨学金が支給された。海外で研修を行う後継者には、その費用も負担した。
 研修生も早い段階から受け入れている。海外からの視察研修も多く、世界各国から農園を訪ねてくる。地元の小学校の社会科見学や体験学習も積極的に受け入れている。摘果作業や収穫作業を通して、農業への理解を深める取り組みである。青年部が主催する懇親会では、組合員の家族同士が交流。子どもたちが農業に憧れを持ち、農業に携わる両親に尊敬の念を抱くことで、後継者の育成につなげたい考えだ。


将来を見据え、アイデアを形に
 原田組合長は、今後の課題として次の3点を掲げる。
 まずは、農地の再整備。「直売や観光事業が好調であっても、農園の基盤となるのはナシ栽培。再整備して、基盤を大事にしていきたい」と話す。
 新しい品種や技術を導入していくことも課題だ。「幸水」を導入してから成功までのノウハウを生かして、新たな品種にも挑戦していく。


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 :ナシの木の下でくつろぐ家族連れ
 :ナシ狩りの季節になると多くの観光客でにぎわう


 順調な観光事業、加工部門の確立強化にも乗り出す。「日帰り型」の観光から農業体験や農家民泊などと連携した「滞在型」の観光も視野に入れる。また、新たな加工品を開発し、観光への呼び水を増やしたい考えだ。
 組合員たちが「次に何ができるかを考え、全体で知恵を出し合って形にしていく」。それはまさしく、さまざまな作業を経て実を結ぶナシ栽培と同じかもしれない。(杉本実季 平成25年10月24日取材 協力:広島県東部農業技術指導所)
●月刊「技術と普及」平成26年1月号(全国農業改良普及支援協会発行)から転載


農事組合法人 世羅幸水農園 ホームページ
広島県世羅郡世羅町本郷365-20
0847-22-2219

※(農)世羅幸水農園は、平成26年度農林水産祭において、園芸部門の天皇杯を受賞されました。