提供:(一社)全国農業改良普及支援協会 ・(株)クボタ


ぐるり農政【61】

2012年05月31日

飯舘村はいま

                              ジャーナリスト 村田 泰夫


 気になっている地域がある。福島県飯舘村だ。東京電力福島第一原子力発電所がまき散らした放射能で、全村避難を強いられた村である。事故のあった2011年3月11日から1カ月半ほどたった昨年4月末、心配になって現地を訪ねたことがある。それから約1年。今年5月7日に、飯舘村を再訪した。そこで見た景色は「寂寥感」である。


 目に見えた景色が、ひっそりと静かなさまを意味する「寂寥感」では、わかりにくかろう。「寂寥感」は、私の心に焼き付いた心象風景である。目の網膜に焼き付いた景色は、1年前とほぼ変わらない農山村だった。サクラは散りかけていたが、山の新緑が美しかった。1年前の景色と同じようであるが、何かが違う。何だろう。そう考えて、心の奥底に見えてきたのが「寂寥感」なのである。

 点在する農家や畜舎の建物、それに裏山の新緑も青い空も1年前と同じだが、なぜか美しくない。目の前に広がる水田が美しくないのだ。1年前の水田は、前年秋に刈り取った稲の株が残っていたが、いかにも手入れがされているようで違和感がなかった。今回見た水田には雑草が生い茂り、背の高いススキに似た枯れたカヤが風に揺れていた。まるで耕作放棄地のようなたたずまいなのだ。その水田にはキジの姿が目立った。雨水のたまった水田には、乱雑に掘り返され土がむき出しになったところがあった。イノシシの泥浴のあと、いわゆるヌタバだった。


 飯舘村は昨年5月、計画的避難区域に指定された。住み続ければ、健康被害が心配される年間20ミリシーベルト以上の放射線を浴びる恐れがあるので、政府から住み続けないように指示された区域だ。約1700世帯、約6200人にのぼる全村民は、1カ月余り後の6月末までに村を離れた。県外に避難しているのは約500人。大半は福島市や伊達市など近隣の市町村に避難している。いまの飯舘村は無人のはずなのだが、立ち入りを禁止されたわけではないので、家の片づけやペットのえさやりで、一時的に自宅に戻る人もいる。今回、村内を歩いていて、二人づれのおばあさんに出会った。普段は仮設に暮らしているが、久しぶりに家を見に来たそうだ。


 「うちの畑がこんなに荒れてしまって…。土さえあれば野菜作って暮らせるんだが、仮設ではできねえ。体がなまってしまう。ゼニ(お金)で補償してくれるというけど、そんなもんより、汚染された畑を元に戻してほしい。いまのままじゃあ、先に何の光も見えねえ」


 村内を案内してくれたのは、飯舘村佐須地区で「飯舘牛」を育てていた畜産農家、高橋二夫さん(68歳)だった。佐須地区65世帯のうち約40世帯は、近くの伊達市内の仮設住宅に避難した。高橋さんは親類の世話で、飯舘村の西隣の川俣町で、夫婦で中古住宅を借りて暮らしている。避難するにあたって、飼っていた肥育牛15頭全部を処分するしかなかった。風評被害もあって、自慢の肉牛も買いたたかれ、かつての相場のざっと三分の一の価格しかつかなかった。差額は東京電力から補償され、今後も家族1人につき月10万円の生活費が支給されるが、これからの生活には途方に暮れている。「畜産業は定年がない。元気なうちはいくつまでもやれると思っていた。牛をすべて手放したいま、これからどうやって暮らしていったらいいのか…」


 いま、飯舘村は、ふるさとへの帰還のめどが立たず、どうしたものか考えあぐねている。一刻も早く放射能の除染を急ぎ、村に帰って新たな村づくりに取り組むべきか。それとも、除染ができたとしてもゼロになるわけではなく、子育て中の若い世代は帰ってこないのだから、帰村はあきらめて、他の地域に新しい村を建設すべきか。飯舘村は、村の面積の半分が年間積算線量20ミリシーベルトを超える。菅野典雄村長は「2年後の帰村」をスローガンに掲げているが、あと1年後に村に帰るめどはまったく立っていない。村民のだれもが「帰りたいのはやまやまだが、帰れない」いらだちにさいなまれている。


 いま全村域が計画的避難区域に指定されているが、近く政府は放射線量の高さによって、①5年以上帰宅できない「帰宅困難区域」(年間積算放射線量50ミリシーベルト以上)、②帰還までに数年以上かかる「居住制限区域」(20~50ミリシーベルト)、③早期の帰還をめざす「避難指示解除準備区域」(20ミリシーベルト以下)の3つの区域に再編成することにしている。これについても、飯舘村民の気持ちは複雑だ。「区域を分ければ、村民の分断につながる」という悩みが出てきているのだ。


 福島市内など都市部の仮設住宅で生活している村民の中には、村に帰ろうという意欲がなえてきている人もいるという。仮設住宅から歩いて数分のところに、大きなショッピングセンター(SC)がある。SCの核となる店舗の大手スーパーには、村で生活していた時とは比べものにならないほど豊富な品物が揃っている。SC内にはコンビニはもちろん、ハンバーグ店、パン屋、回転寿司店など、ファーストフード店が軒を並べている。近くにはゲームセンターやパチンコ屋、居酒屋もある。もちろん、大きな病院もある。「若い人ならずも、もう田舎には帰りたくないと心の中で思っている人がいる」。全村避難して1年。飯舘村の悩みは深まるばかりだ。(2012年5月28日)

むらた やすお

朝日新聞記者として経済政策や農業問題を担当後、論説委員、編集委員。定年退職後、農林漁業金融公庫理事、明治大学客員教授(農学部食料環境政策学科)を歴任。現在は「農」と「食」と「環境」問題に取り組むジャーナリスト。