提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


標高差を生かした大規模高原野菜栽培で、価格決定権をもつ経営を実現

2012年10月16日


吉越菊雄さん(長野県飯山市 (有)奥信濃ファーム)


 営農可能期間は半年。積雪は平均4~5mで、去冬の積雪は7mあった。事務所と作業所は降雪の前に解体し、雪融けを待って毎年組み立てる――長野・新潟両県境に近い長野県飯山市の北部の豪雪地帯にある、なべくら高原。ここで40haもの高原野菜栽培を行う吉越菊雄さん(56)。ダイコン18ha、キャベツ6ha、ニンジン・アスパラガス各3.5ha、ズッキーニ(委託)5ha、秋ソバ(輪作用)8ha等を作る、(有)奥信濃ファームの代表取締役である。国営農地開発事業によって開墾された標高450~800mに広がる圃場の標高差を利用して、露地野菜栽培を大規模に行っている。品質の良い野菜への評価は高く、注文が引きも切らない。また、地元の若者を継続雇用して育成し、学校給食への食材提供をするなど、地域への貢献度も高い。



国営農地の広がるなべくら高原の雄大な景色


高原野菜に着目し、国営農地に入植 
 吉越さんは農林高校を卒業後、農業専門学園(現長野県立農業大学校)へ進んだ。在学中に、生徒による実家の実績発表会があり、将来ビジョンを考える中で、地域で一般的だった、米と野菜の複合経営や果樹経営の売上をはるかに上回る「高原野菜作」の存在を知った。昭和50年に実家で就農後は、ホウレンソウやサヤエンドウを作った。当時から「規模拡大」「野菜作り」を考え続けたが、いろいろな障害があり、実現の糸口はなかなか見えなかった。

 飯山市で国営農地開発が始まった昭和47年頃、開発用地の近くに10aの土地を借りて高原野菜栽培を始めた。始めは単価が高い秋採りサヤエンドウを作ったが、面積拡大にはダイコンが良いと知り、先進地の岐阜県高鷲村(当時)へ勉強に行った。


  


 28歳で国営地5haに念願の入植。サヤエンドウ50aを作りながら、残りの4.5haは除石と土作りに励んだという。新しい農地で野沢菜やニンジン等を作ったが、満足できる品質に育たなかった。農地が3haに広がった5年後に、ダイコン作に行き着いた。


畑にはダイコンができればよい 
 それから20年以上、ダイコンを作っている。連作障害に備えて13年前からキャベツ作もはじめたが、いまだ障害は出ていない。20年もの連作を可能にしているのは、「土づくり」と「施肥」だろう。

 吉越さんの畑は美しい。土は良く起こされ、作物が喜んで育ちそうな、バランスがとれた土である。「春の畑起こし、特に砕土には気をつかう」という。自分で施肥設計し、試行錯誤して開発した2タイプの専用肥料を使い分ける。「品質を上げるには肥料が大切」。昨今の異常気象に対応するため、現在は微調整をしながら使っている。


  


 タネは秀品率を考慮し、気象条件に合ったものを選んでいる。夏場冷涼な気象条件のため、殺菌剤は使わず、殺虫剤のみの施用だ。「何でも作れる畑がいいとは思わない。私の畑ではダイコンができればよい」と吉越さんは考えている。


売ってくれと言われる経営に成長 
 ダイコンを作り始めて5年ほどたった頃から注文が増え、吉越さんは法人化と安定雇用を考えた。法人化には3年かかったが、雇用はすぐに実行した。栽培コストを下げられれば継続雇用が可能と判断し、社員として2名を採用。作付面積を拡大し、その年は2000万円を売り上げた。

 この先、生産量が増えれば設備も雇用も、人を育てることも必要になる。そのために1ケース当たり100円高く売るには、どうしたらよいか。この上の付加価値とはなにか。実行してきたのは生産の安定(秀品率のアップ)と、コストダウン。そうするうちに、吉越さんのダイコンに「ブランド価値」がついてきたのだった。


  


 「見かけよりも品質で勝負。規格にしばられたくないから、直販のみ」。鮮度、品質を重視してくれる、昔から付き合いのある業者とだけ取引する。市場の評価は高く、市場の上位をめざすという目標は達成している。出荷先は県内重視の言葉どおり、大部分が県内で、西友50数店舗や生協、最近は市内の学校給食にも納入している。「自分から売り込んだことはない」という言葉に驚くが、自他共に認める高品質なダイコンには当然のことだろう。


若手の育成に力を注ぎ、地域の発展をみつめる 
 この3年間、作付面積は増やしていないが、売上は維持している。販売単価が高いあいだにと考え、人を育てているところだ。営農期間が半年という制約があり、現在、正規雇用はないが、冬季をはさんで雇用を継続。若い世代を中心に男性6名、女性3名が、雪の季節はスキー場関係の仕事を、雪がない時期は農業に従事している。


  


  


 吉越さんは23歳で青年クラブの会長だったときに、飯山市の将来ビジョンを提案した。スキー場への人寄せに「駅からゴンドラ」案はガーラ湯沢駅に取られてしまった、と笑う。そして鍋倉の地の開拓を行政に言い続けた。飯山市で30年近く続く菜の花祭りを始めたのも、なべくら高原、とひらがなを使って命名したのも吉越さんだ。値段が高い端境期に合わせて、品質の良いダイコン2haを作り出荷する技術と冒険心を持つ。常識にとらわれない柔軟な考え方の持主だ。

 「常に経営拡大を考えています。でもここだけでなく、条件が違う農地でもダイコンを作ってみたい。そしてこれからも高原野菜を提供していきたい」と、現状に留まらない吉越さんの挑戦はつづく。(水越園子 平成24年9月7日取材)


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