提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


規模拡大、加工、先進技術導入で効率経営をめざす

2007年04月02日

赤野誠一郎さん(大分県豊後高田市・赤野農園代表)


 "昭和の町"として、昨今、全国の注目を集める大分県豊後高田市で、現在、水稲100a、イチゴ50aの経営を行う赤野農園。就農6年目の昨年、一気に2.5倍の施設規模拡大を行い、イチゴの経営規模では市内有数の経営体へと発展させた、同農園代表の赤野誠一郎さん(33歳)を訪ねた。
 赤野農園は、本人含む家族3人と常時雇用1人、繁忙時のパート1人で管理作業を行っている。水稲はヒノヒカリで、農協、直売、飲食店にそれぞれ3分の1の割合で出荷している。イチゴはさがほのかで、農協が90%、直売10%の出荷割合だ。


就農当初は施設栽培に悲観的
rePHOTO.jpg 「両親が歳をとったらいつかは家の農業をつがなくてはならない」と考えていた赤野さんが、大学卒業後IT関係のシステムエンジニアとして勤めていた会社をやめ、就農したのは、7年前。就農当初は18aのイチゴと米栽培の仕事を覚えるので一杯で、「限られた農地と、ハウスの設備投資をしても回収できない施設栽培には、正直、悲観的だった」。


 思い悩む日々が続いていたある日、大分県主催の研修「野菜経営塾」に参加し、熊本で視察した150a規模のイチゴ経営に衝撃を受けた。「絶対真似できないと思った」。しかし、気になった赤野さんは、研修終了後、規模拡大を実践するために身の周りの状況と条件を一度整理してみることにした。そして3つのことに気がついた。
 1つは、規模拡大には常時雇用者の確保が条件になるが、定年退職する叔父から雇用の打診を受けていたこと。2つは、県内の農協で取扱可能になったイチゴ品種"さがほのか"が、果形が安定しており、作業負担の大きいパック詰め作業がしやすい、"とよのか"に比べて苗の管理作業が省力的など、労働コストの低減につながり、大規模経営に向いていると考えたこと。3つは、近所のイチゴ農家が辞めてハウスや高設栽培設備が放棄されたままになっていたこと--である。


 「自分にも規模拡大ができるのではないか」。先に明かりが見えた。最後の条件は、ハウスの修理費と運転資金に絞り込まれた。そこで地元の普及センターに相談したところ、県単独事業の無利子資金が借り入れできることになり、一気に展望が開けた。
 近所の放棄されたハウスは土地ごと借り入れることとし、土地を借りるにあたっては、米の所得分は必ず支払うこと、もしハウスが不要になっても放置しないことを約束するなど、貸主との信頼関係を築くことを心がけた。
 その結果、ハウス修理費と高設栽培ハウスの移築費、拡大分の諸経費500万の借り入れで、18aから、50aにまで規模拡大をおこなった。ちなみに、コストは新設の場合の半分以下ですんだという。


最強の従業員=天敵、ミツバチ
 同農園のイチゴ栽培は、育苗が6月~9月はじめ、定植は9月上旬、収穫が12月~6月いっぱいという流れだ。そして、品質管理に十分手が回るよう4月からは収穫面積を徐々に縮小していくが、規模拡大後、収穫面積外でできた出荷できないイチゴをどうにか販売につなげたいと、今年からは加工に取り組み始めた。業者に委託してジャムやジュースに加工している。「まだ初年度でもあり、消費者より業者をメインに販売しています。売上げもほとんどありませんが、産地としてのブランド化、農園の広告塔として活躍してくれればと願っています」。


 一方、先進技術の導入についても意欲的で、IPM(総合的病害虫管理)に取り組んでいる。「安全・安心というよりも、天敵・ミツバチ=最強の従業員と考えて積極的に採用しています。もし授粉作業をミツバチではなく人が行ったら大変ですよね。天敵はハダニをくまなく捕食してくれますから、人間よりも目が良い従業員に間違いないですよ」。


そして将来の地域農業のために
 わずか数年の間に、次々と新しいことに精力的にチャレンジしてきた赤野さんだが、今年はまず育苗管理に手間暇をかけるのだという。「実は昨年、育苗に失敗してしまい、苗の確保が思うようにできなかったのです。足下の大切さが身に染みました」。
 一方、「今年、地域のイチゴ青年部では花農家と連携して、実験的に定植苗を部分委託します。この事業を是非成功させて、夏は他品目にも取り組めるようにしたいと思います」。


 将来的な赤野さんの目標は、農協60%、直売30%、加工10%というように、リスクを分散できる販売ルートを確保すること。そして、効率化を図るため5年かけて土地を集積し、10年後に100aにすることだ。自らの経営を通じて、「地域を担うイチゴ農家が増えて欲しいし、雇用者が楽しいと思える職場にしたいから」とつけくわえてくれた。その言葉には、就農当初「施設栽培に悲観的だった」青年が、多くの人とのつきあいを通じて農業経営に希望を見、夢を託せるようになったその思いと軌跡が凝縮されている。(三上宜克)
(月刊「日本の農業」2007年3月号(全国農業改良普及支援協会)より転載)