提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


農業普及指導の立場から農業の現場へ、田舎を元気にしたい

2008年07月01日

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柴田寿美子さん (山口県萩市 柴田園芸)


 農家で生まれ育ち、「将来は農家になりたくない」と思っていた女性が選んだ職業は「農家」だった。島根県出身で現在、山口県萩市の「柴田園芸」で働く柴田寿美子さん(37)。


 島根県で農業普及員として活躍後、結婚を機に花き農家へと転身した。
 コンパクトサイズの花の苗「リトルハート」を商品化したり、市内スーパーで一坪ショップ「ファーマーズガーデン」を開いたりするなど、多岐にわたって活躍。農業だけでなく、映画館存続のための活動を行うなど地域を元気にしている。毎日パワフルに動き回る柴田さんのエネルギーの源は「田舎を何とか盛り上げていきたい」という熱い思いだった。


田舎に元気になってもらいたい
 島根県八雲村(現・松江市)出身。山間にある村で柴田さんは育った。両親は兼業農家。小学校時代は土日なしで、休みになると両親の手伝いで田んぼに向かった。「友達はデパートに遊びに行っているのに、私は泥の中。将来は、農家にだけはなりたくないって思っていました」と振り返る。


 そんな柴田さんに転機が訪れた。大学を卒業後、農業普及員として島根県内の川本町に赴任した。「山間の辺鄙なところで、若者が全然いなくて、相手はお年寄りばかり」。
 そこで生活していく中で、少しずつ農業に対する気持ちが変化していった。「とにかく田舎を何とかしたい」。こんな思いに駆られ、次々とイベントを企画した。

 ところが、赴任してわずか1年で津和野への転勤が決まった。農業に対しての意欲が沸き始めていた矢先の出来事だった。「ようやく頑張ってやっていこうと思ったときに転勤。落ち込みましたね」。


 そんな時、一人の男性に出会った。日本で初めて集落営農を法人化した農業者、糸賀盛人さんだった。「哲学というか頭の回転の早さに影響を受けました。糸賀さんから『普及員として広く浅くでなく、ある程度集中して指導するのがいい』といったアドバイスもいただきました」。農業に対してのイメージがすっかり変わった瞬間だった。


普及員から農業の現場へ
 普及員として順調に働いていたが、1999年に結婚。結婚相手は、シクラメンを栽培する花き農家。「花に対する知識はまったくなし。生活しながら覚えていくといった感じでしたね。よく主人に『水やり3年』と言われていたのですが、難しくて。でも1年間、見ていったらコツがわかってきました」。


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 柴田さんが住む地域は、歴史的景観を数多く残している萩市の中でも山間部にあり、ビニールハウス3棟、20aで、シクラメンを主体とし、ゼラニウムやナスタチウムなどのガーデニング商材を栽培、出荷している。

 決して好条件の土地ではないが、ハウスの回転率を高め、より単価の高い商品の開発をすることで安定した経営を目指している。


 こうした中、柴田さんの才能が開花する。知人の勧めをきっかけにコンパクトサイズの花の苗を「リトルハート」として商標登録した。また、ゼラニウム、ナスタチウムなどガーデニング商材の出荷を伸ばした。

 その結果、売り上げは倍にふくらんだ。「栽培では主人には勝てない。人を管理したり、商品をプロデュースしたりするのが好きだとわかった」。


1日24時間では足りない日々
 さらに柴田さんの「プロデュース」は、市内にも広がった。市内のスーパーマーケットで地元野菜を販売するコーナー「ファーマーズガーデン」を主催している。


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 きっかけは、同じ地域で野菜を作る若者たちと出会い、厳しい現状を聞いたことだった。役に立ちたいと、キュウリやトマト、レタスなどを店に並べた。さらに、栽培方法や農家の思いなどをコラムにし、コーナーに掲示している。

 農業だけではない。市内で存続の危機に瀕している映画館を何とかしようと、「NPO法人萩コミュニティシネマ」の渉外係として、イベントなどを企画・運営している。1日24時間では足りない日々だ。「子どもたちともっと一緒にいてあげたいのですが。申し訳ない」と苦笑いする。


田舎を元気にするために
 自身を「思ったら即行動するタイプ」と分析する。それゆえに、悩むことも多いという。「町の中には何とか町を元気にしようと考えている若い人がたくさんいるのに、点ばかりでなかなか線にならない」。思いが形にならないというジレンマが柴田さんの中にある。

 それでも、地域を元気にするために柴田さんは突き進む。
地域に柴田さんの好きな風景がある。高台にあり段々畑が見え、その先に雲海が広がる。「ここが地域の人たちや観光客が集える場になれたら」と夢を語る。夢だけでは終わらせないよう、少しずつ行動に移している。


 その先にあるのは、小学2年生の息子の将来だ。「私の背中を見て、後を継いでもらいたい。そのためにも頑張っていかなくては」。

 そして、もう1つの夢。「子どもの手が離れて、もっと経営も順調にいって、自分の時間が取れるようになったら、自分の体験をいかして、小説やエッセイなど人に読んでもらえるような文章を書きたい」。
 柴田さんがこの地に植えた元気の種がいつか花を咲かせ、実を結びますように。そう願わずにはいられない。(杉本実季 平成20年6月20日取材)