提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


リンゴ畑で農家自らシードルをつくり、 地域の産業と、美しい風景を守る

2014年07月30日

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高橋哲史さん(青森県弘前市 株式会社百姓堂本舗)


 日本一のリンゴ収穫量を誇る弘前市の「弘前市りんご公園」。園内には約65種、1,200本のリンゴの木が植えられ、もぎとり体験ができるほか、リンゴグッズをそろえたショップ、リンゴを使ったオリジナルメニューが味わえる軽食・喫茶コーナー、岩木山の裾野に広がるリンゴ園が見渡せる展望台などが整備されている。

 この公園の一角、リンゴ畑の中にたたずむ白い三角屋根の建物が、今年5月3日にオープンした「弘前シードル工房kimori」。若手リンゴ農家らで設立した株式会社百姓堂本舗が運営している。「リンゴ畑が広がる風景は、この地域の共有財産。それをいつまでも守りたいという想いから生まれたのがkimoriです」と、代表取締役の高橋哲史さん(41)は語る。


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 :弘前市りんご公園内にある弘前シードル工房kimori
 :リンゴ畑が広がる岩木山の裾野


29歳で帰郷、農業の道へ
 高橋さんは代々続く農家の長男に生まれたが、子供の頃は農業にまったく関心がなく、両親から農業を継いでほしいと言われたこともなかったという。高校卒業後は実家を離れ、東京へ。映像会社でテレビ番組の制作をしていたが、27歳の時、母がガンを患い、リンゴの収穫期には農作業を手伝うため帰省するようになった。2年後、母が余命宣告を受けた時に、高橋さんは初めて跡を継ぐことを考えたという。


 「地元で暮らす弟と妹は別の職に就いていたので、長男の自分が弘前に戻ろうと思いました。以前は東京でなければできないことがありましたが、インターネットの普及により、映像編集もパソコンがあればどこにいてもできる時代になりました。一方で、リンゴづくりは弘前でなければできない。天秤にかけたら、あっさりと答えが出ました」。
 11年間の東京生活を終え、高橋さんは平成15年に就農した。


農家の庭先でシードルを
201407yokogao_aomori_10.jpg 高橋さんの母は、病状が進んでからも常に畑のことを気にかけていたという。ガンの痛みや不安、恐怖よりも、リンゴの心配をする母の心境とはどんなものか。高橋さんがそれを理解できるようになったのは、弘前へ帰郷し、地域の人からリンゴ栽培にまつわる歴史や技術を教わってからだった。
 「先人が百何十年も前から試行錯誤してきた結果が、今の弘前の風景につながっている。そして、母がどれほど丹精込めてリンゴをつくっていたのか気づきました」と、高橋さんは話す。

 日本一の産地であっても、農業従事者の高齢化による後継者不足は深刻だ。リンゴの木はどんどん切られ、畑は更地にされていく。「農家でない人にしてみたら、弘前にリンゴがあるのは普通のことと思うかもしれない。でも、実はその陰に『自分はこれで子供たちを育ててきたんだ』という思い入れがありながら、畑を手放さざるを得ない人たちがいる。どうにかしなければ...」と危機感を抱き始めた矢先の平成20年、降雹により津軽一帯の農家は大きな被害を受けた。膨大な数のリンゴが廃棄されるのを目の当たりにした高橋さんは、「農家の庭先でシードルを」をテーマにしたプロジェクトを思い立つ。
右上 :kimoriシードル。ドライとスイートの2種類がある


動き出したプロジェクト
 「リンゴ畑に足を運んでもらい、リンゴの木の下でお酒を飲んだり、おいしいものを食べたりして、リンゴのある生活がいかに豊かであるかを感じてもらおう。その上で、リンゴ畑は今どんどん減っていて、10年後20年後はもっと厳しい状況になることを、みんなに伝えようと考えました」と高橋さん。


201407yokogao_aomori_8.jpg しかし、リンゴ農家が自分で育てたリンゴを使い、シードルをつくるというアイデアを周囲に打ち明けても、「販路はどうするのか」など反対意見がほとんどだったという。高橋さんはあきらめなかったが、理解者はなかなか増えない。そんな時、仲間とともに、リンゴのお酒づくりに取り組むニッカウヰスキー弘前工場の工場長(当時)に会う機会を得た。思いを伝え、自分たちがつくったリンゴでお酒を造ってほしいと相談したところ、工場長はこんな話をした。

 「シードルの普及については私たちも悩んでいる。ワインなど他のお酒が並ぶ中に、ぽつんとシードルを置いても、手に取ってもらえない。でも、この地域に個性的なシードルがたくさん出てきたら、消費者は興味を持つはず。自分たちのシードルをつくったらいいのでは」。
 その提案に納得した高橋さんは、新たな道を拓くには、幅広い業種、考えを持つ人たちの力が必要だと考え、弘前商工会議所を訪れた。対応した商工会議所青年部の会長は、青年部に農家が入った前例はないにもかかわらず、すぐに入会を勧めてくれた。そこから話は少しずつ進み出した。
左 :リンゴ農家が自ら作ったリンゴを、自らの手でシードルに加工する

 仲間は22人に拡大し、プロジェクト始動をめざす中、幸運にも、市では弘前市りんご公園の機能強化を図るため、新たな加工施設の整備を計画。高橋さんが仲間と3人で設立した株式会社百姓堂の事業プランが採用され、6年間思い描いてきた構想は、ついに実現することになったのだ。


人々が集うシードル工房
 醸造室とともに、人々の集いの場になるよう設計された工房は、洗練されていて、まるでギャラリーのよう。リンゴ箱を材料にして作ったテーブルや椅子も、センスを感じさせる。


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 :リンゴ畑を望む工房 
 :工房のテーブルと椅子は、リンゴ箱を材料にして作ったもの


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左 :工房はイベントスペースとしても活用されている
右 :工房内の薪ストーブ。リンゴの木の薪で室内を暖める


 週末や祝日には、地元の料理研究家やミュージシャン、アーティストなど外部の人に協力を求め、ユニークなイベントを開催することも。こうした時には、商工会議所青年部などの人脈が大いに役立つと高橋さんはいう。
 「次は、ヨガ講師とカフェの方にお願いして、朝ヨガと朝食会をやる予定です。冬にはクッキングオーブン付きの薪ストーブで、ポーランドの陶器アップルポットを使った焼きリンゴづくりをするのもいいですね」と、楽しい企画は次から次へと浮かんでくるようす。地域の活性化にも、確実に貢献している。


先人からのバトンをつなぐ
 「kimori」は「木守り」から名付けたもの。収穫が終わったリンゴの木にひとつだけ果実を残し、今年の実りへの感謝と、来年の豊作への祈りを込め、神様に捧げる風習をいう(左下)
 kimoriシードルは、そんな想いを大切にしながらつくったリンゴを、農家自らがていねいに醸造。炭酸を人工的に充填せず、発酵時に発生する炭酸をそのまま果汁に溶け込ませる自然な製法が特徴だ。さらに、無ろ過なので、リンゴの果実感を損なうことなく、味わい深いシードルに仕上がっている。「余計な手は加えません。kimoriシードルは、リンゴ畑から生まれた農産物という位置づけなのです」と、高橋さんは商品コンセプトを説明する。

 加工品をつくり、販売するという見方をすれば、この取り組みは「6次産業化」と表現できるが、高橋さんは違う見方もする。

201407yokogao_aomori_11.jpg 「リンゴ産業は地域に根差したもので、自分たちがやっているのは新しいことではないと思っています」。
 kimoriのプロジェクトの目的は、地域の人への問題提起であり、みんなが話し合うきっかけをつくりたかったと高橋さんはいう。「後継者不足は、もう一農家の問題ではありません。国産ワインなどは、脱サラした人が小さなワイナリーを構え、ぶどうづくりから始める事例も増えているようです。リンゴ生産についても、非農家で担い手になる人があってもいいと思うんです」と訴えかける。そして、将来的にはOEM(受託生産)というかたちで、シードル生産に関心のある農家をバックアップしたいという夢も持っている。

 工房が完成してから忙しさは増し、実家の1.8haのリンゴ畑は父に任せることが多くなったが、いずれは畑に戻りたいと話す高橋さん。「リンゴづくりは、やっぱりおもしろいです。剪定ひとつとっても、やり方によって木の反応が違う。ちゃんと主張してくるんですよ」と笑顔を見せつつも、先人から受け継いだバトンを次に渡すまで、もうしばらく走り続ける。(橋本祐子 平成26年6月23日取材)


弘前シードル工房kimori ホームページ
青森県弘前市大字清水富田字寺沢52-3(弘前りんご公園内)
TEL 0172-88-8936