提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


都会の若者を田舎へ 「自給自足」を目指す若者による新しい農業のカタチ

2011年09月21日

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三田村諭さん(山口県宇部市 森の駅くすのきクリーン村)


 まったく経験のなかった農業、不自由だが楽しい自給自足の生活。山口県宇部市の山間部で三田村諭さん(29)は「森の駅・くすのきクリーン村」を旗揚げし、若者たちと茶畑、ブルーベリー畑を成功させている。全国に広がる「米と個性で自立塾」(※1)のメンバーだ。後継者不足で眠ったままの茶畑を再生し、自分たちの手で住居を建設。ソーラー発電装置を作り電力を確保し、井戸を掘って水を供給する。こうした自給自足の生活を目指す背景には、「自分たちが生きる術を身につけ、それを次代を担う多くの若者たちに広げていきたい」という強い思いがある。


目標がつかめなかった20代前半
 三田村さんは、滋賀県大津市出身。中学・高校を滋賀で過ごし、大学は岐阜へ。大学では中国語を専攻し、将来は中国で働きたいと考えていた。卒業後、メーカーに就職したが、半年で退職。「考えが甘かったというか、中国で働いている優秀な先輩を見て、自分では難しいかと思ってしまった」。その後も中国語を生かした仕事をしていたものの、中国で生活するまでには至らずにいた。「このままでいいのか、と考えるようになっていた」


 そんな三田村さんに転機が訪れたのは23歳のとき。書店で出合った一冊の本がきっかけだった。起業家や事業経営者向けのエッセイ。それを一気に読み、その著者が主催する起業セミナーへと足を運んだ。そのセミナーがきっかけとなり、著者の「自立塾」のネットワークのひとつである、大阪の起業支援センターで、インターンとして働き始めることに。そこでの経験を生かして、「自立塾」が行う島根県大田市の町おこし事業に携わることになった。「それが"田舎暮らし"の原点。田舎のいいところを発見するツアーのお手伝いをしたり、雇用創出の講座をしたり。とにかく夢中でした」。


 仕事をしていくうちに気づいたのが自分の「個性」だった。「ツアーに参加していると、皆から『おばあちゃんと子どもに人気がある』って言われて。何か子どもやおばあちゃんに関われるようなことがしたいと考えるようになった」。それで思いついたのが、夏休みやゴールデンウィーク期間に子どもたちに田舎体験をしてもらう企画だった。

 その企画「子供ハウスツアーズ」を開催した場所が、山口県宇部市にある茶畑。後継者不足で手つかずのままの荒れ果てた茶畑を、所有者である塾長から任された。25町歩もあり、草が生い茂り、道すら見えなくなっているような場所だった。

 「これまで自分の場所がなかったということもあったし、この土地でまずツアーをやってみようと思った」。ツアー開催まで残り2週間。この荒れ果てた茶畑をたった2人で再生させ、ツアーを決行。最初は迷っていたものの、大成功を収めたことでそれが自信につながり、そしてそれから数か月後の2007年11月、茶畑の経営を引き受けることを決意、本格的にお茶づくりをスタートさせた。 


何もないところからスタートし、3年で茶栽培・商品化へ
 とはいえ、お茶栽培の知識どころか、農業に携わったこともない。あるのは、荒れ果てた茶畑と小屋だけ。でも、そこから「森の駅くすのきクリーン村」の歴史が始まる。


yokogao201109_mitamura_000.jpg 何もない中、茶の栽培方法をリサーチし、道具を集め、栽培に没頭した。しかし、なかなか思うようにはいかない。収穫時期が遅れ、長期借入した自前の工場で加工しようと思っても、機械が故障して動かない。機械を修理するのも自分たち。
 「頭でわかっていても思った通りにいかない。無農薬にこだわれば、雑草が増えて、対応しきれない。とにかくやることが多いんです」。

 それでも昨年から本格的に収穫を始めた。生産から加工販売まで自分の手で成し遂げた。いわば、六次産業化のモデルの完成だった。「収量も味もまだまだ反省する点は多い」が、荒れ果てた茶畑から3年で商品化することができた。"三田村茶"でなければいやだ、というお客さんのために、"自立塾"のみんなが応援して開拓してくれた。その仲間と一緒に、海外への販売も視野に、残留農薬検査制度「ポジティブリスト460」の460の全ての項目で農薬検査を行い、すべてをクリアすることができた。


 「多くの人に感動してもらえるようなお茶を作りたい」と、その顔はすでに茶農家の顔つきだ。休みの日には、茶農家の元へ足を運び、技術を学んでいる。そして今年、念願のくすのきクリーン村ブランド「お茶が私で私がお茶で」くすのき茶シリーズを生み出すことができた。さらに今年9月には、世界でも有名な台湾一の茶農家に修行に行き、一流の茶を生み出す秘訣を学び取る予定だ。

 茶畑だけではなく、2008年からは提携している大学から苗木を譲り受け、ブルーベリーにも挑戦している。「茶畑に空いているところがあるからブルーベリーを植えようと。栽培の知識がないから、当然失敗だらけでした」。その後、畑は学生耕作隊(※2)から入植した若者に委ねた。今年、彼は初出荷を迎えることができた。
右 :ブルーベリー畑で草取り


自給自足の生活に踏み出す
 農作業と同時に生活のベースも整備している。2年前には廃屋のような倉庫を改装し住居に、昨年の11月には倉庫を完成させた。もちろん、自分たちの手によるセルフビルドによってだ。今年3月にはソーラーパネルを100枚以上設置し、電力の確保にも成功。お茶の加工機械の動力も、太陽電気でまかなう。


yokogao201109_mitamura_16.jpg 茶畑に来た当初、2人だったメンバーは現在では7人になり、今年4月からは共同生活を始めている。

 建築担当、機械担当、IT担当、ブルーベリー担当、運輸担当、自然エネルギー担当。クリーン村では、担当制を作り、その担当者それぞれが農業の事業主として責任を持って職務にあたっている。全国でも珍しい"六次産業事業協同組合"も設立した。「誰かに言われてやるのではなく、自分がすべきことを考えて行動する」のがルールだ。「自ら発案した内容を、自分の手ですぐに行動に移すことができる」。こうした自主性が、何もなかった田舎の暮らしを魅力的なものに変えていく。
左 :(奥から)建設中の宿泊棟、ソーラーシステム棟、お茶などの加工を行う作業棟


 だからこそ「クリーン村はまだまだ発展途上」だという。全国の自然エネルギーの先端を目指し、原発に頼らない生活に向けた人々を受け入れようと、彼らにはさまざまな計画がある。現在、建築担当は、新たな建設に汗水を流している。物流倉庫の建設だ。そこでは、東京から本社機能の3分の1を移してくる会社の事業を引き受ける。震災以後、本社を田舎へ移すと言う会社が他に2社でてきた。自給自足生活で共感するところとは提携する。


都会の人を田舎に。自給クラブプロジェクトに会員募集中

 こうした自給自足の生活を加速させる背景には、今年3月に起きた震災の影響もあるという。「これまで当たり前にあったものが、一瞬で奪われてしまった。もし、自分の力だけで生活しなければならなくなったら、どうするか。田舎で生きる術を知ってほしいんです」。

 三田村さんは今、いざというときに、都会の人たちを田舎で受け入れる体制づくりに力を入れている。「自給クラブ」と名付けられたプロジェクトは、自給自足の生活を経験することで、危機的状況に陥っても、自らの力で生きていく力を身につけることを目標としている。「『田舎暮らしは楽しい』っていうだけではなく、農業技術を学んだり、自分の個性に合わせた仕事作りができるサバイバル研修村にしていきたい」と展望を語る。
 技術研修の受け入れや、いざというときの備蓄商品や農産物の宅配も行っており、会員の募集も始め、参加者は100件を超えた。


このプロジェクトは、
①都会暮らしを続け、田舎の旬を想像する。いざという時の為の備蓄商品や農産物の定期宅配便の前払い購入 
②都会に住みながら田舎を学ぶ。農作業や田舎で生きる技術の短期研修 
③軸足を田舎へ移し、田舎から都会へ通う。一緒に仕事を作っていく。長期間の田舎暮らし研修や農繁期の農作業手伝い

という3つのステップを踏み、危機的状況に陥っても、自らの力で生きていく力を身につけることを目標に、農業で受け入れてくれる自給クラブ・農家パートナーズも、全国47都道府県で募集している

 また、クリーン村では換金作物から始めたが、自給自足に軸足を置いて、来年からは米の生産にも着手する。鶏、ヤギの飼育も計画中だ。生活インフラの整備も当面の課題だ。住居棟は建てたものの、調理場やトイレは野外にある。「田舎生活が不便であっても"オシャレ"にしていきたい」と話す。

 3年後、5年後、村はどうカタチを変え、そしてどう全国へ影響を与えていくのか。三田村さんたち若者のチャレンジはまだ始まったばかりだ。(杉本実季 平成23年9月2日取材)


※1 米と個性で自立塾
平成23年4月開塾。農を軸とした事業で自立を目指す若者が集う。塾生には最低限必要な食と住まいが提供されるため、若者が自分のビジネスプラン成功へ集中できる。若者インターンも受け入れている

※2 学生耕作隊
平成14年9月設立。人手不足の農家と、農業体験希望者の若者を、援農でマッチングする先駆的な手法を生み出したNPO法人。田畑、古民家管理に困った人から後継、創業する手法で、数多くの農村活性化に貢献


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